本とわたしの記憶 ― 2.製本の先生

製本で使用している型紙のいろいろ

ZINE作家のmichi-siruveです。小さな頃から本が好きで、いつもお気に入りの本を抱えて暮らしてきました。29歳で絨毛がんという希少がんを経験したことをきっかけに、“大切な記憶”を小さな手製本に綴じる活動を続けています。
病の経験と本づくりについてのお話は、今年1年かけて連載「まなざしを綴じる」(教養と看護)で綴らせていただいたのですが、2018年1月からblackbird booksさんではじまる展示「汀の虹」に向けて、もう少し個人的な自己紹介を兼ねて「本とわたしの記憶」から、5つのこばなしをお届けします。

1. 好きな本
―2. 製本の先生
3. 忘れられないことば
4. “声”を綴じ、“声”を聴く
5. そして、本と花のこと

「本とわたしの記憶」 ― 2.製本の先生

前回の「好きな本」の次によく尋ねられるのが「どこで製本を学ばれたのですか?」という問い。製本自体はどちらかというと得意ではなく、職人さんに弟子入りして学んだわけでもありません。

何よりもわたしのZINEは「病とともにある中で綴じる」という想いのものなので、100均で揃うような身近な素材や道具を代用しながら制作しています。手順をもいわゆる手製本よりもずいぶん簡素なものばかり。時間がないシチュエーションでは「きちんとは学んでいないんです」と答えてしまうくらい、お答えするのが難しい質問です。

でも“手製本の体験講座”として習った方はお二人いらっしゃいます。お一人目は今から5年ほど前、写真表現大学の手製本の体験講座で教えてくださった男性の製本家の方。長い髪の男性で、声はしっかりと記憶しているのにお名前がどうしても思い出せない。

「本というかたちは、最も色気のあるかたちなのです」。その言葉の響きと、かがり綴じの見本を見せる指先の動きの無駄のない美しさは今でもはっきりと覚えていて、“製本道”なるものを全身から感じた先生でした。

もう一人は今から2年前、ドイツのブレーメンから来日展示中だったアーティスト・製本の技術士のMarion Bosenさん。KOBE STUDIO Y3で開催された「手製本ワークショップ – More than a book」という講座で、丸2日間教わりました。

ご自身の版画作品をアートブックにされていたMarionさんの本は、とにかく作品にふさわしいかたちに設計されていて、とてもクリエイティブ。それでいて製本の過程で繰り返されていたのは、ワークスペースや自分の手を汚さずに美しく保ったまま製本すること。少しでも汚れが付く動きをすると美しい本には仕上がらないのだと、いかに汚さない手順で綴じるかということを繰り返し伝えてくださいました。

その時、ワークスペースにあった本で一際惹かれたのが、下の写真にある本。質問すると「この本は糸も糊も一切使っていないのよ」と経本綴じの変形のような折りだけで組まれたその本を広げ、目の前でさっとばらしてくださったのでした。

「良い製本はシンプルで美しく、手にとるとワクワクする」これはその本に触れた時のわたしのメモ書き。製本糸も糊も使わない『汀の虹』のかたちのルーツはここにあります。

このお二人が“手製本を習った先生”ではありますが、本当の意味で“製本”とは何なのかを教えてくれたのは、学生時代にアルバイトをしていた本屋さんで出会ったたくさんの本と、その本を手にとっていたたくさんのお客さま。大学卒業後に飛び込んだ印刷会社で、紙・製版・印刷・加工とは何ぞやということを叱咤激励とともに叩き込んでくれた職人気質な工場現場の大先輩や、優しく見守り指導してくださった営業の先輩方。そして明治と昭和につくられ今わたしの手元にある、2冊の和装本だと感じています。

Marionさんのワークショップで出会った、糸も糊も使わない本

本屋さんで出会った本とお客さまからは、本の中身と手にとる人の関係、本の装丁と本の扱われ方の関係のようなものを客観的に見つめる良い機会をいただきました。

いくつもホームがある大きな駅ナカの隅にある、小さな本屋さん。高校卒業と同時に本屋さんの求人を探し、自転車圏内で唯一見つけた本屋さんでした。電車が駅に着く度に人の大波小波がやってきて、曜日と時間と沿線でのイベントとのかけ合わせで、お客さまの層は分単位でくるくると変化する。本屋さんにしては珍しい立地で、駅自体の喧騒も相まって“静けさ”なんてまったくありません。

本の種類も限られていて、置かれている大半は週刊誌や月刊誌、そして話題の新刊などの“旬な本”が中心。あとはベストセラーの文庫本といったレギュラーメンバーが3分の1ほど。自分の本棚にあるような本はほとんどありませんでしたが、不特定多数の人が入れ替わり立ち替わり、皆が本に触れる場で10代の終わりを過ごし、その関係を見つめることができたのはとても貴重な体験でした。

通勤通学の合間に本を買いに寄る人、デートや飲み会までの時間潰しに立ち読みする人。酔っ払って迷い込んだサラリーマンに突然お勧めの本を聞かれたり。また酔っ払いが笑顔で店先に立っていると思ったら、会社帰りに酔っ払った自分の父親だったり。

レジに立っていても、乱暴に本を投げる人もいれば、迷いに迷って選んだ1冊をそっと差し出す人もいて、頑なにタイトルを裏向けで手渡す人もいれば、毎回「ありがとね」と笑顔で言葉をかけてくれる人もいる。本を預かりカバーをかけて渡すその一瞬でも感じるものが色々あり、フロアでもレジでも本をとおした人間観察が日課になっていました。

本もまた、人と同じように目の前を通り過ぎるように流れていきました。狭い店内に毎日大量の本が配本されて、昨日の新刊が次の日には古い棚においやられたり。発売日当日に売り切れるものもあれば、残り続けて大量に返品するものもある。特集によって手にとる人も売れ行きも違う。

よくよく観察していると、本を雑に扱う人が手にとる本はある程度決まっていて、それは内容や装丁によるところも大きいようにも感じました。そのような本は雑に扱われてすぐにボロボロになるし、逆に美しい居住まいの本は自然と触れる人を選び、丁寧に触れられそっと棚に戻されるのでいつまでたっても美しいままでした。

とにかく色んな人が絶えず出入りし、それぞれのスタンスと温度感で本に触れては去ってゆく。本屋さんにしては特殊なほど雑然としていて、人の波と本の波に揉まれながら、本が好きな人から好きでもない人までが本に触れてゆく姿を見つめた日々。そのすべてが、わたしにとっての製本の先生。今わたしが本のかたちを考える時に必ず思い出す景色でもあります。

詩集『汀の虹』で使用している道具と素材一式

新卒で飛び込んだ印刷会社では、本当にさまざまな知識を教わりました。本、タブロイド、パンフレット、リーフレット、チラシ、カレンダーや紙芝居、シールなどの小ロットの販促ツールなどなど…常にいくつもの案件が平行して進んでいて、見積もりのための相談から入稿、校正、印刷加工納品まで。毎日覚えること、考えること、動くことだらけでした。

入社した当時、工程の大半がすでにデジタル化していたものの、わたしの担当したクライアントはアナログ工程の表現にこだわられていて、運よくポジやプリントに触れ、時にはフィルムの版を預かるような工程も経験することもできました。

アナログ時代を戦い抜いたベテランの大先輩方もまだ現役で残っていらっしゃって、工場実習や仕事の合間に聴かせてもらった昔の武勇伝の数々がたのしくて面白くて。版を作り、印刷機にとおして本に加工するというその過程に、今でもどれだけ人の経験と技が必要な職人仕事なのかということをたくさん教わったように思います。フロアの先輩方のキャラクターや仕事内容、進め方も十人十色。教わったことをひたすら書き綴っていた当時のノートは、今でも宝箱です。

社内だけでも紙を扱う購買部、設計や品質管理、工場の生産管理、プリプレスの部門の各責任者。クライアントの編集部やスタジオのディレクターさん、デザイナーさんなど1つの印刷物をかたちにするまでには信じられないくらい多くの人が関わっていて、提案ひとつ考えるのにも全部門をぐるりと回り、仕事が決まれば仕様書やスケジュールを携えてもう一回り。そのあとは納品までぐるぐる走り続ける日々。

新人時代は全体の流れもディテールも掴めぬまま駆け回り、社内のあちこちで知識不足を怒られ、その度に優しい先輩のフォローを受け、休日は専門書も買って必死に勉強。本のかたちを考える時はその全行程で携わる人や機械の動きをきちんと理解して、紙の流れから作業の流れまでイメージした上で設計しなければ、そのかたちどおりに作ることなんてできない。当たり前のことなのに、全体を掴むのは中々大変でした。

紙の斤量の見当がつくまでとにかくペーパーゲージで測り、工場に束見本や刷り見本を依頼しては印刷加工の奥深さを知り、色校正や刷り出しが届く度に良い色が出ているかハラハラドキドキ。見本誌を無事納めてはじめてほっと一息。

営業や現場の先輩から教わった知識の点。南の島の夜空のように散らばった無数の点が少しずつつながって、大ロットの印刷物を世の中に届けるという大きな流れを学んだ貴重な日々。かけられた言葉の一言ひとこと、触れたものの一つひとつが、今たった1冊の本のかたちを考える時にも糧になっています。

そして最後に、今わたしの手元にある2冊の和装本について。1冊目は昭和45年に限定300部で発行された『水仙の里』というえちぜん豆本。越前和紙の産地で、その土地の和紙を使い郷土の歴史を綴った豆本です。

掌におさまる程度の紺色のカバーにおさまったその本をパタパタと開くと、経本綴じの式紙と短冊が1冊ずつ。その下には黄色い和綴じ本があって、ひらくたびに中身が広がり、元に戻すとまたすっと掌におさまる。本の中に綴じられたもののボリュームを、自分の手で触れながら感じることができるそのかたちに、ワクワクがとまらなかった記憶があります。その土地の素材で、その土地の記憶を、その土地の人の手で。このスタイルは今のわたしの“綴じる”というスタイルの先生でもあります。

もう1冊は、明治6年に小石川で再版されたと記載のある『世界商売往来』という和綴じ本。外来語を中心に、英語とその読み方、イラストと漢字を交えた辞書のようなものです。

英語と漢字とカタカナとイラストという四者がご機嫌なリズムを生み出しているそのデザインはもちろんのこと、もうどれだけの人の手に触れられてきたのかという馴染みきった表紙と本文は触れるとふわふわとあたたかく、とにかくご機嫌になるのです。小口側に並んだ丁合の目印も何だか新鮮で、こんなに古い本なのに表紙に貼り直されたタイトルだけは明らかに時代が違っているのも何だか笑ってしまう。

おそらく昭和の中頃あたりにでも、当時の持ち主がマーカーで書いて貼り付けたのかな?古書としての価値はがくんと下がるであろうそのタイトルすら、この本がきっと特別なものでも何でもなく触れられていたという証のような気がして、一周まわっていとおしさすら感じます。この本のように、ふわふわくたくたに馴染むくらい触れられる本を綴じたい。2冊の和装本もまた、わたしにとっては“製本の先生”なのです。

こちらは昭和21年に発行された『日本の紙』という和綴じ本

そんなこんなで第2話目のこばなし“製本の先生”。何だかとっても長くなってしまいましたが、本を手にとっていた人々と、手にとられていた本こそがわたしの先生。

とはいえ今の自分の力では、触れてきた本たちにはまだまだ届かないことも痛感しています。これからも1冊ずつ丁寧に。死ぬまでには何とか、あの美しさやワクワクに届くかたちで綴じれるようになりたいな。綴りたかったのはそんなことです。またまた読んでくださった皆さま、ありがとうございました。

次回は「3.忘れられないことば」。本屋さんや印刷会社で本に触れていたわたしが、手づくりの小さな本を綴じて手渡す活動をはじめ、続けるきっかけになった方々からいただいたことばについての記憶をお届けします。

michi-siruve  exhibition「汀の虹」

「小さな詩と花、お贈りします」
“心の揺らぎ”を綴じた豆本詩集『汀(みぎわ)の虹』。本におさめた小さな詩と花を、blackbird booksの白い壁一面に浮かべます。作家在廊時は壁からお好きな詩と花を預り、その場で本に綴じてお贈りする“Book”と“Box”の制作も承ります。本屋さんの片隅で、本づくり。本に触れた方の声を預かるために、あなたの一冊をお贈りするために、静かにお待ちしています。
※在廊日はお知らせページで後日お知らせします。

開催期間
2018.1.16(tue)~1.28(sun)
平日11:00~20:00  土日祝10:00~19:00 ※月曜定休

開催場所
blackbird books
〒561-0872 大阪府豊中市寺内2-12-1 緑地ハッピーハイツ1F
TEL  06-7173-9286  北大阪急行(御堂筋線) 緑地公園駅より徒歩5分
http://blackbirdbooks.jp

アンカット製本の詩集『青猫』。“ペーパーナイフで切りながら読む”の初体験でした。

【Report】展示「汀の虹」@blackbird books

2018migiwa-bbb11
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