【Report】「キャリアデザイン」 @関西学院大学

2017年4月25日、関西学院大学 人間福祉学部 社会福祉学科の「キャリアデザイン(社会保障と企業)」という講義で、ゲストスピーカーとしてお話しする機会をいただきました。

「社会福祉士になるために必要な現場実習には行かない」という選択をした3年生を対象にしたこの講義。社会福祉学科での学びを軸に、一人ひとりの卒業後のキャリアを描いていくことを目的として、さまざまな業界で活躍されている方々が講師を担当されています。

わたしは同学科の卒業生という立場から、学生のみなさんの“今”と講師の皆さんのフィールドをつなぐ人として「メディアのちからを、ひとりのために」というテーマで卒業後10 年の足跡をお話しました。

今回この講義に声をかけてくださったのは、関西学院大学 社会学部 社会福祉学科で社会福祉を学んだ同級生でもある、関西学院大学の橋川健祐先生でした。

「社会福祉学科で学んだことは?」
「企業での経験から得たものは?」
「そして今、福祉的なまなざしをもって続けている活動は?」……

橋川先生から預かった「5つの問い」と、その答えに関係する私の足跡を「2つの震災と3人のいのち」という形で交えながら、社会福祉学科卒業後、印刷・広告・Webとメディア制作の現場で学んできたこと、がん闘病を経てZINE作家として人の記憶を本に綴じる活動を続けていることなどをお話しました。

22年前。生まれ育った東京を離れ、阪神・淡路大震災で被災した祖父母と暮らすために震災後間もない上ヶ原に越してきたこと。
15年前。祖父が寝たきりになり「生きること」に大きな問いが生まれ、大学案内で知った武田丈先生の元で学びたいと関学の社会福祉学科に飛び込んだこと。

12年前。自分はどう生きることに関わりたいのかと悩みに悩み、現場実習に行くこと、つまりは社会福祉士を目指すことをやめた時の葛藤。
10年前。武田先生の元で参加型アプローチによるソーシャルワークのかたちを知り、まずは祖父のように表現する術を失ってしまった人たちの役に立つ力をつけようと、メディア制作の現場に進んだこと。

3年前。自分自身もがん闘病を経験してサバイバーとなり、今まで感じてきた震災や病によって断ち切れてしまったものを、本づくりを通してつなぎなおす活動をはじめたこと。

喪失を目の当たりにしては、自分に何が出来るだろうと問い続けた22年。その道のりでの挫折や助けられたさまざまな人との出会いについて、ありのままをお話ししました。3分の2ほどお話をして、残りの3分の1は自由時間としてZINEの展示と質問会というゆるやかな講義に。

講義後の対話やコメントカードを通して、学生さんが今までの人生や家族のこと、将来のことなどを語ってくださったり、書き綴ってくださったり。それぞれの言葉から、今までの人生とこれから先のキャリアをつなげるヒントとして受け取ってくださった学生さんがいらっしゃったことをとても嬉しく感じました。

社会福祉学科での学びはすべての人の生と地続きで、自分の生と遠くの誰かの生も、生と死ももちろん地続き。在学当時は目の前のことに必死でそのように捉えることはできていませんでしたが、10年ぶりの母校の教室でひとりの卒業生、そしてがんサバイバーとして足跡を伝える中で、わたし自身も改めてそのことを見つめなおすことができました。

講義後はゼミの恩師の武田丈先生こと、JOE先生の元へ。

3年前、がんを経験した時につくった「残された時間で、お礼を伝えたい人リスト」で一番最初に浮かんだのがJOE先生でした。祖母の遺品を綴じ終えた節目にメッセージを送ると、すぐに研究室で迎えてくださり「記憶を綴じる」活動につながる研究資料をたくさん紹介してくださいました。

学生時代、そしてその時にも改めて先生から教えていただいたことが今の活動の根幹にあります。そして何より、突然連絡をしてきたがん患者となった卒業生にもすぐにいつもの言葉でメッセージをくださり、変わらぬ笑顔で研究室で迎え、わたしが自分の言葉で語れるように小さな働きかけをし、また歩みなおすきっかけをくださった先生の姿は、わたしが目の前の一人ひとりと向き合う時に道しるべにしている在り方でもあります。

そんな感謝を改めてお伝えしながら、今の大学のことなど伺いながらのひとときを。「みちは今何歳だっけ?」という問いかけから、先生がわたしの歳だった頃から今日までの足跡をお聴きしたり、先生がこれからやっていきたいことを伺ったりする中で、わたし自身も今日からのキャリアを描きなおす大きな節目の日になりました。

関西学院大学での4年間があったからこその、今の自分。そのことを改めて感じる機会をいただきました。講義の貴重な1コマにお声がけくださった橋川先生、熱心に聴いてくださった学生のみなさん、そしていつもあたたかく迎えてくださる武田先生、本当にありがとうございました。私なんかでお役に立てることがあれば、いつでも、どこへでも。これからもよろしくお願いいたします。

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