「わたしたち」#掬することば

「わたしたち」#掬することば

今年は阪神・淡路大震災から30年

1月17日は過ぎてしまいそうだけれど
行くと決めている展示があります

兵庫県立美術館
阪神・淡路大震災30年 企画展 1995 ⇄ 2025 30年目のわたしたち

震災から30年の節目
「阪神・淡路」のその後にも続く
各地の災害もまなざしながら
「わたしたち」を主語にした企画展だそう
(解釈が違っていたらごめんなさい)


震災直後の10歳の春から30年
被災者家族という立場で
被災地で過ごしてきたひとりとしても

喪失の「そのあと」をともに生きる術を求めて
地元の大学で死生学や参加型アクションリサーチなど
当事者の声なき声をみつめ、表現にたちあう
ソーシャルワークを専攻したひとりとしても

流産をともなう希少がんという
喪失体験の当事者として
10年の「そのあと」を生きてきたひとりとしても

「わたし」という主語で
少しずつ折り合いをつけながら
「わたしたち」という主語の中にも
「わたし」を見いだしてゆくというのは

当事者として、他者とともに、社会のなかで
「そのあと」を生きなおすために
必要不可欠な過程であったし
その過程にはアートの助けが大いにあったなと

そんなことを「わたしたち」という主語で
県立美術館が企画できるのは
30年という月日を経た
「阪神・淡路」だからこそなのかもしれないなと

個々の「わたし」の物語はいつまでも
それぞれに続いてゆくものであり
「わたしたち」を主語にする
難しさもあると思いますが
大きなことだなと、そんなことを想っています


がん経験者の立場としても
罹患から11年目を迎えるひとりとして
今年もがん体験をともにみつめる
さまざまな場にお声がけいただいています

長い年月を経て、喪失とともに生きていた
今のわたしを単に「時薬」で終わらせないこと

「わたし」という主語でいえなかった
(言えなかった・癒えなかった)
一つひとつを丁寧に掬い上げ
「わたし」の物語として他者と分かち合うこと

そしてわたしだけではなく
一人ひとりの患者の「わたし」
家族の「わたし」医療者の「わたし」

それぞれの「わたし」の物語を持ち寄り
「わたしたち」の物語を見いだしながら
それでもともに生きてゆく術を探り続けるのが
喪失の「そのあと」を生きている
自分の役割のひとつなのかなと思っています

春先にはひとつ「時間」をテーマに
がん体験をみつめる企画に
登壇することが決まっているので
そんなことをあらためて考えながら

さて、今日から仕事はじめです
がんばりましょう

わたくし【私】デジタル大辞泉

1 自分一人に関係のあること。個人的なこと。⇔公 (おおやけ) 。
2 公平さを欠いて、自分の都合や利益を優先すること。また、公共のための事物を私物化すること。
3 公然でないこと。秘密であること。

デジタル大辞泉

私達(わたくしたち)デジタル大辞泉

一人称の人代名詞。「わたくし(私)」の複数形。わたしたち。
デジタル大辞泉