「棒」

「棒」という言葉に惹かれて、無由でひらかれている森田春菜さんの個展へ伺いました。

秋の深まる頃にポストに届いた、5本の棒が並んだ葉書。その静かな棒の姿を初めて目にした時わたしが思い出したのは、9年前の今ごろ拾い上げたあるものでした。無駄なものが全部なくなった“ほんとうのすがた”のようなもの。

下手に拾い上げると脆く砕け、でも砕けた時にはどこまでも透き通った音がするような。そんな“さいごのすがた”を思い出しました。

無由さんのドアを開けると、静まり返ったその空間に棒たちがリズムを刻んでいました。一列に並んでいたり、壁に浮かんでいたり、すっと立っていたり。一本一本すべて手にとりながら、陽の光にかざしたり、真っ白な壁に浮かべてみたり。持ち帰った棒は、手にとった時に一番煌めいていた棒でした。

翌朝、持ち帰った棒を写真におさめようとレンズを覗き込むと、煌めいたりふっと消えてしまったり、棒の持つ表情の豊かさに驚かされました。細くて長い、けれども掌におさまる範囲の「棒」だからこその表情。カメラを置いてまた手に取り、ひんやりとした肌に触れながら生まれる音に耳を澄まし、冬の輪郭を感じる日曜日の朝。棒を道標に、また一つ心に沈んだ記憶を手繰り寄せたいと思います。

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