2024年6月1日(土)、フェリス女学院大学 音楽学部 音楽芸術学科の「医療と音楽」という講義のゲストスピーカーとして、お話する機会をいただきました。
声をかけてくださったのは、一昨年の「医療と音楽」の講義、昨年の「心と音楽」の講義にもお声がけくださった緩和ケア医の儀賀理暁さんです。
2022年以降、毎年儀賀さんからその年の講義の中心となる「キーワード」を預かり、そのことばを学生のみなさんと一緒にみつめながら過ごすひとときを重ねてきたフェリス女学院大学での時間。
1年目の「医療と音楽」の講義では「きく」というキーワードと「手と心を動かす時間があって欲しい」ということばを託され、「“心の種”に耳を澄ませる」というテーマでお話をしました。
前半は ~“きく”を巡る記憶~ として、被災者の家族・友人、患者家族(遺族)、流産からのがん治療を経験したがん患者としての経験とそこから生まれた手製本の活動についての記憶を共有する時間を。
後半は ~手と心を動かす時間~ として、学生のみなさんが感じたことを見つめたり書き綴ったり誰かと共有したりする構成にし、ともに耳を澄ませてききあうようなひとときを過ごしました。
2年目の「心と音楽」の講義では、「きく」からまたひとつ深めた「わたし」というキーワードを託され、「“心の汀”をみつめて 〜誰かの「わたし」の呼び水になるということ~」というテーマでお話をしました。
根っこにあるものは1年目と変わりませんが、より学生のみなさんがご自身の「わたし」にフォーカスできるような構成にできたらいいなと。
前半はわたしが患者や家族として痛感した、病によって「わたし」が失われるいたみから始まり、そのいたみの汀からもう一度「わたし」を掬いあげ、集めなおした日々と手製本の制作や移動アトリエの活動を通して出会ったみなさんがきかせてくださった「わたし」のことへ広げ、後半は儀賀さんと一緒に詩と音楽で重ねてきた「わたし」の表現について、朗読と演奏の表現も交えてともにみつめました。
患者として詩というかたちで表現した「わたし」が呼び水になり、儀賀さんの中にある「わたし」が音楽になり、その詩と音楽が学生のみなさんのなかの「わたし」を揺らす…音楽という場で響きあい交しあう「わたし」を共有しあうようなひとときになった記憶があります。
そして迎えた3年目となる2度目の「医療と音楽」の講義。2011年から13年間、儀賀さんが前任の先生から引き継いで重ねてこられたこの講座が今年で最後の「最終楽章」になること、これまで以上にゲストスピーカーの講義を増やして、儀賀さんの大切な友人たちの語りから儀賀さんが大切に想うことを学生たちに届けたいというお気持ちも伺いました。
そんな節目の講義の中心となるキーワードは「いのち」でした。
過去の2年はもちろん、講義でもこの問いは根底に流れていたことばですが、あらためてキーワードとして受けとるとずっしりと重く、いろんなことに思い巡らせました。
そして気づいたことは、わたしはこれまで「いのち」ということばと密接な体験を共有することを重ねてきた立場にありながら、自分の語りの中で「いのち」という単語を使うことを意図的に避けていたということでした。
わたしが避けてきた「いのち」ということばを学生のみなさんとみつめるのであれば、その「避けてきた」こと自体を導入にしようと考えたのが今年のテーマ、「「主語」へのまなざし~誰かと関わる時、何かを表現する時に大切にしていること~」という主題でした。
もうひとつ、今年はわたしからお話する講義のパートをぐっと削り「儀賀さんと、あなたと」という儀賀さんとのフリートークと学生のみなさんとの「ライブ」な交流の時間をたっぷりととりました。
儀賀さんからのオーダーは「友人たちの語りから学生たちに届けたい」というものでしたが、わたしが学生のみなさんとともにみつめたいものもまた、儀賀さんのまなざしや言葉を交えるからこそその輪郭を立体的に届けられるような気がしたからです。
加えて、今回は教室の後ろにも手製本の展示スペースをつくって、講義の前後に自由に触れていただけるような設えにしました。平日であれば次の講義が控えていて本に触れる時間なんてとてもとれませんが、休日の補講ということもあり前後の時間も含めて静かにゆるやかに共有できたひとときとなりました。
90分という限られた時間ではありましたが、日常の少しだけ深いところにあるそれぞれの記憶や想いを掬いあげ、それぞれの主語をみつめて表現しあうような時間。当日や後日おきかせいただいた学生のみなさんからの声の一つひとつは心の中に留めますが、その輪郭を感じられるような当日の様子を、少しの写真といくつか抜粋したスライドとともにレポートでもお届けします。
スライド1.「主語」への問い
スライド2.「大切」をみつめる
スライド3.「記憶のアトリエ」
スライド4.「この10年」
スライドを交えたわたしからのお話のあとは、「儀賀さんと、あなたと」という儀賀さんとのフリートークの時間。学生のみなさんからの感想や問いに耳を澄ませて、それぞれが感じたことを一緒に味わいました。
儀賀さんのリードに委ねながら、儀賀さんと出会いから3年の日々で重ねてきた交流のことをお話したり、わたしの孤独だったがん体験を綴った詩を儀賀さんが歌にしてくださった2つの抒情歌のことをお話したり、そのうちの1つの詩と歌をわたしたちの声と演奏でお届けしたり、その声から感じたことをおききしたり。
汀(みぎわ)のように行ったり来たりと揺らめきながらの対話の時間でしたが……それぞれの「主語」をみつめながら何かを表現することや、誰かと関わること。表現することや関わりあうことで傷つけてしまうかもしれないという不安や、分かりあえないかもしれないという心配。「同じ」であるからこそ深く響きあえるもの、「異なり」を持ちながらも交わることで広がり捉え直すことができる景色。
そんな一片一片をともに掬いあげながら、関わりあうことで生まれるさまざまな感情や体験をともにみつめるかけがえのないひとときだったように感じています。
土曜日の補講だったにも関わらず集まり、まっすぐな声をきかせてくださった学生のみなさん、本当にありがとうございました。
この講義から数日後、儀賀さんと「振り返りの会」として当日を振り返っていた時に、浮かんだ言葉があります。それは
人が人と関わる
という言葉でした。
「その心は?」と問われると、まだきちんと言葉にはなっていないのですが、がんになってからのこの10年、そして儀賀さんとのこの3年を振り返った時に、「いえなかった想い」を表現したり、すくんでいた一歩を踏み出したりといった「変化」の助けになった関わりは、時に役目をこえて、わざわざ「このわたし」と人として関わろうとしてくれた人の存在だったなと。
「わたし」が「あなた」と関わる。関わろう、関わりあおうとすることで生じてしまう不安や心配があるということには繊細であり続けながらも、それでも「あなたと関わる」一人であれたらと改めて感じた3年目の講義でした。
3年間、フェリス女学院大学の学生のみなさんとともにみつめる機会をくださった儀賀さん、昨年に引き続き一緒に時間を過ごしてくださった儀賀さんのもとで緩和ケアを学ばれている大学院生の吉田輝々さん、そしてこの3年で出会った学生のみなさんへの感謝の気持ちと、これからも学びの旅をご一緒できたらという願いをこめて、ここに綴り残します。
本当にありがとうございました。