「切(せつ)」#掬することば

今から12年前、大学4年生のお正月から何となく続けている今年の一文字。

2006年 凛(りん)
2007年 彩(いろどり)
2008年 道(みち)
2009年 生(いきる)
2010年 創(つくる)
2011年 挑(いどむ)
2012年 感(かんじる)
2013年 編(あむ)
2014年 磨(みがく)
2015年 理(ことわり)
2016年 繋(つなぐ)
2017年 響(ひびき)
2018年 深(ふかめる)
2019年 澄(すむ)
2020年 開(ひらく)
(凛から理までの理由はこちら

2021年は「切(せつ)」という一文字に決めました。

せつ【切】
1 心をこめてするさま。ねんごろ。せち。
2 身にしみて強く感じるさま。せち。
3 さしせまった事情にあるさま。非常に厳しいさま。せち。

デジタル大辞泉

過去15年の一文字と見比べても、年始に掲げる一文字としては、前向きさや希望のようなものは感じづらいかもしれません。

でも、この「切」という想いは、「大切な記憶」という言葉とともに手製本を綴じてきたmichi-siruveの制作活動の一番深いところにある想いでした。

今からちょうど26年前の今日、1995年1月17日に起きた阪神・淡路大震災の起きたあの日から見つめてきた失った「そのあと」を生きる人たちの声にならない想いの切実さ。

その震災を生きのびた家族も、その数年後に病に倒れて寝たきりになり、病によっても本人とそのまわりの人に声にならない想いが生まれることを思い知りながら考えてきたこと。大切な何かを突然に一瞬で失い、それでも、そのあとを生きなければならない一日一日のこと。声にならないあぶくのような“切なるもの”の気配に耳を澄ませてきた日々のすべて。

その“切実なもの”については、3年前に開催した「汀(みぎわ)の虹」という手製本の展示の前に綴った「本とわたしの記憶」という5つの文章の中でも触れていました。

内側に抱える“切実なもの”をあらわす

今もまだ本当に表現したいところには届かない日々ですが、身に沁みて感じる“切なるもの”を、手製本という術に助けを借りて「あわらす」ということはできるようになってきた気がしています。

そしてそれは、向き合い続けてきたからという以上に、ただただ「それだけの時が必要だった」のだとも思います。

画像1

2020年もまた、多くの人が“大切な存在を突然に失う”ということに直面した1年だったのではないかと思います。

失った「そのあと」をともに生きる一人として、手製本でできることを。「切」ということばを胸に、本と記憶とともに、心をこめてしていきたいと思います。

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