『M-Educational CAFÉ』出演

医療と教育に関わる3名の“まなびすと”のみなさん~副島賢和さん、五十嵐友里さん、儀賀理暁さんがひらいていらっしゃる『M-Educational CAFÉ ~ラジオみたいなの~』にお声がけいただき、2022年4月11日(月)と4月25日(月)の2週にわたりゲスト出演させていただきました。

この2回分のラジオに、michi-siruveの制作活動と「記憶のアトリエ」の大切なところは全部つまっているのでは? わたし自身がその“大切”を忘れないためにも時々聴きかえしたくなる時間だったので、michi-siruveのサイトにもその夜の記憶を少しだけ置いておきます。

4月11日(月)の『M-Educational CAFÉ ~ラジオみたいなの~』その28では、最初に「ZINEってなに?」というお話から震災後の町で育ったことや患者家族として過ごしてきた日々のこと、福祉の学びへと進んだきっかけなど、ZINEに出会うまでの足跡を辿りなおすような時間でした。

「ことばを掬い上げて見つめる」
「語られないものの輪郭に踏み入らないように」
「忘れずに思いやりに変える」
「つくるプロセスと交わしあうことをたのしむ」
「編むと束ねるの間」
「批判や批評、比較の対象にならないように」
「素材が聴き手になってくれる」
「湧き上がってきたものを交わし合う」

『M-Educational CAFÉ』その28より

問いかけられたことばから記憶を手繰り寄せるうちに、ZINEやアトリエの活動のこれまでなかなかことばにする機会がなかった「記憶」を「綴じる」活動にこめた切実な想いも少しずつことばになってゆきました。

教育・医療・心理それぞれのまなざしに心や記憶も重ねながら聴いてくださるまなびすとのみなさん、そして視聴者のみなさんと交わした一声一声が心に響き、心がじんわりあたたかくなった夜でした。

4月25日(月)の『M-Educational CAFÉ ~ラジオみたいなの~』その29は、大切な友人たちと語り合うきっかけとなった、人生とともにある音楽の記憶のことから。

「好きな友達が『すごく好きだ~』と聴いたり話したりしていたのが彼らの音楽」
「対面で気持ちを交わしあうことが、音楽と密接だった時代だったのかな」
「する・されるという枠をどうやって外してゆくか」
「暮らしに追われている人一人ひとりと向き合う難しさ」
「(メディア制作が生んでしまう)取材、材料を取ってくるという行為」
「なるべくわたしがしない、でも手伝うという塩梅」
「矢印の届く位置や手触りを気にしながら」
「自分の気持ちを表現するには長い時間が必要」
「ここがあるよという場所を小さく置いておく」

『M-Educational CAFÉ』その29より

音楽の小話のあとは、これまで綴じてきたZINEについて。祖父を亡くしたかなしみを思いやりにかえて家族へ贈った最初のZINEと、そこから広がった家族の語りのこと。とても個人的なささやかな日常が他者の個人的な記憶と響きあう可能性。「一緒にする」「する をサポートする」の塩梅のこと。喪失のいたみをともなう心の声が、他者の心の声と重なりあったZINEのことなど……。

あまり話したことがなかった制作やアトリエの少し奥にある想いや記憶の数々をことばにした夜でした。「話す」のが苦手なわたしの、素直な声を引き出してくださり本当にありがとうございました。

最後に2つほど小さな反省も。まず1つ目。2回を通して聴いてくださった方は、初回では「(アトリエに訪れてくださった方の表現が)批判や批評、比較の対象にならないように」とお話していたのに、次の回で自分の制作したZINEを批評のフィールドに送り出したり、作品展示をしたりという試みをしてきた真反対のお話があったので「?」となった方もいらっしゃるかもしれません。

仕事では長年商業的な制作の現場で批判や批評、比較の対象になるものに携わってきた経験から、自分の制作したものはパブリックな空間で「どんな風に響くのか」を確かめるために、批評のフィールドに送りだし、作品展示というフィールドにも送り出すということもしてきました。

福祉で学んだ芯の部分を商業的な現場で培った技術で包みながら、身近な道具だけを使ってつくるZINEや記憶といったとてもささやかでパーソナルな表現を置くとどうなるのか?

長い時間をかけて場所や視点を変えてささやかなリサーチを重ね、自分ではない他者の表現に触れる活動へと広がりはじめた頃、“ 他者の切実さ” をまもるために辿りついたのが「記憶のアトリエ」という批判や批評、比較という矢からまもるささやかな表現の場でした。その流れも補足できた方が良かったなと……これが1つ目の小さな反省でした。

2つ目は、副島さんの「聴くをかたちにする」という問いに対して上手くお返事できなかったこと。その理由をぐるぐる考えて気づいたのが、そもそも「聴く」術をまだ持ち合わせていないのだろうなということでした。

そんな「聴く」ことができないわたしが今日までしてきたことは、「自分の声を聴いて、かたちする(認めてあげる)」ことだったのかなと。その声に触れた誰かの「わたしもしたい、してほしい」の声から一緒にできることを重ねる。その人がご自身の声を見つめることをサポートする。それが今のわたしができる「聴く」なのかなと思いました。

「聴く」ことの難しさを抱えながらも他者と何かを触れ交わす。難しさは日々痛感していますが、それでもやっぱりささやかでも触れ合い、交わし合いながらともに生きてゆけたらいいな。声を交わし、重なりあい、響きあう。そんな喜びを思い出させていただいたひとときでした。

まだまだ対面の交しあいが難しかった2022年の春に、あたたかい交流の機会をくださったまなびすとの副島さん、五十嵐さん、儀賀さん、そして視聴者のみなさん本当にありがとうございました。いつかZINEとともに、アトリエでお会いできる日をたのしみにしています。

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