【Report】「“心の種”に耳を澄ませる」@フェリス女学院大学 音楽学部 音楽芸術学科

2022年7月、フェリス女学院大学 音楽学部 音楽芸術学科の「医療と音楽」という講義のゲストスピーカーとしておはなしする機会をいただきました。

声をかけてくださったのは、この春『M-Educational CAFÉ ~ラジオみたいなの~』でご一緒した緩和ケア医の儀賀理暁さん。

“記憶”という言葉のもと、ZINE(ジン)という手製本の制作を通して患者さんやご家族、医療者のみなさんと関わるmichi-siruveの制作活動に関心を寄せてくださり、「学生たちにもぜひ」と、儀賀さんが担当されている主に音楽を専攻する学生のみなさんが受講する講義にゲストスピーカーとして伺うことになりました。


講義の名前は「医療と音楽」。医療も音楽もがん患者として、そしてリスナーとしていのちを助けてもらった存在ですが、わたし自身がその分野の専門職という訳ではなく「何をどうお話したらよいのだろう…」と戸惑ったのが正直な気持ちでした。

しかも「医療の(なかの)音楽」ではなく「医療と音楽」。聞き馴染みのある音楽療法という言葉の枠よりはもっと広い海が広がっているような。緩和ケアというまなざしを持つ儀賀さんが、半年かけて学生のみなさんに届けておられる医療と音楽は、いったいどんなものなのだろう?

もっというと、大学で音楽芸術を専攻されているどんな学生のみなさんにとって、医療や音楽とはどのような存在なのだろう?

そしてこの大学の音楽学部はどんな学び舎なのだろう?そんな問いの山を見上げながらもくもくと想像を膨らませていると、儀賀さんからこんなメッセージが届きました。

理想は「生ZINE」
講義・講演だけではなく、その中に手と心を動かす時間があって欲しい……

その短いメッセージの奥にあるものを自分なりに想像しながら、こんなお返事をお送りしました。

生ZINE……手と心を動かすこと……初めての試みですが、心と音楽に触れるようなテーマで、少しだけご自身の心を見つめる時間とそれを小さく交わし合う時間が作れないか考えてみますね。

学生のみなさんが7月9日の講義までにどんなテーマの講義を経験されるのか、教えていただくことはできますか?どんな学びの流れの先で学生のみなさんと出会うのかイメージしやすくなります。

ほどなくして講義の構成の参考にとご共有くださった授業計画が記されたスライドには、毎週木曜日に小さな問いや言葉が置かれていました。

「命ってなんだろう?」
「死ってなんだろう?」
「自分らしさとは?」
「緩和ケアとは?」
「いのちの音楽性とは?」

ほんの一部ですが、そっと置かれているその短い問いを見つめるだけでも、何か心の奥の深いところまで潜ってゆくような。

「わたしも一緒に聴講したいな……」そんな気持ちでいっぱいになりながら、学生のみなさんがこの半年間の学びの旅で体験されるであろうものや見つめる先を想像しながら、7月9日の90分で手渡すものを考えました。


講義に関連しそうなさまざまなことを調べながら、考え続けること2か月あまり。捻りだしたタイトルは「“心の種”に耳を澄ませる」でした。「手と心を動かす時間」という言葉を真ん中に置いて、2部構成の講義にしました。

第1部は60分。~“きく”を巡る記憶~として、わたしの経験談……被災者の家族・友人、患者家族(遺族)、そして流産からのがん治療を経験したがん患者としての経験と、そこから生まれた手製本の活動について。

震災という大きな喪失が横たわる町で育ちながら、“きこえてこなかった”ことと“きこえてきた”こと。患者家族、そして患者として経験した“ことばにできない”(きかれない、いえない)いたみのこと。そし患者として綴じてきた手製本のこと、病院や地域で患者さんさんやご家族、医療者のみなさんとともに時間を過ごしている移動アトリエで感じてきたことをシェアする時間として一筋の流れをつくりました。

第2部は~手と心を動かす時間~として、第1部の60分で感じたことを見つめたり、書き綴ったり、誰かと共有したり。まだまだ感染症の不安も強かった時期だったので、お一人おひとりの安心に配慮しつつ、それでも学生のみなさんが何か手を動かしながら、“心を動かす”時間にできたら……そんな気持ちと「記憶のアトリエ」にある色とりどりの紙片を携え、休講となった講義の補講としてひらかれた7月9日(土)の朝、フェリス女学院大学まで伺いました。

まだまだ感染症の不安もあるなかではありましたが、教室とオンラインとで集ってくださった学生のみなさん。平日よりも少しだけ緩やかな時が流れる土曜日の教室から生まれる、儀賀さんが毎週木曜日に少しずつ耕してこられたふかふかな学びの時間。

入口に並べた紙片から2枚を選んでいただくところからはじまり、静かに真摯に耳を傾けてくださる学生のみなさんの感性をひしひしと感じながらの90分でした。

感じたことすべてを文章にすることはできませんが、ほんの欠片、スライドにこめた記憶のなかの風景と、言葉たちをここにも置いておきます。

土曜日ということもあり、講義のあとも学生のみなさんとゆっくりおはなしすることができました。

「手と心を動かす時間」で紙片に綴ったことばを手に、講義で感じたこと、思い浮かんだことを共有してくださった方。アトリエの紙片を大切な友人に贈りたいと、1枚1枚の色や手触りを感じとりながら、そのご友人にぴったりの紙片をじっくり選んでくださった方。儀賀さんといろんなお話されていた方、michi-siruveの活動について質問をしてくださった方。

対面で学生さんお一人おひとりとおはなしできた時間も久しぶりで、それだけでも忘れられない時間となりました。


そして、大阪に戻ってほどなく届いた学生のみなさんからの感想が綴られたレポート。文章の長さに関係なく、みなさん自らが感じたことを“自分の言葉”に昇華させてメッセージを綴られていて、90分で感じたことにそれぞれの心のなかにある大切な記憶や、これからこうしていきたいという想いを織り込んで表現されている、その表現力に驚きました。

文章のなかに一人ひとりの音色やリズムが確かにあって、それはもう“音楽”そのものだなと。自らの感性を働かせ、しっかりと「わたし」を主語に表現する学生のみなさんの瑞々しい表現に、大学で芸術表現を学ぶことの意味や力を感じずにはいられませんでした。

なかには、講義用のスライドからあえて削除して言葉では伝えなかった大切なメッセージを「こう感じました」とそのまま感想として届けてくださった学生さんもいらっしゃいました。

「この部分は、言葉にして伝えても患者として心の奥で感じたその時の“ほんとう”には届かないのではないかな?」そう感じて言葉にしなかった、手渡した言葉の奥にある話し手の声にならない想い。そのきこえないものまでをも、しっかりときいて受けとってくださった“きく力”にただただ驚きました。

そんな風に瑞々しい感性で届けてくださった言葉と同じだけの鮮度で言葉を紡ぐのはなかなか難しくて、一通ずつお返事を綴るには随分と心と身体のストレッチが必要でしたが……使い古してきた表現はいったん横に置いて、レポートに綴られた言葉を真摯にきき、受けとった表現に対しての鮮度のある言葉を紡いで贈る。そのお一人おひとりとの対話の時間も含めて、誰よりも学びをいただいた時間でした。


言葉を失った自分とは違い、彼らはちゃんと表現する力を持っていますね。その源をそれとなく、ふわっと揺らして下さったんだなと。

講義のあと、儀賀さんと交わしたメッセージの一節です。「手と心を動かす時間」そのご依頼と響きあうような時間をお贈りすることはできたでしょうか。

この日、時間をともにした学生のみなさんと交わした“心の種”が、みなさんの心のどこかで育ち、いつかそれぞれの花がひらくことを願いながら……忘れられない時間をともにしてくださった儀賀さん、そして学生のみなさん、本当にありがとうございました。


この講義からほどなくして、儀賀さんから一篇の歌詞を受けとりました。講義のなかで紹介した『汀の虹』という豆本詩集のなかの一篇の詩から生まれた歌詞。

歌詞はその後メロディをともなった歌となり、2022年秋に大阪で開催された「ホスピタルアート in ギャラリー」という企画展で共同制作の作品として展示もさせていただけることになりました。

7月9日に交わした“心の種”から生まれた歌。種から育まれた花の一片として、こちらのご紹介も添えて「“心の種”に耳を澄ませる」の振り返りとさせていただきます。かけがえのない交流の記憶に感謝の気持ちをこめて。

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