2018-06-08

#私がsoarを好きな理由

人の持つ可能性が広がる瞬間を捉え、伝えていくメディア「soar」。soarと初めて出会ったのはいつ頃だったか。twitterでフォローしていた誰かがシェアしていた記事を、たまたま目にしたことがきっかけでした。

タイムラインに浮かび上がった青空色のロゴと、綴られた少しの引用文と画像。「何だかしなやかなメディアだな」と感じて覗いてみると、とても丁寧に掬い上げ、磨き上げられた言葉が綴られていました。soarのtwitterアカウントを覗くと、読者の方々の声もたくさんリツイートされていて。一つずつ辿ると、立場や経験を越えて届き、響き合っているような。その時、心の中でずっと握りしめていたある言葉を思い出しました。

「すべてがしあはせになるのが 福祉」

16年前、脳出血で倒れた祖父の遺品に綴られていた一文。祖父が倒れる少し前、大学で聴講していた「人間学」の講義のメモでした。祖父の背中を追うように同じ大学の社会福祉学科へ進学したわたしは、この「すべて」の難しさに悩みました。結局専門職の道は諦め、思い立ってメディア制作の現場へ。「すべて」は無理でも「ひとり」からはじめたい。その人らしさを掬い上げ、交わしてゆく術を身につけ、その人らしさを失わずに生きる助けになりたい。そんな一心でメディアの可能性を信じ、駆け回った日々だったように思います。

それから時が経ち、その「すべて」に一番近いものを感じたのが、わたしにとってのsoarでした。「ひとり」の物語が、まったく違う土地で異なるものを抱えた多くの「ひとり」の内側と響きあっている。soarのような在り方が、祖父のメモしていた言葉の一つのかたちかもしれない。

それから少しずつ過去の記事も一つずつ辿っていると「#私がsoarを好きな理由」という企画がはじまりました。わたしもなにか呟こうかと何度か言葉を探してみたけれど、その時はまだ自分の言葉が出てこず。空間をともにして、感じてみないと出てこないのかもしれないなとしばらく寝かせていました。

そんなことを考えていた時、大阪でsoar 工藤瑞穂さんとD×P 今井紀明さんのトークイベント「発信」が生み出すコミュニティー誰と、どんなふうにつながる?ーが開催されると知り、一昨日参加しました。それぞれの想いを胸に活動されているお二人。同年代の一人として、それぞれの経験と想いから語られる言葉の一つひとつに頷きながらあっという間の2時間でした。

soarを読んで何となく感じていた「#私がsoarを好きな理由」に、体感をもって触れることができた2時間。記事の奥にあるsoarの皆さんの想いに触れ、うんうんと頷きながら言葉の欠片を書き綴っていました。ちょっとメモ間違いもあるかもしれませんが、とりわけ心に響き、ずっと手の中に持っていたいなと感じた言葉をここにも少しだけ置いておきます。

「人の可能性が広がるその瞬間」
「結びつきさえすれば解決する」
「“知らない”がひっくりかえれば、かなりの人が救われる」

「光をあてる」
「情報を可視化する」
「声を可視化する」

「その人が経験から発した言葉の強さ」
「その人が気が付いていない良さ」
「気づいて価値にしてあげたい」
「編集者が伴走」

「その瞬間を待つ」
「丁寧に深く」

「自分がいろんな立場になって読む」
「これを言った時に誰が傷つくか」
「言葉を受け取った時の身体感覚」
「自分の心や体を観察する」

「正解を示すメディアではない」
「批判されたことも理解したい」

「在り方」
「よりよく生きる」
「尊厳を取り戻す」

中でも、わたしが一番大切にしたいなと感じたのは「批判されたことも理解したい」という言葉でした。

「soarが発信した記事に対して、ネガティブな声が届いた時はどうされていますか?」という問いに対して、工藤さんがおっしゃっていたこの言葉。そもそもsoarでは、素晴らしい活動をされていると感じた方の物語を紹介されていること。記事として届ける際にはさまざまな視点から読み直し、言葉を受け取った時の身体感覚、自分の心や体も観察しながら丁寧に編集していること。それでも批判の声が届いた時は、その声の主が発した過去の声にも触れ、記事を読んだその人がどうしてそのような気持ちになったのかを考えるというようなことをおっしゃっていました。

「声を可視化する」ことを大切にしているからこそ、届けた声に対して返ってきた声の奥にあるものも理解しようとする。その行為の積み重ねこそが、より多くの人の視点から見つめて磨き上げる力になる。だからこそsoarの言葉は深く、さまざまな立場の方々の心に届くのだと感じました。

 

喜怒哀楽の「怒」と向き合う行為は、とても心身の力が必要な行為だなと感じます。でも自分の今までの人生を振り返ると、怒りとともに放たれた言葉の奥には、言葉にできずに抱え込んでいるものがたくさんあったようにも思います。とりわけ他者の怒りの内側には、ひょっとしたらかなしみ以上に、自分が経験をしたことのない相手の心の内を想像する力を育む種がつまっているのかもしれない。それはわたし自身が若年性の珍しいがんを経験し、またその後がんを経験された方々やそのご家族やご友人、医療者の方々の声を聴く活動を続ける中で実感していることでもあります。

つらい経験から生じた、言葉にできない想い。言葉にできても、声として誰かに発することができない想い。どうしようもないほど落ち込んだ時は、ただただ「かなしい」「つらい」という状態で。でも「何とかしなければ」ともがいているうちに、ぶつけようのない怒りをともなう強い不安に心をぎゅっと手づかみにされることもある。そんな状態の時は、外から飛び込んでくる言葉に対して敏感に傷つき、反射的に反応していた時もあったように思います。

そしてそこから抜け出すことが出来たのは、混乱に寄り添い、ただただ聴いてくれる人がいたから。声として体の外に出すうちに、言葉を通して見つめ直し、少しずつ整理をつけることがてきるようになる。整理がついて自分の言葉を持つと、同じ経験を抱えた人と語り合うこともできるようになる。そのうち、違う経験の中に自分の孤独と通じるものや違う痛みを感じとることもできるようになる。

そんな積み重ねで視野が広がり、見失っていたものが見え、聴こえ、少しずつ感じることを取り戻す。押し潰された心が少しずつ広がって、失われた想像力、つまりは他者への思いやりを取り戻してゆく。それも“回復”の一つのかたちなのかもしれないなとも思います。

その過程は人それぞれで、一人ひとりと向き合うことしかわたしには思いつかなかったけれど。その人のありのままを、さまざまな視点から見つめて磨き上げたsoarの言葉は、さまざまな立場の方々の心に届いている。丁寧な過程を経て紡がれた言葉に触れると、言葉に触れただけの人も「聴いてもらった」「受けとめてもらった」ような気持ちになる。そしてsoarという一つの安心できる場所で、自分とはまた違った困難を経験しながらも、それぞれの色を見いだして生きている人たちの物語に触れてゆくことで、さらに想像力が広がってゆく。

強くなくても、大きくなくても、丁寧に深く在ることから生まれ、育まれるものがある。それがsoarや読者の皆さんの声から、今感じている「#私がsoarを好きな理由」だなと。今回のイベントに参加して実感しました。

東京でのイベントは中々参加できませんが、心ばかりサポーターにも。これからも一人ひとりにsoarの光が届きますように。

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Schedule

Exhibition / Event  / WS
12.8 「とよなか産業フェア」@豊中市立文化芸術センター(大阪府豊中市)

記憶のアトリエ
5.27 「記憶のアトリエ」in 幸ハウス(静岡県富士市)
8.12 「記憶のアトリエ」in 音川 (富山県富山市)
11.3 「記憶のアトリエ」in 幸ハウス(静岡県富士市)
12.15 「記憶のアトリエ」in トコテコ紙芝居小屋 (兵庫県宝塚市)

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