2024年7月23日(火)18:00~、埼玉県川越市にある埼玉医科大学総合医療センターで開催された「第8回地域緩和ケア講演会」にて、がん経験者として体験をお話する機会をいただきました。
お声がけくださったのは、これまでもフェリス女学院大学での講義や「ホスピタルアート in ギャラリーⅣ」の展示やトークセッションなどで度々ご一緒し、人が人と関わることについてともに見つめ、考え、語りあう時間を重ねてきた緩和ケア医の儀賀理暁さん。
今回は初めて、儀賀さんの緩和ケア医としての“ホーム”でもある埼玉医科大学総合医療センターにお招きいただき、川越ならびに近隣地域で緩和ケアの現場にいる医療者が連携している「かわごえ緩和ケアネットワーク(Palliative care Interactive Network in KAWAGOE: PINK)」さんの活動の一つである「地域緩和ケア講演会」でがん体験をお話し、儀賀さんを含めた参加者のみなさんと語りあう機会をいただきました。
緩和ケア医の儀賀さんと、希少がん経験者のわたし。これまでの時間を振り返ると、儀賀さんとは大学の音楽学部での講義やホスピタルアートの展示会場でのトークセッションといった「芸術」のフィールドで手製本や音楽療法といった芸術表現を介した「人との関わり」について語りあう機会が多く、「医療」というフィールドの真ん中で二人でお話するという機会はありませんでした。
今回は初めて「医療」というフィールドで、かつ儀賀さんが緩和ケア医としての日々と関わりを重ねてこられた場所・人たちとの時間の中での対話。どんなご依頼でもいつも考えて考えて当日を迎えますが、儀賀さんの“ホーム”でのご依頼となると一段と背筋がのびました。
あらためてかわごえ緩和ケアネットワークさんのご活動やご依頼くださった儀賀さんの想いなどを伺いながら、テーマの中心はこれまでもともに見つめてきた「いえない(言えない・癒えない)」体験と「いえる(言える・癒える)」ようになった関わりについてにしました。
お話の届け方も「できる限り参加される医療関係者のみなさんが日々見つめている景色に近い入口からはじめたい」とご相談し、これまでの儀賀さんとのトークセッションでは避けてきた、いわゆるがん医療の場でお届けてしている患者情報や治療の経過を中心に据えた「がん患者体験談」の形をとって、その後の儀賀さんとのフリートークでその景色の奥にある「いえなさ」や「いえて」ゆく関わりについて深めてゆくような形を試みようということになりました。
テーマは、「患者が「いえる(言える・癒える)」助けとなる関わりとは ~罹患後10年のあゆみから、みなさんと一緒に見つめたいもの~。
がんというさまざまな大切なものを失ってゆく体験の中で本音が「いえなかった(言えなかった・癒えなかった)」患者としての体験と、周囲の助けを得て「いえる(言える・癒える)」ようになった10年あゆみについて。
ベースとなる体験談は最近よくご依頼いただき各地でお話している内容ですが、研修会等でいただける時間は大抵15分や20分程度。時間を守ることが最優先になるので、どうしてもダイジェスト映像のように編集したパッケージを駆け足でお届けして去っていくような形になり、繊細なテーマを丁寧にお届けできない葛藤も抱えていました。
しかし、今回は全体で90分というゆったりとした時間をいただけたことで、いつもよりも丁寧に言葉を紡ぎ、目の前の一人の「いえなさ」に耳を澄ませながら緩和ケアというまなざしを持って関わりを重ねていらっしゃる参加者のみなさんのこれまでの日々も想像しながら、一つひとつの言葉や記憶をお届けすることができたように思います。
参加者のみなさんも、ご自身の体験や記憶も重ねながら耳を傾けてくださっていることが伝わってきて、大切にきいていただいているという時間をかみしめながらの90分でした。当日の様子の記録として、お話で使用したスライドも一部こちらに置いておきます。
スライドの一部はこちら
今回、初めてスライドとして追加した言葉がありました。それは、このひと月前に儀賀さんからお声がけいただきゲストスピーカーとして伺ったフェリス女学院大学の「医療と音楽」の講義のあとに浮かんだ
人が人と関わる
という言葉でした。がんになってからのこの10年、そして儀賀さんとのこの3年を振り返った時に、「いえなかった想い」を表現したり、すくんでいた一歩を踏み出したりといった「変化」の助けになった関わり。時に役目をこえて、わざわざ「このわたし」と人として関わろうとしてくれた人の存在。
まだあまり上手く言葉にはできておらず、これからも見つめ、考え、その輪郭を描く言葉を探す旅は続きそうですが……儀賀さんと重ねてきた3年間で見出したこの言葉を、川越の地でかわごえ緩和ケアネットワークのみなさんと共有できたことは、わたしにとって特別な記憶の一片となりました。
前半の体験談のあとは、儀賀さんとの対談も交えた参加者のみなさんとの時間。前半でお届けしたスライドで描かれたがん体験談の景色の奥にあるものを、少しずつ掬い上げて手渡したり、ともに見つめるような時間となりました。
治療中の景色を見つめる時間では、すっかり「いえない患者」になっていたわたしの「いえなさ(言えなさ・癒えなさ)」に触れてくださった外来化学療法室の看護師さんの関わりについて、儀賀さんの問いかけにこたえる形で記憶を辿りながら関わりのあり方について考えたり。
治療後に自ら「いえなさ」と向きあい、少しずつ表現することで「いえて」いった患者の道のりとして、流産からのがんの体験を綴った『ココロイシ』やその翌年制作したがん体験を28篇の詩にした『汀の虹』など、患者の心の内を綴った手製本について少しご紹介したり。
さらにはその作品を読んだくださった儀賀さんが詩にメロディを授けてプレゼントしてくださった『ココロイシ』『汀の虹』の2つの歌をご紹介しながら、患者(もしくは他者)の「いえなさ(言えなさ・癒えなさ)」をきくということ、「いえる(言える・癒える)」につながった儀賀さんの関わりについても患者の視点から感じたことをお伝えしたり。
汀のようにあちらとこちらへ揺らめきながら、迷いながらのトークで「もっとスムーズに、もしくはもっと的確にできたのでは?」と力不足に感じる反省も多々ありましたが、そんな迷いながらの時間も含めて「いえなさ」をともに感じ、そこから「いえる」ものを掬い上げてともに見つめるような時間だったようにも思います。
また、この講演会では参加者のみなさんから「問い」をたくさんいただいた時間でもありました。いただいた問いそのものは心の中に留めますが、持ち帰った問いの種として、いただいたり感じたりした“言の葉”を少しだけ綴りのこしておきたいと思います。
時間が経てば、出会いや関わりがあれば、「いえてゆく(言えてゆく・癒えてゆく)」ものなのだろうか?
「時間」が経ってもいつまでもいえてゆかないものの方が多い。一方で、その人にとって必要な「時」を経て、少しずついえるようになるものは、時にはあるのかもしれない
「いえた」体験を伝えることは、今「いえなさ」の最中にある人に回復を強いる側の一人になってしまうかもしれない
わたしには、あなたのその「いえなさ」をきく覚悟があると(言葉にはせずとも)伝え続けてくれていた
孤独だったがん体験を綴った詩を読んで(きいて)そこにメロディを授けてくださった歌は、孤独だった景色の奥に、こんなにあたたかい「わたし」があったことを気づかせてくれた
緩和ケアという、目の前の一人の「いえなさ」に耳を澄ませながらともにいることを重ねていらっしゃるみなさんとだから持ち帰ることができた言の葉の種たち。一つひとつこぼさず大切に持ち続け、いつかはなせる(話せる・花せる)ように、大事に育んでいきたいと思います。
参加してくださったみなさんの心の中にも、それぞれの種が残っていることを願いながら、またいつかお会いできた時に育んだものを分かちあえたらうれしいです。
今はまだ種がたくさんあり上手く言葉にできませんが、暑く忙しい平日の夏の夜という時間帯にお越しくださったみなさんにささやかな感謝の気持ちをこめて、今感じていることをここに綴り残します。
最後になりましたが、今回も貴重な機会をくださった儀賀さん、そして告知や会場の設営等含めて会の企画運営をしてくださったみなさん、本当にありがとうございました。またどこかでお会いできることを願いながら、これからもよろしくお願いいたします。
※講演会の前には、埼玉医科大学総合医療センター内で緩和医療科のみなさんとささやかなアトリエもひらきました。アトリエの様子はこちらからご覧ください。