【Report】「当事者の声から生まれるもの」 @金城学院大学 人間科学部 コミュニティ福祉学科

20220707_現代社会問題スライド01の写真

2022年7月、金城学院大学 人間科学部 コミュニティ福祉学科の「現代社会問題」という講義のゲストスピーカーとしておはなしする機会をいただきました。声をかけてくださったのは、橋川健祐先生。学生時代、関西学院大学 社会学部 社会福祉学科でともに学んだ同級生でもあります。

2017年は関西学院大学で、2019年2020年2021年は金城学院大学で、橋川先生が担当されている講義のなかで学生のみなさんと時間をともにする機会をいただき、今年もオンラインの事前収録という形でしたがゲストスピーカーとしてお話させていただきました。


金城学院大学のコミュニティ福祉学科では、“社会に積極的に参加し、多様な地域住民とともにすべての人々が幸せに暮らすことができる社会をつくる一人に育って欲しい”という想いから「ソーシャルウーマン」ということばを掲げ、さまざまな学びや実践の場を提供されています。

社会福祉での学びと若年の希少がん患者としての経験を生かして、地域のなかのさまざまな当事者や専門職の方と協働しているmichi-siruveの活動も、「ソーシャルウーマン」の一つの形なのでは? そんな視座から心を寄せていただき、少し離れた関西から、毎年学生のみなさんにお話する機会をいただいています。

4年続けてお伺いしている橋川先生の「現代社会問題」は、社会問題を「自分事として考える」きっかけをつくるためにさまざまな社会問題の当事者や支援者の方がゲストスピーカーとして学生のみなさんと関わることも大切にされている講義。

わたしは若くしてがんを経験した当事者として、社会のなかで感じてきたことを中心に、当事者や専門職のみなさんと重ねてきた協働の足跡も交えて学生のみなさんにお話ししています。

「自分事として考える」とても大切だけれど、とても難しいことだな…と毎年悩みながらですが、出来る限り他の当事者経験とも重なるような根っこの部分をお伝えできたらと、毎年学生のみなさんからいただく感想をもとに少しずつ形を変えてお届けしています。


今年は講義のタイトルを、これまでの「当事者の声を社会に届ける」から「当事者の声から生まれるもの」に変えました。

8年間当事者として声を届け続けた結果として、出会ったさまざまな立場のみなさんと生まれた協働の足跡。

今年は橋川先生が担当されている別の講義で、社会問題や社会課題を解決するためのプロジェクトの立案から実践までを学生のみなさんが企業や社会福祉法人の方々と協働されている様子を覗かせていただく機会もあり(U-Bag [ビニール傘袋 削減プロジェクト])、学生のみなさんが今後の学生生活で体験するかもしれない「協働」と重なりそうな事例や実践の紹介として、がん患者として他職種と重ねてきた「協働」についても少し触れる構成にしました。

もうひとつ今年あらたに加えたのが、講義の冒頭に追加した「当事者って誰のこと?」「当事者の声をきくとき、何を、どんな風にきいていますか?」という2つのちいさな問いでした。

「自分事として考える」という橋川先生の言葉と学生のみなさんからの感想、そして橋川先生との講義後の振り返りの時間。4年間重ねてきたやりとりとりで感じてきた「当事者」と「自分事」をより深く見つめるために追加したスライドですが、どうだったでしょうか。

「当事者」とは誰なのか、「当事者の声をきく」にはどんなことが大切なのか、どうして当事者が(「つらい」「助けて」を)言えなくなってしまうのか。手渡した問いに自分なりの想いや考えを綴ってくださるご感想もいただき、問いを手渡すことの力も再認識しました。

お話が60分と、残りの30分は橋川先生との対話の時間。その足跡をすべてをお伝えするのは難しいですが、今年お渡しした欠片をここにも置いておきます。

もうひとつ今年ならではのトピックとして、今年の夏は同時期に3つの異なる学問……「社会福祉」「音楽」「心理」を専攻する学生のみなさんとも講義を通して交流するという貴重な機会をいただきました。

驚いたのは、感想としていただいた学生のみなさんからいただいた声の一つひとつに、専攻されている学問が持つ社会へのまなざしの向けかたや、人との関わりかたの異なりを強く感じたことでした。

もちろん学生のみなさんお一人おひとりの個性や、その土地の色、師事されている先生のフィールドの個性もあるという前提はありますが、言葉の一つひとつに、その言葉の基となるそれぞれの学問の姿勢のようなものも感じるような。

「音楽」ってなんだろう?「心理」ってなんだろう? 異なる専攻の学生のみなさんと関わるなかであらためて感じた、自らも学び、そして今の活動のもととなっている「社会福祉」ってなんだろう?という問い。

そんな風にあらためてそれぞれの学問の輪郭を見つめるきっかけをいただき、これはもう少し勉強しなくてはといろんな人に尋ねているうちに半年も経っていました。結局その異なりをきちんと捉えることはできておらず、まだまだ探求の旅路の途中ですが……これは時間をかけて考え続ける問いなのかなと。いったんは今年の振り返りとして学生のみなさんからいただいた「声」をじっくり読み返し、今わたしなりに感じていることを綴りのこしたいと思います。


「現代社会問題」の講義を通して、学生のみなさんからいただいたコメントから感じたのは「捉える」というまなざしでした。

とら・える【捉える】
1㋐ある物事を確実に自分のものとする。手に入れる。
 ㋑物事の本質・内容などを理解して自分のものとする。把握する。
2感覚にはっきりと感じとる。
3 ある部分を特にとりたてて問題とする。それにこだわる。「言葉じりを―・える」
4 (「心をとらえる」「人をとらえる」などの形で)強く関心を引く。自分に引きつけて影響を与える。

デジタル大辞泉

「あなた」(相手)という目の前の当事者の置かれている状況も含めて「知ろう」とする相手を想う気持ちと、支援者としての「わたし」の距離のとりかた、探りかた。そして当事者だけではなく、社会全体も見つめて関わりながら、時には関わりのなかで生じている理不尽や、社会側の不条理に対しても必要なアクションを起こしてゆく。そのバランス感覚を支える「捉える」という関わりは、「社会」のなかの「あなた」と「わたし」、そして社会全体の「福祉」を願うまなざしを携えた、社会福祉ならではの関わりかたなのかもしれません。

一方で、橋川先生の「自分事として考える」という依頼は、「捉える」だけでは分かちあい、分かりあうことができない何かのために必要なもののような気もします。「他人の事」として距離をとって関わるだけでは見えてこない、当事者一人ひとりが抱えるもの。本当の意味で「自分事として考える」ために、「捉える」の手前に必要なこと。それを一緒に考えるのが、学生時代に社会福祉を学び、今当事者として社会と関わりを持っているわたしの役目なのかもしれません。

その意味では、「自分事」の体験のために当事者としてお話しするわたしができることは、まだまだあるんじゃないかとも。大学の教室と空間、講義という時間だからこそできることももっと考えて、いっそう真摯に応えてゆきたいとも思いました。「自分事として考える」毎年のことながら反省ばかりのスピーカーですが、今年もまたお声がけくださり、こうして考える機会をくださった橋川先生、そして受講してくださった学生のみなさんには感謝の気持ちでいっぱいです。

願わくば、今年手渡した言葉のなかで一つでも、なんらか受けとってくださるみなさんの心の種となり、社会の思いやりを育んでいく一助となれば……そんなことを願いながら、関西からではありますが、みなさんのこれからを陰ながら応援しています。本当にありがとうございました。

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