ハフポスト日本版 インタビュー記事掲載(2019.12.24)

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2019年12月24日(火)ハフポスト日本版の資生堂ライフクオリティービューティーセンターさんの取り組みを紹介する記事の中で、絨毛がん経験者としてのインタビューを受けました。

PRESENTED BY SHISEIDO
写真の中の元気な私が励ましてくれた。29歳で妊娠・流産、希少がんを経験した私が、前を向いて歩ける理由

インタビューのきっかけは、11月2日に大阪で開催されたLAVENDER RINGさんの「MAKEUP & PHOTOS WITH SMILES」への参加でした。

イベント当日にいただいた小冊子を家で読み、資生堂さんの取り組みが半世紀以上前、戦禍によってやけどを負った方々の「心の苦しみを少しでも和らげたい」という思いからはじまり、今日までメイクという術をもってさまざまな悩みを抱える人たちと長年向き合ってこられたことを知りました。

その取り組みが今がんとともに生きるわたしたちの「MAKEUP & PHOTOS WITH SMILES」のプロジェクトを支えてくださっている。笑顔の写真の奥にあるそんな背景も、わたしのまわりの人に知ってもらえたら……そんなお礼の気持ちで、自分のWebサイトに当日参加した記録を綴りました。

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その記録を当日のヘアメイクを担当してくださった資生堂のライフクオリティービューティーセンターの方が偶然見つけてくださったそうで。「大切な記憶を手製本に綴じる」という術でがんを経験された方やご家族と関わるわたしの活動も含めて関心を持ってくださり、お話を聴かせてくださいとお声がけくださいました。

個人のWebサイトという私的な空間にそっと置いていただけの記録なので、見つけてくださったことにまず驚きで。それ以上に、声の大きい小さいに関係なく「一人ひとりの声」を本当に聴いていらっしゃるみなさんなのだなと。

資生堂さんの取り組みを伝えるという点では、わたしで良いのかな?という戸惑いもありましたが、そのことも含めて綴っていた文章に対してお声がけをいただいたので、勇気を出して東京にあるライフクオリティービューティーセンターさんへ伺いました。

いつものことながら「話す」という行為は苦手意識があって、後悔は尽きません。わたし以外にもたくさんのサバイバーさんが参加されているプロジェクトなので、わたしの体験談で良かったのだろうかとか。そもそもハフポストさんというとても大きなWebメディアで、わたしの経験の一部分が開かれること自体も不安があります。

読んだ方が感じられることはそれぞれだと思うのですが、ライフクオリティービューティーセンターのみなさんとお話しする中で、メイクも手製本も何かを経験したそのあとを「このわたし」で生きてゆくために力を借りることができる術のひとつなのかなと感じました。つらい治療の最中、治療からは離れたそのあと、力を借りることができる人や場所が、もっと増えたらいいなとも思います。

記事の中にも登場する『 [がん患者さんのための]  Beauty book』は、本をつくるために当事者の声を集めて制作したのではなく、「MAKEUP & PHOTOS WITH SMILES」というプロジェクトを通してお一人おひとりと出会い声を聴く中で「こんなものがあったらどうだろう?」と制作されたものだそうです。

内容、ことば、デザイン……そのすべてに、これまで聴いてこられた小さな声一つ一つを思い浮かべながら細やかに制作されたことが伝わってきます。「記憶のアトリエ」にも置いて、いろんな人に届けたいなと思います。

取材当日から記事公開まで、細やかにお心遣いくださった資生堂ライフクオリティービューティーセンターのみなさん、そしてわたしの拙い受け答えから“記事”という一筋の流れを編んでくださったハフポストの磯村かおりさん、本当にありがとうございました。

この記事を通して、がんに限らずさまざまな理由で肌の悩みを抱えた方々と向き合う資生堂のライフクオリティービューティーセンターさんの取り組みが、より一層必要な方に届くきっかけになればいいなと。そんな想いです。

※最後に…
インタビューの中に出てきた「友人のフォトグラファーが撮ってくれた写真」は下の写真です。当時のわたしは親族をがんで亡くして間もなかったこともあり、すでに体じゅうにがんが広がっていた自分の状況を悲観していたところがありました。

元気なうちにまわりに正直に伝えて、やれることは全部しよう。その一つとして、わたしたちの結婚式も撮影してくれた友人のてらちゃんこと、寺田雄一くんに遺影の撮影をお願いしていました。てらちゃんは「頼まれた写真(遺影用)はもちろん撮るけれど、元気になれる写真も撮ろうよ」と、友人や夫にも声をかけてわたしの家まで来て、みんなと写った写真もたくさん撮ってくれました。

この時はまだ治療をはじめて間もない頃。体重が30kg代まで落ち、骨髄抑制と肝機能障害で治療遅延にも悩んだ治療終盤よりはうんと元気です。それでも大量出血による緊急手術や抗がん剤治療を経て退院したところで、3週間ぶりに私服を着て、家の目の前の猫の額のような公園まで自分の足で歩くだけでへろへろ。

そんなことをまったく感じさせないてらちゃんの写真。結局この2枚目の遺影用の写真は誰の目に触れることもなく、みんなで写った写真だけを添えて、周囲にがんで治療中であることを公表しました。

「写真」という術で患者のわたしに生きる力をくれたてらちゃんとみんな、改めて本当にありがとう。この時まわりの人からもらったたくさんの支えが、今のわたしの活動の原動力です。

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