2016-09-23

「編むこと」と「綴じること」

tenohira30

一週間ほど前、編集者の先輩と「編むこと」と「綴じること」についてお話する機会がありました。

2015年1月、がん闘病明けの私が祖母の遺品をZINEに綴じて展示をした時から見てくださっているその先輩。くるりと展示を見て「“編集”というより“綴じる”という感じ」と、その後の活動の軸になる言葉をくださった方でもあります。

様々な書籍の編集をはじめとして“編むこと”を生業としているその方にとって、編集とは「伝わるようにわかりやすくする」こと。私のように極力“綴じる”に留めるという行為は、編集のほんの一部分だけに留まっている状態ですが。きちんと編集という工程を経てこそ形になるものや美しさもあれば、綴じるという範囲に留めるからこそ立ち上がってくるものもあるねと、面白がって色々と声をかけてくださって、いつも色々な気づきをいただきます。その日もお互いに気になることを尋ねながら、何となく心にあるものをあらわす言葉探して「編むこと」と「綴じること」をあれこれと。

誰かと語り合うからこそ気づくことって本当にたくさんあります。整理をかねて、その時間とそのあと「掌の記憶」をあらわす言葉として浮かんだものをここに並べてみます。

 

“記録”ではなく“記憶”
“思い出”ではなく“記憶”

“在るもの”と“気配”を捉えた写真
“その奥”から湧きあがる語り
“欠片”を集めて“余白”をもって
“時間”の“連なり”をそのままに
“綴じる”ことで“思い起こされる”
“個人的”でも“誰しもが通じるもの”

和紙の“あたたかさ”と“抱く力”
“滲み”を補う“イメージの力”
“向き合う”ではなく“見つめる”
“寄り添う”ではなく “時間を共にする”

“編む”よりも“ありのまま”
ただ“束ねる”ではなく意図をもって“綴じる”

“作品” ではなく “預かりもの”
“福祉”に満たない “贈りもの”

“そのもの”ではなく“呼び水”
“つくること”と“手にとり共有すること”
“たくさんの人へ”ではなく“掌から掌へ”

だからこそ“預かって” “綴じて” “贈る”
“共有”して掌から掌へ“つなぐ”

 

この言葉を今一度見つめ直して考えたいと思います。

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michi-siruve (みちしるべ)
“記憶”を綴じるZINE作家。「掌の記憶」を綴じながら、日本のまちを巡っています。>>詳しくはこちら
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