「96歳の祖父から聴いた、戦争とそのあとの日々の記憶」#掬することば

(この文章はnote「掬することば」からの転載です)

わたしの祖父は今年で96歳。大正13年に大阪で生まれ、終戦を迎えた75年前の今日は21歳、通信兵として中国の北京にいました。

6年前に祖母が他界し、わたしが祖母の遺品と家族の記憶をZINEに綴じた頃から、遊びに行く度に昔の思い出話をしてくれるようになった祖父。3年前、「90歳ヒアリング」という昔の暮らしの知恵を辿るプロジェクトの枠組みを借りて、何回かに分けて家具大工だった祖父が生まれてから今日までのことをじっくり聴き、「掌の記憶」に綴じました。

自分の意志と関係なく戦争のある時代に生まれ、その時代の流れの中で生きてゆくしかなった。その中でも自分なりの善を失うことなく、今日まで必死に生きてきた一人のまなざしから辿る戦争、そしてそのあと。

掌の記憶」では、今までもお孫さんからのご依頼で、お孫さんと一緒におじいさまおばあさまの記憶を辿る機会を度々いただいてきました。必死に生きてきた人たちの声を聴くたびに、もっと聴きたいし、それが今日を生きるわたしたちができることの一つだと改めて感じています。

「掌の記憶」を通してお預かりする記憶は、とても個人的で大切な記憶です。そのため、すべてを綴じて世の中にひらくことはせず、本に綴じるのは、聴いた話のほんの一部。Webに掲載しているものは本の内容より限定しているので伝わるものは僅かかもしれません。

それでも今日という日に、戦地に赴き終戦を迎えるまでの21年、そのあと75年を語ってくれた祖父の記憶の欠片を、覗いていただけたらと思います。

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