LAVENDER RING「MAKEUP & PHOTOS WITH SMILES」

2019年11月2日LAVENDER RINGさんの「MAKEUP & PHOTOS WITH SMILES」に、絨毛がんの経験者として参加する機会をいただきました。

LAVENDER RINGさんは、がんになっても笑顔で生活できる社会の実現を目指して、様々な活動を有志によって運営するプロジェクト。今回参加した「MAKEUP & PHOTOS WITH SMILES」は資生堂のライフクオリティービューティーセンター、美容室、クリエイティブ本部のプロフェッショナルのみなさんの力で、心と身体をメイクアップしていただき「今打ち込んでいること」を綴り、撮影した写真に添え、他のがん経験者のみなさんと一緒に展示していただくというものでした。

わたし自身、がん自体は5年前に寛解し、今年で5年を迎えました。抗がん剤治療中はかなり抜けた髪も、2度目のヘアドネーションに向けてのばしているところ。手術痕も腹巻きに覆われているし、出会った人にがんの経験を伝えると驚かれることの方が多いくらいです。

5年の節目ということで、先に参加した経験者の友人にも背中を押されながら、大阪開催ということもあり応募。参加のお知らせをいただき、当日約束の時間にブースへ伺いました。

当日の様子の前に、わたしのがんについて少しだけ…わたしが5年前、29歳の時に罹患したのは、絨毛(じゅうもう)がんという非常に珍しいがんで、希少がんにあたります。絨毛組織ががんになる病気で、悪性度が高く非常に進行が速いがんだそうです。

わたしの場合は、妊娠・流産から間もなくの発症。産婦人科医から「妊娠おめでとう」と言われた一か月後に流産の手術を受け、さらに一か月後には子宮動脈から1リットル以上の大出血を起こして搬送。その時にはすでに子宮・卵巣・両肺とがんが広がっていた状態でした。止血手術は何とか成功し、輸血も受け、翌日からは「がんが消えきるまで」最低限の休薬期間以外は抗がん剤を打ち続けるという治療を受けました。

体はもちろんつらいのですが「子どもを授かる」というしあわせと真反対の状況に突き落とされ、かつ治療を受けるのは産婦人科。がんにならなければ少し先の自分の未来かもしれなかった妊産婦さんが目の前に居て、新生児やご家族のしあわせそうな声も響く空間で治療を受け続けなければいけない。

空っぽのお腹で吐きながら抗がん剤でどんどんやつれていく自分の姿が鏡に映る度に、人として、何より女性としての自信を失いました。今振り返っても、あの頃が一番つらかったと思います。

寛解後、そのつらさを共有できる経験者を探そうと病院やピアサポートの場を訪ねても同病の経験者に出会うことはなく、信頼度が高いとされている病院や企業ががん情報を扱うメディアやがん経験者のソーシャルアクションにアクセスしても、「絨毛がん」という病名のカテゴリも、絨毛がんの経験を公表されている方の体験談もほとんど載っていない。希少であるという事実以上に「自分の病気が載っていない」ということの方が孤独でした。

一方で「表情の見える一人」として今までの経験を打ち明けてくださる他のがんの経験者のみなさんの発信から、生きる力をもらうこともありました。そんなこともあり、わたし自身はがん経験者のみなさんが参加しているアクションやプロジェクトにはできる限り参加して「絨毛がん」ということばを置くようにしています

わたしが参加することで「絨毛がん」というがんの存在や治療の環境を知る人が一人でも増えるかもしれない。少しずつ理解が広がり、今どこかで孤独の中にある他の絨毛がん経験者の方にも届くかもしれない。

特定のがんに限らない「LAVENDER RING」の「MAKEUP & PHOTOS WITH SMILES」に参加したのも、そんな理由からでした。長々と綴ってしまいましたが、これはわたしの道のりで。きっと参加者のみなさん一人ひとりに、それぞれの道のりや想いがあるんだろうなと思います。

話を戻して、「MAKEUP & PHOTOS WITH SMILES」の当日の様子について。受付でいただいた資生堂のライフクオリティービューティーセンターさんの小冊子には、このようなメッセージが綴られていました。

資生堂は創業以来、一人ひとりの美の実現をお手伝いするだけでなく、心まで豊かになっていただくことを目指して、化粧品の研修を続けてきました。活動のはじまりは1956年。当時日本では、戦禍によってやけどを負った方々が多くいました。心の苦しみを少しでも和らげたいと考え、「資生堂スポッツカバー」を発売。

その後、がん治療の副作用などによる外見上の変化や青み、赤み、茶色み、白斑、肌の凹凸(傷あと、やけどあとなど)といった肌の深い悩みをお持ちの方に「資生堂ライフクオリティーメーキャップ」をスタートさせました。

この文章を読むまで、メイクアップというものはどこか「外から見える、わかるものへのアプローチ」という印象を持っていました。この小冊子にあった「心の苦しみを少しでも和らげたい」という想いはそれより深いところにあって、それは外からは判りづらい心の傷を抱えた人にとっても力になりうるような気がしました。

たとえ傷自体をなかったことにはできなくても、心の苦しみを和らげる術がある。苦しみの中にある患者にとって、それとても心強いことです。その資生堂さんの想いを身をもって感じたのが「MAKEUP & PHOTOS WITH SMILES」のひとときだったような気がします。

photo by my friends

ここからは、友人が撮影してくれた写真と一緒に当日の様子を。最初の1枚は、ガラスの向こうの屋外から笑いながら撮ってくれていた1枚です。(写真の掲載については、ラベンダーリングの事務局の方にも確認済です)

受付で名前を記入すると、メイクを担当してくださるスタッフさんが迎えてくださいました。申し込み時にがん種などは記入しているのですが、特にがんについて尋ねられる訳でもなく、この方はどこまでご存知なのだろう?と最初はおそるおそる。ヘアを担当してくださるスタッフさんも合流してくださり、そのままヘアメイクがはじまりました。

外から判る悩みは、今のわたしにはあまりなく「抗がん剤治療のあと、シミが増えて…」ということ以外、ほとんど上手くことばにできませんでした。日々後ろ向きでなりたいイメージもないので、ヘアの希望を尋ねられても「そんなに変わらない方が……」と、とんちんかんなお返事に。

シミの隠し方を教わりながら、あんまりきれいに隠してくださったので商品名も一つひとつ尋ねながら。アイブロウ、アイシャドウ、ハイライト。ことばをたくさん交わした訳ではありませんが、わたしの肌の状態や性格を感じとりながら、少しでも「わたしが自信を持てるように」と華を添えてくださっていることが伝わってきました。

ヘアを担当してくださったスタッフさんも、何だか大きな本を抱えてボサボサ頭でやってきたわたしを「絵本の中から出てきたみたいな雰囲気だなぁと思ったので……」と、少しずつ提案しながら。スタッフさんの感性を添えながら、360度くりんくりんのヘアに変身させてくださいました。

がんになる前からお世話になっている美容師さんが入れてくれたハイライトも踊っていて、治療で肌が弱りカラーリングもやめて塞ぎこんでいたわたしに「弱った地肌に触れないように、気持ちが明るくなるように」とこのハイライトを入れてくれた時から今日までの日々も思い出してうれしい気持ちに。

photo by my friends

ヘアメイク中は、わたしが一人で参加すると知って、ちゃやまちキャンサーフォーラムの会場にいた友人たちが入れ替わり立ち替わり、笑顔で覗いてくれました。

Web制作などで関わっているダカラコソクリエイトのメンバー、昨年から参加している国立がん研究センターの患者・市民パネルのメンバー、そして希少がん仲間としていつも気にかけてくださるTEAM ACC のみなさん、サバイバーナースの会「ぴあナース」の会の看護師さんや保健師さん。

がんになってから5年。たとえ同病の経験者に出会えなくても、「希少である」という孤独を理解し傍にいてくれる友人にこんなにも出会っていたんだと、改めて気づいたひとときでした。


photo by my friends

メイクアップを終えると、クリエイティブのスタッフさんが迎えてくださるテーブルへ。写真に添える肩書きと名前、そして「今打ち込んでいること」を紙に綴ります。

打ち込んでいることは「“大切な記憶”を本に綴じること」なので、相談しながら「記憶」の英語で「Memory」に。がんになってから5年、ずっと握りしめてきたことばです。

photo by my friends

撮影のオトモは、家から持ってきた魔法書のような大きな本。わたしががんになってからはじめた「掌の記憶」という豆本プロジェクトを応援しているよと、造形作家の馬場謙二さんがプレゼントしてくださった、豆本を持ち運び展示するための什器です。

「掌の記憶」は、がんによって「産み育む」つまりはいのちを次の世代につなぐことが叶わなかったわたしが、がんになった「そのあと」にはじめたライフワーク。人が生きたきた「記憶」を本に綴じて贈り、次の世代につないでいこうと続けてきたものです。

がんに限らずさまざまな経験をされてきた人たちの「大切な記憶」がおさまった豆本が30冊詰まった本を抱えて、撮影スペースへ。資生堂のフォトグラファー、金澤さんが柔らかく迎えてくださりました。

「大きい本の中に小さな本がたくさんあるのですが、どっちがいいですかね…」

「金の斧か銀の斧か……」というようなわたしのとっぴょうしもない質問も柔らかく受け止めてくださり、大きな本で撮影することに。わたし自身、がんになるまではフォトグラファーさんの写真をお預かりして本やWebメディアにしてゆく側の仕事に就いていたので、撮影していただくなんて恐縮で…この日一番ことば少なに。あわあわしているうちに撮影は終わってしまいました。

photo by my friends

そのあとのセレクトも、ことばが上手くでてこなくて。おそらくそんなわたしが写真を見つめる表情も感じとりながら、清流のように美しいセレクトがすすみました。

すごいなぁーと眺めているうちに3つに絞られ、最後は後ろで一緒に見てくれていた応援団のみんなの一声で。「自分で決めろ!」と突っ込まれそうですが、みんなの声が詰まった1枚の方が、思い出になるなと思ったのでした。

photo by my friends

セレクトを終えると、朝の設営時にご挨拶していたスタッフさんが「朝ご挨拶した時のイメージと随分変わりましたね」と声をかけてくださいました。

確かに、がんになってから親子連れの声が響く場所に行けなくなってしまったこともあり、普段は家にこもりがちで。どうしても外出が必要な時は、マスクと耳を塞ぐイヤフォンが欠かせないという状態。心も体も閉じています。朝ご挨拶した時はそんないつものわたしで、それがスタッフのみなさんとがん経験者の友人たちに囲まれて、少しずつ笑顔の花がひらいたのかなと。

友人たちが撮影してくれた写真を見返すと、ヘアを担当してくださったスタッフさんが遠くから笑顔で見守ってくださっていたり。メイクを担当してくださったスタッフさんも隣でにっこり。こんな風にがん経験者と向き合ってくださる方がいることがとてもうれしく、あたたかい気持ちになりました。

photo by my friends

参加当日は、先に参加した経験のある友人たちが当日の様子をたくさん写真に撮ってくれるのを「どうしてこんなに撮ってくれるのだろう?」と、不思議な気持ちで眺めていたのですが……届いた写真をみて、スタッフのみなさんも含めたこの日の記憶がのこるようにと撮ってくれていたのだと気づきました。

きっと友人も、自分が参加した時に関わってくださったスタッフのみなさんのあたたかさを感じた経験があったからなのかなと。見返して、撮ってくれた友人にも関わってくださったスタッフのみなさんにも改めて感謝の気持ちがこみあげてきました。

展示用に出来上がった写真の中にいるわたしは、5年前がんに罹患した時のわたしとちょうど同じくらいの髪の長さでした。髪の長さは同じでも、5年後の写真の中のわたしは、心身ともにボロボロで絶望していたあの頃には想像もしていなかった元気な姿で写っていました。

5年生きたんだな。よく生きたな。いろんな人に支えてもらったな。いろんな想いが浮かびます。

がんによって育むはずだったいのちを失ったかなしみや心身の傷自体は消えませんが、こうして参加者一人ひとりと向き合ってくださったプロジェクトスタッフのみなさんのあたたかいまなざしとプロの技に、心の苦しみを和らげ、「自信」という魔法の粉を振りかけてもらったように感じます。「目に見えるものに触れながら、目に見えないものに触れてくれている」そんなことも感じました。

そんな一人がこうして居ること、そんな一人にまなざしを向けてくださる人たちもいること。この写真を通して誰かに届いたらいいなと思います。LAVENDER RINGスタッフのみなさん、そして友人のみんな、本当にありがとうございました。このようなプロジェクトを続けることは本当に大変なことかと思いますが、ささやかながらお礼として参加した日の記憶を。今日引き出していただいた笑顔は、次の人につないでいきますね。

みなさんの取り組み、これからも応援しています。

photo by my friends

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