「花(はな)」の振り返り #掬することば
「花(はな)」の振り返り #掬することば
毎年恒例の今から15年前、大学4年生のお正月から何となく続けている今年の一文字。
2024年は「花(はな)」という一文字でした。
2006年からの一文字
はな【花/華】(デジタル大辞泉)
1 種子植物の有性生殖を行う器官。
(デジタル大辞泉)
2 花をもつ植物。また、美の代表としてこれをいう語。
3 桜の花。
4 2のうち、神仏に供えるもの。枝葉だけの場合もある。
5 造花。また、散華 (さんげ) に用いる紙製の蓮の花びら。
6 生け花。また、華道。
7 花が咲くこと。また、その時期。
8 見かけを1にたとえていう語。
9 1の特徴になぞらえていう語。
㋐華やかできらびやかなもの。
㋑中でも特に代表的で華やかなもの。
㋒功名。誉れ。
㋓最もよい時期。また、盛んな事柄や、その時節。
㋔実質を伴わず、体裁ばかりよいこと。また、そのもの。
10 1に関わるもの。
㋐花札 。
㋑心付け。祝儀。
11 世阿弥の能楽論で、演技・演奏が観客の感動を呼び起こす状態。また、その魅力。
12 連歌で、花の定座。また、花の句。
13 和歌・連歌・俳諧で、表現技巧や詞の華麗さ。
14 梅の花。
15 花見。特に、桜の花にいう。
16 誠実さのない、あだな人の心のたとえ。
17 露草の花のしぼり汁。また、藍染めで、淡い藍色。はなだいろ。はないろ。
18 華やかなさかりの若い男女。また、美女。転じて、遊女。
19 「花籤 (はなくじ) 」に同じ。
度々綴ってきたとおり、「花」という存在は震災後まもない町で暮らしはじめた10歳の春からずっと人生とともにある存在。がん罹患後の日々とその後のmichi-siruveの制作活動を支えてくれたのも、「花」や「はなす」(話す・離す・放す・華す)ということばでした。
絨毛がんという病を経験して丸10年。
「10年の節目だから何かをしたい」という訳ではないのですが、特にここ数年は一つひとつのご依頼に応えることに一生懸命で、自分のことを丁寧にみつめる時間があまりとれなかったこともあり、【この10年】ということばの力を借りて少しだけ自分のことを振り返り、この10年歩みを重ねてきた自分を大切にする時間を持ちたいと思います。
「花」という一文字にそんな想いを綴ってはじまった2024年。
終えてみると「花ひらく」というほど何か区切りがついたり形にできたりというようなきれいな節目にはなりませんでしたが、いろんな人たちと語り合い、10年という歩みを重ねてきた自分を振り返る時間を持てた1年だったように思います。
10年ぶりの「何もできなかった春」
2023年末のこと、2024年の抱負として、こんなメッセージをSNSで呟いていました。
来年はがんになり10年の節目
自分の【この10年】を振り返るような手製本の制作と
誰かと一緒に【この10年】を振り返り、綴り、分かちあえるような
ささやかな場がひらけたらいいなとぼんやり考えています
すると、この10年で出会った患者仲間はもちろん、ご家族や医療者、医療者のご家族の立場の方からも「自分の10年を振り返った」「わたしもこの10年を綴じてみたい」といろんなメッセージが届き、まずはこの10年を綴るためにふさわしいあたらしい手製本を制作しようというと新年を迎えました。
ところが、積み重なったオーバーワークがたたって右手を痛めてしまい、製本はもちろんPCに向かい文字を打つこともつらい状況に。春過ぎまでは休養とリハビリがメインとなり、がんの治療以来10年ぶりくらいに「何もできなった春」を過ごしました。
諦めることや見送ることばかりで心苦しさは感じつつも、ベッドに横たわるほかないので、大好きだった映画や本をみなおしたり、この10年みのがしていた映画や本をじっくり味わったり。
いちばんの再会は、加瀬亮さんの言葉が綴られた『Bellevue Ryo Kase』という本。本の余白に記憶のつぼみのようにぽつぽつと浮かぶ加瀬さんの言葉をたよりに、わたしのなかの大切な何かを掬い上げながら、この10年のいろんなことを振り返りました。結果的には、10年ぶりに心と身体の充電ができた貴重な期間となったように思います。
【この10年】を綴る手製本
初夏にさしかかりようやく手のリハビリに区切りがついてからは、ずっとあたためていた【この10年】を綴る手製本『*petal 』と『flower*』を綴じあげました。michi-siruveの制作にいつもお花の力をくださっている花店noteさんに【この10年】に寄り添う20種類のpetal(花弁)をお願いして、かたちになった手製本。
結局michi-siruveの10年はまだ綴れていませんが、この2種類の手製本たちとpetalたちとともに各地で「記憶のアトリエ」をひらき、アトリエにお越しくださったみなさんの【この10年】のはな……おはなしの花が咲き、本という記憶の華に綴じられてゆく瞬間に立ち会うことができました。
花店noteさんのお花があってこその手製本、これからもnoteさんのお花とともに各地に届けてゆきます。
「記憶のアトリエ」-名古屋と川越と川越で-
感染症の流行以降なかなかひらけていなかった本づくりの移動アトリエ「記憶のアトリエ」も、今年は名古屋の大学と埼玉(川越)の病院でひらく機会をいただきました。
どちらも感染症の流行により、そこに集うみなさんのさまざまな営みが制限されてしまっていた場所。長く続いた制限が少しずつ緩和されきたことも後押しとなっての開催でした。
名古屋のアトリエは、椙山女学園大学 人間関係学部の森川和珠さんからのご依頼で「グリーフケア演習」を受講する学生のみなさんが「一人ひとりが、思い思いに」過ごせるようにというオーダー。大学の教室をアトリエに設えて、初夏の昼下がりを学生のみなさんと過ごしました。
川越のアトリエは、埼玉医科大学総合医療センターの儀賀理暁さんからのご依頼で、緩和医療科のスタッフのみなさんが「自分のこと」をみつめたり大切にするひとときを贈りたいというオーダー。院内の一室をお借りしてアトリエを設え、スタッフのみなさんと過ごしました。
それぞれのアトリエの様子はReportに綴っている通りですが、二人の先生方の「大切な学生さんやチームのみなさんのために」という想いをかたちにするお手伝いをできたことがとてもうれしかったですし、アトリエ冥利につきるひとときでした。
12月には、地元豊中の市役所前で開催されたイベントで、アウトドアなミニアトリエもひらきました。雨に降られたり風で飛ばされたりお客さんでいっぱいになったり大慌てなアトリエでしたが、オープンな場所でのアトリエだからこその出会いや再会もあり、今年も立ち寄ってくださったみなさんのいろんな表現に触れ、声をきく時間を過ごすことが出来ました。来年はこのようなオープンなアトリエも、(屋内で)少しずつ再開できたらと思っています。
【がん体験談】ーいえない(言えない・癒えない)といえる(言える・癒える)ー
毎年ご依頼いただいているがん体験談も、今年も医療者向けの学会や研修会、大学の講義などさまざまな場所でお話する機会をいただきました。
わたしががんの治療を受けた大学病院も含まれていた「第4期がんプロ 第2回大阪大学拠点合同研修会&患者交流会」からはじまり、3年目となったフェリス女学院大学 音楽学部 音楽芸術学科の「医療と音楽」という講義、埼玉医科大学総合医療センターで開催された「第8回地域緩和ケア講演会」、2年目となった日本臨床腫瘍学会主催の「医学生・研修医のための腫瘍内科セミナー」、緩和ケア関連の研修会では大阪と奈良の病院からお声がけをいただきました。
それぞれの場の目的やきいてくださるみなさんの立場や背景、講演時間により多少構成は変わりますが、どの体験談も患者としての「いえなかった」(言葉にして分かち合えないから癒えてゆかなかった)体験と「いえていった」(言えるようになり、癒えていった)体験についてのお話です。
「こんなにつらかった」「きいてほしかった」というような主張ではなく、立場や体験の異なる患者と周囲が、お互いにいいあえる関わりあいのかたちを考えてゆけるように。罹患後10年という「古い体験談」であるからこそ、今治療のさなかにあるみなさんが置かれている状況や環境と重なるところを掬い上げて。
立場をこえてともに見つめ、お互いの気持ちや考えを分かち合いながら「これから」をともに考え、つくってゆくきっかけとなるような役割を、これからもお声がけいただいた範囲で果たしてゆけたらと思っています。
【この10年】のその先に
他にもまだリリースには至っていないものもありますが、制作のご相談もたくさんいただき、依頼主のみなさんのこれまでの歩みや今の気持ち、これからへの想いをたくさんきかせていただいた1年でもありました。
2025年にはお披露目できそうなものも、ひとつ、ふたつ。誰かの大切な想いに陽があたり、ささやかでもあたたかなつながりを育む助けになることを願いながら、制作の道のりの伴走も続けます。
そんなこんなの2024年、結局「自分のこと」は持ち越しになってしまいましたが、各地で大切なみなさんと咲かせたちいさな「対話の花」から受けとったあらたな「考える種」や「表現の種」たちを大切に抱き育みながら、2025年につなげていきたいと思います。
今年各地でご一緒できたみなさんも、今年はお会いできなかったけれど陰ながら気にかけてくださったみなさんも、本当にありがとうございました。来年もまた、お会いしましょうね。