「映画の都」に寄せるもの―歌劇のまちが抱く、もう一つの記憶【前篇】
「映画の都」に寄せるもの―歌劇のまちが抱く、もう一つの記憶【後篇】
この記事は、2013年5月に宣伝会議主催の「編集・ライター養成講座」卒業制作として宝塚のまちと映画、そして宝塚市内唯一の映画館「宝塚シネ・ピピア」について書いたものです。
となりまちで育った私にとって、宝塚シネ・ピピアは初めて訪れたミニシアター。一時期東京へ越して疎遠になったものの、帰阪して数年にぶりに再訪したのがまちの映画館の閉館ラッシュが続いていた2012年。ネットニュースで閉館の報道を目にすることも増え、その記事で初めて知る映画館の歴史やそこに寄せられる思い出と閉館という事実とのコントラストに何とも言えないもどかしさを感じていました。
そんな折に宝塚シネ・ピピアで行われた宝塚映画祭のプレイベントに参加する機会があり、宝塚はかつて宝塚映画製作所があり多くの映画がつくられていたまちだと知りました。その事実に引き寄せられるように映画館との関わりも深まったものの、たった30年ほど前の話なのに、宝塚で育った友人たちですら映画製作所があったことなど知らないという状況。若い世代にはすでに過去の記憶になりつつあるこのまちの歩みを、若い世代の目線で辿り、記してみたい気持ちが大きくなりました。そんな経緯で取材を行いつくり上げたこのインタビュー記事、Webサイトの名前にもなっている「michi-siruve(みちしるべ)」の第一号です。とあるまちと映画館の歩んできた道を知るきっかけになればとこのサイトにも掲載させていただきます。
快く取材にご協力くださり、掲載許可もくださった宝塚シネ・ピピアの景山理支配人、ならびにその他関係者の皆さまにはあらためて御礼を申し上げます。