2023年7月、金城学院大学 人間科学部 コミュニティ福祉学科の「現代社会問題」という講義のゲストスピーカーとしておはなしする機会をいただきました。声をかけてくださったのは、橋川健祐先生。学生時代、関西学院大学 社会学部 社会福祉学科でともに学んだ同級生でもあります。
2017年は関西学院大学、2019年、2020年、2021年、2022年は金城学院大学の橋川先生が担当されている講義で学生のみなさんと時間をともにする機会をいただきました。2020年~2022年はコロナ禍やこちらの都合もありオンラインでの事前収録という形でしたが、今年は4年ぶりに対面での講義で、名古屋にある金城学院大学のキャンパスまで伺うことができました。
金城学院大学のコミュニティ福祉学科では、“社会に積極的に参加し、多様な地域住民とともにすべての人々が幸せに暮らすことができる社会をつくる一人に育って欲しい”という想いから「ソーシャルウーマン」ということばを掲げ、さまざまな学びや実践の場を提供されています。
社会福祉での学びと若年の希少がん患者としての経験を生かして、地域のなかのさまざまな当事者や専門職の方と協働しているmichi-siruveの活動も「ソーシャルウーマン」の一つの形なのでは? そんな視座から心を寄せていただき、毎年学生のみなさんにお話する機会をいただいています。
そして、橋川先生の「現代社会問題」は、社会問題を社会福祉というまなざしで捉えることだけでなく、きちんと「自分事として考える」ために社会問題の当事者や支援者の方がゲストスピーカーとして学生のみなさんと関わることも大切にされている講義です。コミュニティ福祉学科の学生だけではなく、同じ人間科学部の現代子ども教育学科、現代子ども学科、多元心理学科の学生さんも受講されています。
わたしは毎年カリキュラムの後半で、若くしてがんを経験した当事者として、これまでの歩みを通して社会のなかで感じてきたことを中心に、当事者・専門職のみなさんと重ねてきた協働の足跡も交えて学生のみなさんにお話ししています。毎年悩みながらですが、100名以上の学生のみなさんからいただく感想を真摯に受けとめ、その声を糧に毎年少しずつ形を変えながらお届けしてきました。
これまでの4年間は「現代社会問題」という言葉に寄せて、社会問題としての「がん」にまつわる情報や知識のレクチャーに講義全体の半分を、残りの半分で当事者としての「わたし」のがん体験をお伝えするような構成を守ってきました。でもその構成では、橋川先生のオーダーにあった「自分事として考える」まで届ける難しさも感じてきました。
もう一歩「自分事」、つまりは学生さんの「わたし」にできる限り近づく術はないのだろうか?
そんな想いから今年は実験的な試みとして、タイトルを「“わたし”からともにみつめる当事者体験」に変え、社会問題としての「がん」の知識や情報の部分はぐっと圧縮して、わたしの体験も含めた患者一人ひとりの「わたし」とそのグラデーションをできる限り丁寧に伝えて感じていただけるような構成にしました。
また、今回の講義では橋川先生とのつながりで同じ金城学院大学 看護学部の纐纈ゆき先生、清水智子先生、久保あゆみ先生、わたしとのつながりでこの春に「記憶のアトリエ」でご一緒したNPO法人 いのちのケアネットワークの代表であり、椙山女学院大学 人間関係学部 人間関係学科の先生でもある森川和珠さんもお越しくださり、講義の後の学生のみなさんからの質疑応答の時間では4人の先生のご経験や想いも交えながら「わたし」についてともに考える時間を過ごすことができました。
講義の内容にも少し触れながら、その90分でともにみつめたことをここでも少しだけ共有できたらと思います。
講義では最初に、~これまでの「わたし」~というテーマで、がんの治療中から治療後、当事者として本音が「いえなかった(言えないから癒えなかった)」という体験に重きをおいてお話しました。
そのいえなさは、「がん」そのものや「治療」そのもの……つまりは「当事者であること」そのものがもたらすつらさよりも、「社会との関わり」のなかで生じるつらさの方が大きく影響していたという切り口で、周囲の関わりの具体的な「声」や受けとった時の心情なども交えてお伝えしました。
この描写から「他者と関わりあうことや分かりあうことの難しさ」や「周囲に本音を伝えることの難しさ」について、学生のみなさんの「わたし(これまでの人生)」を重ねながら、この先の人生で同じような状況になった時、自分はどんな風に周囲と関わってゆくことができるのかを考えながらコメントを紡いでくださっているコメントが多くありました。
わたしほどに「いえない」当事者ばかりではないことを考えると、「偏ったことをお伝えしてしまったのでは?」「関わりあうことをに不安を与えてしまったのでは?」という反省も尽きませんが、それでも「いえなさ」があるということの共有から育まれるものがあってくれたら嬉しいなと思います。
次に、~いまの「わたし」~というテーマで、治療後のいえなさを表現するきっかけをくれた医療や福祉・アートの専門職のみなさん関わりのなかで少しずついえる(言える・癒える)ようになった日々の記憶をお伝えしました。
そして最後は、~これからの「わたしたち」~というテーマで、患者だけでなくご家族や医療者・支援者のみなさんとの重ねてきた協働から、病院や地域でひらいている移動アトリエ「記憶のアトリエ」の活動と、特に若年層の「がん」に関わる啓発や報道について一部を紹介しながら、そのありかたについて考えていることもお話しました。
特に、がんをとりまく啓発や報道のトピックについては社会に対して「知ってもらいたい」と発信する事柄について、さまざまな理由で「“そうあれない”当事者もいないだろうか?」と想像することを大切にしてほしいという想いを、実際にこの9年できいていた当事者の友人たちの声や自らの体験を交えてお伝えしました。
「そうあれない誰か」を配慮することは、この情報に溢れた現代で「すべての市民に、広く確かに届けること」との両立を難しくする側面もあるのかもしれませんが、「届けたい」という想いゆえに強く響かせるために尖らせた発信が広める偏った理解が、当事者を追いつめている現実もあります。
啓発や報道の影に隠れたそのような当事者の声なき苦しみも知ることで、何かの情報を受けとった時に「そうあれない誰か」はいないか、想像する一助になれば……。そんな風にちいさな思いやりの種を手渡し育むことが、さまざまな人たちの声をきき、サバイバーとして今日を生きるわたしにできることかなと時間を注いで自分なりに真摯にお伝えしました。
この啓発と報道についてここまで踏み込んだのは今回の講義が初めてでしたが、学生のみなさんもそれぞれの体験を辿りながら、がんに関わらず「そうあれない」を想う大切さを感じてくださっていたのが印象的でした。この「そうあれない」無限のグラデーションのなかで、わたしがお伝えできたのはほんの一部で力不足も感じますが、どうかお伝えしたことだけにとらわれず、視野を広げるきっかけにしていただけたらと願っています。
また、今年の講義のあとの質疑応答では、例年以上に「わたし」と周囲の人との関わりについての質問をたくさんいただき、いくつも忘れられない瞬間がありました。
ある学生さんのまっすぐな問いに対して、どうしてもお渡しできる唯一の答えが見つけられず、講義をきいてくださっていた先生に助けを求めて代わりに答えていただいた場面がありました。
わたしはその場で答えられなかった自分を「学生さんの問いに対して言葉にすることから逃げてしまったのではないか」と自分を責めていたのですが、学生のみなさんのコメントを読むと、それは「問いに答えられない」という当事者のリアルな姿としても伝わったようでした。
さらに、戸惑ってしまったわたしからのバトンを受けとり、当事者と向き合う専門職のまなざしから学生さんの問いに真摯に応えて言葉のバトンをつないでくださった先生の声があったことで、そんな誰か(当事者)と関わる一つのありかたも、学生のみなさんがそれぞれに感じてくださったようでした。
ほかにも、先生方が専門職として抱える葛藤を問いとして共有してくださり、わたしが答える場面もありました。そのようなやりとりの時間も含めて、先生方の存在や声があったことで、それぞれの「わたし」が抱えるものや、その関わりあいのなかにあるリアルなものを学生のみなさんにも感じていただける時間になったのかなと。その結果として、自分や誰かとの関わりのなかでの「がん」や「当事者」というものを、例年よりも立体的に捉えていただけたのかなとも感じています。
それは、わたし一人の語りではお贈りできなかったものだと思いますし、橋川先生も含めた5人の先生方と一緒に学生のみなさんと過ごすことができて本当に良かったなと感謝の気持ちでいっぱいです。
先生方、そして受講してくださった学生のみなさん、本当にありがとうございました。この90分でみなさんの心になにかが宿り、社会の思いやりが育まれてゆく一助となれば……そんなことを願いながら、関西からではありますが、みなさんのこれからを陰ながら応援しています。
何より、その後の丁寧な振り返りも含めて、経験や立場をこえてこれからをともに考えてゆくための種を今年もたくさんいただきました。受けとった種は、次に出会うみなさんとの時間に向けて大切に育んでゆきます。本当にありがとうございました。本当にありがとうございました。