2024年2月12日(月・祝)大阪大学中之島センターで開催された第4期がんプロ 第2回大阪大学拠点合同研修会&患者交流会にがん経験者として登壇しました。
【次世代のがんプロフェッショナル養成プラン】は、「地域に生き未来に繋ぐ高度がん医療人の養成」という言葉のもと、大阪大学、京都府立医科大学、和歌山県立医科大学、奈良県立医科大学、兵庫県立大学、森ノ宮医療大学の6大学が連携して取り組まれている事業。この日は午前中に4つの基調講演からなる合同研修会、午後からは年齢もがん種もご経験もさまざまな5名のがん経験者・ご家族による体験談が開催されました。
今回は昨年「医学生・研修医のための腫瘍内科セミナー」や奈良県総合医療センターの「あをによし祭(病院まつり)」でご一緒した浦嶋偉晃さんの推薦で、患者交流会のスピーカーの一人として登壇する機会をいただきました。6大学にはわたしががん治療でお世話になった大学病院も含まれていたこともあり、10年の節目にこのような機会をいただけたことをかみしめながら午前中の研修会から参加させていただき、いろんなことを感じ、考える一日となりました。
体験談については、“患者が「いえる(言える・癒える)」助けとなる関わりとは”~AYA世代で希少がんを経験した10年を振り返って~というタイトルで、自分のがん体験の中心にある患者としての「いえなかった(言えなかった・癒えなかった)」と、「いえた(言えた・癒えた)」の体験をお話しました。
これまでもさまざまな研修会や学会でご依頼いただきその都度体験をみつめなおしながらお話してきたテーマではありますが、がんになり丸10年の節目になる今回は過去9年とは少し響きが違ってきたように思います。
「いえなかった(言えなかった・癒えなかった)」についてはより深く患者としての体験の言語化を、それ以上に「いえた(言えた・癒えた)」の比重が大きくなっているような。
それは10年という月日をかけて出会いなおしたさまざまな立場の方との丁寧な関わりと対話の中で、患者として抱え続けてきたいたみを少しずつ「言える」ようになり、少しずつ「癒えて」きたからなのかもしれません。
今手のなかにあるその実感をスライドにまとめてお話してきました。記録としてスライドの一部を置いておきます。
相変わらず「話す」のは得意ではなく前向きな体験談でもないので、日々治療に尽力してくださっている医療者のみなさんの前でお話することにいつも後ろめたさのようなものを抱えながらの登壇ですが、今回の登壇がきっかけで忘れられない宝物をいただきました。
それは、10年前のがん治療の入院中にずっと真摯に向き合ってくださった担当看護師さんとの再会でした。体験談の後の質疑応答で質問してくださり、お顔を見て声を聴いた瞬間に10年前の病棟の記憶が鮮明に思い出されました。
当時、すっかり殻に閉じこもっていた患者のわたしに誰よりも誠実に向き合ってくださった方。看護師さんもわたしに気づいて質問してくださっているのだなというのが伝わってきて、胸がいっぱいになりながら問いに対して今のわたしが感じることを言葉を探してお答えしました。
交流会後にも声をかけてくださり、もう涙でいっぱいになりながら10年前のお詫びとお礼をお伝えし、命を助けてもらった恩返しが少しでもできたらとこの10年患者としてがん医療について学びながらできることを重ねてきた道のりをお話しました。
看護師さんもまた、この10年患者さんのことを想いがん看護に真摯に向き合い続けてこられたというお話を伺い、こんなにも想ってくださっていた方に支えられていた自分は幸せものだったんだなと。過去の自分の記憶も、当時の自分自身も、少し書き換えられたような再会となりました。
罹患当時孤独に感じていた治療の場には、医療者のみなさんの数多の想いや取り組みの積み重ねがあることも、患者として感じとりながら生きてゆけたらと改めて思いますし、患者人生の1ページがまたひとつ増え、本当に忘れられない夜となりました。
貴重な機会をくださったみなさん、あたたかく接してくださったみなさんお一人おひとりへの感謝の気持ちを忘れずに、これからもできることを重ねていきたいと思います。本当にありがとうございました。