「種(たね)」#掬することば

先週末のこと、代官山にあるatelier goen°さんで開催中の「Dear Mr.Children展」を観に行くことができました。

Mr.Childrenさんの30周年とgoen°さんの15周年を記念しての開催。Mr.Childrenのアートワークからgoen°の森本千絵さんが関わってこられたデザインの軌跡がatelierのあちこち散りばめられていて、記憶の宝箱のような空間でした。


“自分の音楽”を聴きはじめる最初の一歩の頃から彼らの音楽が響いていた世代ということもあり、Mr.Childrenの音楽の記憶はもうそのまま人生の記憶。

展示を一緒に観に行った小学校時代からの同級生の夫も、大学の部活のチームメイトも、制作の現場で苦楽をともにした同期も。大好きな友人はみんなMr.Childrenの音楽が大好きで、ずっと大切に聴いていました。そんな大切な音楽を一緒に聴いていると、その友人たちの“大好き”や“大切”とともに心の声を聴くことができる。それがわたしにとっての彼らの音楽でした。

もちろんこれまでの人生には他にもたくさんの音楽があって、音楽だけではなく本や映画やいろんな表現に触れて交換しあった記憶もたくさんあるけれど。Mr.Childrenの音楽の記憶にはとりわけ、“聴き手の心の内にある声”を聴くことができる瞬間がたくさんあったような。

震災後の町で「語(ら)れない」ものに囲まれて育ってきたわたしにとって、 彼らの音楽とともに語られる、彼らの音楽があるからこそ聴くことができる友人たちの心の声を聴くことができる瞬間はたまらなく嬉しくて、リズムとメロディーに聴き手の心の鈴の音を重ねながら、一曲一曲に折々の記憶を重ねて聴いてきました。

そんな風に音楽を通して「聴く」喜びを重ねた経験は、「声にならない想い」を聴く術を学ぶために社会福祉を専攻するいう人生の選択につながり、その後絨毛がんという何もかもを失うような病を経験したあと、“自分のことば”を取り戻し、今を繋ぎなおすみちしるべにもなりました。ひとりの聴き手として、ありがとうの気持ちでいっぱいです。


Mr.Childrenのアートワークの数々も音楽と同じくらい深く愛されていて、そのなかでも森本さんのアートワークはことさら友人たちの笑顔とともにありました。

音楽が流れる瞬間の心の動きを、その一瞬を永遠にしてくれるような。たとえ再生機器がなくても手にとり触れるたびにその一瞬がふわっと立ち上がり、いつでも“今”と繋ぎなおしてくれるような。森本さんのアートワークにはいつもそんな不思議な風を感じるようなところがあって大好きでした。

展示として改めて一つずつ向き合っても、やっぱり記憶のなかの風がそよぐような。音楽のように空気自体を物理的に震わせる術はないのに、心の鈴を鳴らすことができるってすごいな。人生の記憶の1ページ1ページにあるCDや造本、広告の一つひとつに、目をキラキラさせて触れながらその細部に宿るものを教えてくれた友人たちの声やまなざしの記憶が重なり、また嬉しい気持ちになりました。

atelierにはそのアートワークの奥にある創造の種もたくさん展示されていて、一つひとつそっと覗き込みながら「だからDear Mr.Children展なのかな?」と胸がいっぱいに。制作者しか見ることができない景色を共有していただけたこと、ただただ感謝です。

と同時に「これからもずっと森本さんのアートワークで聴いていけたらいいな」と、そんな気持ちにもなりました。いち聴き手のささやかな願いですが、ここにそっと置いておきます。宝物のような軌跡をわたしたちにも見せてくださったgoen°のみなさん、本当にありがとうございました。


そんな記憶の宝箱からの帰り道、展示会場で再生された友人たちの懐かしい声を思い出しながら、3年ぶりのツアー「半世紀へのエントランス」の初日の記憶も重ねながら音楽やアートワークについてぐるぐる考えていると、最近ずっと向き合っていたあることばが思い浮かびました。

「やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける」

『古今和歌集』仮名序より

「ことば」や「声」「詩」「歌」そして「聴く」にまつわるあれこれを調べていた時に教えてもらった、日本で一番古い“言の葉(言葉)”ということばの記録の最初の一文。

人はどうして歌を詠むのか、歌とは、心とは、言の葉とは何なのか。千年以上も昔に編まれた『古今和歌集』の原文。この文章に続く一文一文を読み返すと、この30年聴いてきたことや展示で感じてきたこと、さまざまなことが重なります。

“心の種”に耳を澄まして生み出された表現が持つ、聴き手の“心の種”に響かせ、その人の“言の葉”を育んでゆく力。そしてその瞬間を共有した人の“心の種”が響きあってゆく力。

原文の意味からは逸れるかもしれないけれど、「さまざまな人の心に響く音楽」という視座でこの文章を見つめた時、“心の種”は創り手の心でもあり、聴き手の心でもあり。言の葉もかならずしも創り手の言葉(歌詞)だけではなくて、リズムやメロディ、演奏も含めた表現されるものすべて。聴き手の言の葉も、言葉だけではなくて、響きとともに生まれるものすべてなのかな。

その創り手としての表現を追求することと、聴き手の心と響きあうことを両立させている。フィールドは違えど制作の仕事に携わる一人として、そこにいつも感動します。

ライブの初日にMr.Childrenの田原さんが「演奏をしていると、みなさんの想いや思い出が水面に映る光のようにキラキラ輝いて見えてとても素敵で綺麗(聴き間違えていたらごめんなさい)」というようなこともおっしゃっていたけれど、それは聴き手の心のなかで育った言の葉の木漏れ日が、Mr.Childrenの音楽という陽に照らされて煌めいているからなのかもしれないな。そしてその空間には、森本さんのアートワークも音楽にはない華を咲かせてより奥行きをもって煌めいている。

Mr.Childrenの音楽と森本さんのアートワークとともに聴いてきた友人たちの声を通して感じてきたことは、“言の葉”の時代から綴られてきた歌と心の本質のひとひらなのかもしれないな。そしてそんな音楽とともに生きてこれたこと、その煌めきを「ライブ」という場で共有する喜びを感じられていること、本当に幸せなことだなと思います。


音楽やアートワークではないけれど、手製本やアトリエを通して「記憶」ということばのもとで「聴く」ことを続けている制作活動の原点も、きっとここにあるのだろうな。

時には喪失の記憶も含めた一人ひとりの表現と向きあう一人として、目の前の人の“心の種”に耳を澄ませる一人でありたいな。この30年の記憶を振り返りながら、そんなことを想った2022年梅雨入り前の晴れた休日でした。

胸いっぱいの展示の記憶を抱いたまま、ツアー最終日は思い出のつまった長居スタジアムへ。“心の種”に音楽をめいっぱい浴びてきます。

たね【種】
1 植物が発芽するもとになるもの。種子 (しゅし) 。

㋐人または動物の系統を伝えるもととなるもの。精子。
㋑(「胤」とも書く)血筋。血統。父親の血筋をさすことが多い。また、それを伝えるものとしての、子。
3 物事の起こる原因となるもの。
4 話や小説などの題材。
5 料理の材料。また、汁の実 (み) 。
6 裏に隠された仕掛け。
7 よりどころとするもの。
8 物の、質。

デジタル大辞泉
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