2019-08-11

「弔う」#掬することば

(この文章はnote「掬することば」からの転載です)

先週のこと、初めて自宅で取材を受けました。

今までも何度かお声がけをいただき、取材というものはできる範囲で受けてきましたが……実はずっと、自宅での取材は避けていました。

でも今回は絨毛がんの経験についての取材で、できれば自宅で撮影したいというご依頼でした。事前取材だけでも数時間。「記憶のアトリエ」にもお越しくださり、がんの記憶を綴じた手製本『かぞくのことば』や『ココロイシ』『汀の虹』も丁寧に読んでくださってのご依頼。とても真摯なディレクターさんだったので、なるべく応えるかたちで協力しようと初めて自宅で取材を受けることにしました。

 

今の自宅は、がんが寛解して初めての春を迎える少し手前、桜の咲く前に引っ越してきた小さなマンションです。

がんの治療を受けた大学病院からはなるべく離れないように。もっと静かで少しでも安心して暮らせる場所に。間取りは少し狭くなったけれど、駅からうんと近くなり、でもとても静かでした。

大出血で倒れたリビング、抗がん剤の副作用で吐き続けていたトイレ、吐き気や痛みに耐え続けた寝室……前の家のそこかしこに染み付いていた流産やがんの治療で苦しんでいた頃の記憶は、少し遠くに置いてくることができました。

夫の転職という出来事がきっかけだったにせよ、小さくても白くて静かなこの家に、季節が一巡りする前に越せて本当によかったなと。この家を見つけてくれた夫に感謝しています。

atelier

日当たりがあまり良くないのがちょっと残念なところなのですが。その中でも一番日当たりの良い部屋の隅に、真っ白な製本机と、同じく真っ白な座り心地の良い椅子が置いてあります。

治療後家にこもりがちになっていたわたしに、夫が買ってくれた机と椅子。その机の前の壁には、小さな本と花と、本づくりの道具。机の脇にはかれこれ10年目になるオトモのウォークマンがひとつ。 机の両サイドには、本棚と紙の棚。背中側には、お花や制作途中の手製本を並べる小さな飾り棚。どれも真っ白で、本とお花の小さな色が浮かんでいるだけの静かでささやかな空間です。

体調が良い日は、パソコンをひらいて黙々と制作のお仕事を。心が沈むような日は、紙片を広げて黙々と手製本を。仕事場、兼逃げ場。ミヒャエル・エンデの『モモ』でいう<時間の花>が咲く場所のような、自分だけの場所という感じです。

そこに初めて、撮影クルーのみなさんがお越しになりました。そして、本や花も撮影されていました。

がんのはなしで、本や花を撮られるとは思っていなくて。本や花や音楽についても尋ねられたのですが、ふいの質問に上手く答えることができませんでした。あーこんなに大事なのに、どうしてことばが浮かんでこないんだろう。と、いつものことながら心の中に小さな後悔の山が積もっています。

それでも、何か感じてくださったのか。2日目の取材でまた花を丁寧に撮影してくださっていました。

壁に浮かんだ、花店noteさんのシャーレの小さな花。そして、いつもお任せでアレンジくださったブーケのドライ。

生花として過ごした最期にまとめているだけなので、きれいなものでもないのですが。窓際にまとめたその花の束から『ココロイシ』の石ころまで、がんになった「そのあと」わたしが拾い集めて部屋に置いているものたちを、丁寧に撮影されていました。

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2日間の撮影を終え、また静かな空間に戻った白い部屋。ディレクターさんが取材で問いかけてくださったことや、カメラマンさんが撮影してくださっていたものを振り返っていたとき、ふと「弔う」ということばが浮かんできました。

がんの治療を経て寛解したわたしは、身近な人からも初めましての人からも「サバイバー」として見られがちです。会う人会う人、まず「寛解して良かった」と声をかけてくれます。 わたしも患者家族、遺族、友人でもあり、寛解という状態がどれだけ有難いことなのかは身に沁みています。

でも、申し訳ないながら「まだ前を向けない」ところもあって。あまりにもその乖離がくるしい時にそっと伝えると「若くしてがんを経験したから無理もない」という解釈をされます。 もちろん、それもそうなのです。

でも本当はそれよりもう一つ深いところで、妊娠、流産手術、治療という絨毛がんにともなう記憶……つまりは「自分の体の中で、大切ないのちを失ったひとり」としてのかなしみ、くるしみがあって。しかも、そのいのちのたねはがんとなり、わたしの体じゅうを蝕んでしまったという難しい状況。中々「なかったことにして前を向いて進む」というのが難しく、どうしようもない気持ちから抜け出せないことが続いています。

妊娠期間はほんの僅かでも、そのあとの手術や治療は半年近く産婦人科で……つまりは、自分も歩むはずだった未来の中にいる人たちと五感をともにしなければいけない。その状況も心を蝕みました。

もちろん、流産もがんの治療も少なからずの人が経験していること。いのちを救うことに懸命に取り組まれている先生や看護師さんは精一杯してくださっていて、本当に仕方がないのことなのだけれど。10代から婦人科で治療を受け続けた道の先、初めての妊娠が絨毛がん。その生と死のコントラストは強すぎて、心が耐えきれませんでした。

結果的に、わたしとしては「元通りにならない」日々が続き、がんになるまでのわたしは、2014年3月3日で終わってしまったようなところもあって。

それまでの自分、育むはずだったいのち、そして同時期に他界した祖母。3つのグリーフのような、ひとくくりにもできないなんともことばにしづらいものを同時に抱えながら。がんの治療で空っぽになってしまった「そのあと」は、悲嘆の糸がこんがらがって締め付けられたような状況でした。

そして今思うと、そんな糸をほどくために、一つずつ「弔う」ために触れ続けていたのが、本と花と音楽でした。

治療中から今日まで、わたしの心の一番そばで包んで守ってくれたのは「音楽」でした。

大出血で搬送され、気が付いたら管だらけだったという治療のはじまり。リハビリのためにベッドから這い上がるほんの僅かの時間、空っぽの体で歩みを進める力をくれたのが、元気だった頃に夫や友人と一緒に聴いた歌でした。

その後、抗がん剤の副作用が一番つらかった数ヶ月は、音という刺激に触れることすらできず。抗がん剤治療という嵐が去ったあと、ぐしゃぐしゃに潰れてしまった殻の中に引きこもりながら、外の音から耳を塞いで心を守るために、1日中ウォークマンで歌を聴いていました。

この頃は、すっかり心が傷ついていて。そんなわたしが聴けるものは、もう片手におさまるほど。 その貴重ないくつかを、ずっと握りしめるように聴き続けていたような気がします。

その頃、良く聴いていたのが『花の匂い』という歌でした。かなしい記憶も、思いやりで包めばあたたかな響きをもって持っておくことができる。そんなことを教わったような。少しずつ、本当に少しずつまた聴けるようになった歌も増え、聴いてきた歌詞のことばをみちしるべに、がんの記憶を重ね綴ったのが『汀の虹』のことばでした。

そのうちに、自分のつらい記憶とつながる声が響くような場所でも、ウォークマンで音楽を聴きながらなら歩けるようにもなり。「音楽」は今でも、心の一番そばで包んで守ってくれる存在です。

がんになったそのあと、生きるために綴じ続けてきたのが「本」でした。

元々本が好きで。辞書や事典、図鑑など「ことば」「写真」で世の中を捉え、描き、綴じとめているような本を持っていること、触れることが大好きで。

治療中は嘔吐の副作用で、本を持つことも読むこともできなくってしまったけれど。がんになった「そのあと」最初にはじめたのは「記憶」を本に綴じることでした。

今思うと、そう遠くない将来自分はいなくなってしまうだろうという気持ちと、いのちを育むことができなかったわたしでも何か生みのこしたいという気持ちからだったのかなと。

最初は撮影する力も製本する力もなく、携帯で1枚撮影しては横になり、フォトブックサービスを使って何とか1冊綴じたような。

その後は、祖母を弔うために遺品を綴じ、誰かの記憶を預かり綴じ、がんの記憶を綴じ……本におさめる過程で見つめなおし、綴りなおし、かなしくつらい記憶をあたたかな手触りに綴じなおすことを続けてきました。

ただただ、今日を生きるために続けたか「弔い」の足あと。それがわたしにとっての「本」のような気がしています。

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「花」は物心ついた頃からずっとそばにあって、生と死を見つめるためのものでした。

でも、がんの治療がはじまると、お見舞いでいただく度に枯れてゆく花の姿を見るのがどうにもつらくなってしまって。賃貸マンションのまわりには花を弔うことができる土もなく、まだ生きているのかもしない朽ちた花をゴミ袋に押し込めるのがつらくてつらくて。生花を買うこともできなくなってしまいました。

それでも、花というものは生きてゆく中で目を逸らすことができないくらい大切な存在で。故郷の桜の老樹に会いに行ったことを境に、また花と向き合う日々がはじまりました。

リハビリがてら毎月通って集めていた、花店noteさんのシャーレに浮かぶ小さな花。そして、生花に触れられるようになってから、いつもお任せでアレンジくださったブーケのドライ。

生花として過ごした最期にまとめているだけなので、きれいなものでもないのですが。弔うように窓際にまとめた花の束がひとつ。製本机の前の壁にも、花の束から分けた小さな花が浮かんでいます。

どの花にも、花店noteさんと交わしたことばや笑顔の記憶があって。noteさんとのささやかな交流の中で、生について考える種をたくさんいただいてきたような。

がんになった「そのあと」再び自分で花を集めて見つめる日々をはじめたのは「生」というものともう一度真正面から向き合おうという気持ちからだったのかもしれません。

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本と花と音楽。弔いの日々とともにあったものたち。「弔う」ということばがふさわしいのか、その姿勢が良いものなのかはわかりませんが。

どんなかなしい出来事も、なかったことにはせず、あたたかな記憶として抱いていたくて。そのために「弔う」ことを続けているような気がします。

それがわたしにとっての手製本であり「記憶のアトリエ」であり。 その営みを続ける力をくれているのが、この部屋にある本と花と音楽なんだなと。撮影には間に合いませんでしたが(ダメですね……)取材というきっかけで、こうしてことばにすることができました。

受けた取材については、やっぱり話すことは上手くできなくて。あのことばで誰かを傷つけてしまうことはないだろうかと、心配だらけですが。

でも、預けたものは託したもの。あとは真摯に撮影してくださったクルーのみなさまに委ねて、静かに待ちたいと思います。

とむらう【弔う】
1 人の死を悲しみいたんで、遺族におくやみを言う。
2 死者の霊を慰めるために追善供養を営む。

(デジタル大辞泉)

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Schedule

Event / Exhibition / WS
*医療者向け研修会  ゲストスピーカー (兵庫県西宮市) *closed
*「“まなざし”と“声”を綴じる」ZINEワークショップ 大学の看護学科(兵庫県神戸市)*closed
*「“大切なもの”を手製本に綴じる」ZINEワークショップ-関西学院大学 人間福祉学部 (兵庫県西宮市)*closed
10/13 「みんなのたからづかマチ文庫」2019年度キックオフ ゲスト-宝塚市立中央図書館 (兵庫県宝塚市)
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記憶のアトリエ
8/30,31 「記憶のアトリエ」 in トコテコ紙芝居小屋 (兵庫県宝塚市)
10/19「記憶のアトリエ」(大阪府大阪市)
11/9「記憶のアトリエ」in 幸ハウス(静岡県富士市)
「記憶のアトリエ」 in トコテコ紙芝居小屋 (兵庫県宝塚市)は秋、冬も1回ずつ開催予定です

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