2013年秋にmichi-siruveとして制作活動をはじめて9年目を迎えた2022年夏、「michi-siruve」と「記憶のアトリエ」のロゴをリニューアルしました。
これまでも“ロゴのようなもの”はWebサイトに置いていましたが、実はきちんとしたロゴではなく、ロゴとしても利用可能なフォントを使用してテキストを置いただけの“仮のしるし”のようなものでした。
「ロゴは実践を重ねてから考えよう」と、制作やアトリエの活動を通してさまざまなものを見つめ、耳を澄まし続けること9年。感染症の流行という大きな変化も経験しながら「それでも、この制作活動は生きている限りは続けてゆきたい」という静かな決意も生まれたタイミングで、これまでのあゆみとこれからへの想いをひとつに表す道しるべとして、ロゴの制作を依頼することにしました。
制作をお願いをしたのは兵庫県宝塚市のアトリエを拠点に、美術家、ダンサー、グラフィックデザイナーとしてさまざまな活動されている升田学さん。
michi-siruveの活動をはじめて間もない頃、京都のyu-anさんで升田さんの美術作品「ヒトスジ」と出会い、ヒトスジのハリガネから名もなき小さな草花やいのちがつながりあい、響き合いながら空間に浮かび上がる作品たちに、今までの人生で感じてきた「言葉にならないもの」が宿っているような気がしてずっと見入っていた記憶があります。
その後も展示があると、升田さんの作品のある空間に身を置きながら、いのちとは、生きるとは何なのかを静かに問う日々を重ねていました。“考え続けているしるし”として、michi-siruveの活動で外に出る時は、升田さんのヒトスジの小さな作品を胸につけていて、2015年に撮影したmichi-siruveのプロフィール写真の胸元にもその作品が映っています。
そんな経緯もあり、升田さんの表現に宿るいのちのようなものの力をお借りしたくて、屋号である「michi-siruve」と、その制作活動のなかでも中心となっている本づくりの移動アトリエ「記憶のアトリエ」のロゴの制作を依頼しました。
これまで育んできたもの(旧“ロゴのようなしるし”)と地続きで、屋号とアトリエの世界観も地続きなしるしにできたら……これまでの9年間の実践で感じてきた「言葉にしづらいよくわからないもの」も託して、制作いただいたのがこのロゴとテキストです。
「michi-siruve」は、ZINE(手製本)などのささやかなメディアの制作、移動アトリエなどの協働を中心に、ご依頼主さまお一人おひとりとさまざまな関わりを続けています。共通するのは、言葉の奥にある“心の種”に耳を澄ませること。そしてその種を一緒に育みながら、芽のような、蕾のような、小さな花のような、心の灯のような…ささやかでもあたたかなものを一緒に育み見つめてゆく、そんな姿勢が根底にあります。
ロゴマークの心の水面から生まれている「小さな種や芽」「ことのは」「はな」「ともしび」を包む柔らかなラインは、michi-siruveの制作している「掌の記憶」という豆本のようでもあり、てのひらのようでもあり。心の水面には「m」「i」も隠れているような。michi-siruveのこれまでのあゆみ、大切にしてきた言葉にならない想いをひとつにしていただけて、本当に胸がいっぱいです。
一方、「記憶のアトリエ」は、病院や地域で主に医療や福祉の専門職の方々と協働しながらひらいている本づくりの移動アトリエです。流産をともなうがんという大きな喪失体験によって心を閉ざし、声にならない孤独のなかを生きた経験をもつわたしにとって、アトリエは誰かと集い、何かを交わし、心をひらき、響きあう喜びを思い出させてくれるような時間でもあります。
そんな「アトリエできこえてきたもの」をロゴというかたちで目の前に浮かび上がらせていただけて、こちらも胸がいっぱいです。
ロゴのご相談をした2022年の春から、宝塚にある升田さんのアトリエに通い、言葉や言葉にならないものを交わしながら春をこえて生まれた2つのロゴ。はじめて授かった“じぶんのしるし”を胸に、これからも、依頼主の方お一人ひとりと一緒に育み見つめていくことを続けてゆけたらと思います。
升田さん、言葉にならないものにかたちを与えてくださり、本当にありがとうございました。末永く大切にします。
そしてこの文章を読んでくださったみなさま、michi-siruveと「記憶のアトリエ」を、これからもよろしくお願いいたします。