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「家の記憶」撮影 (2019)
3年前「掌の記憶」の取材で伺ったお家の方からのご依頼で、リフォーム前のお家の撮影をさせていただきました。
元々はとある建築家の方が設計し、住まわれていたお家。お家の半分が鉄筋で、もう半分は木造。お家の中心を螺旋階段が巡り、洋と和、石と木、光と影…さまざまなコントラストが美しいお家です。
ご依頼主のお父さまがこのお家を見つけ、住まわれて20年以上。リフォームの節目を迎え、その前に今のお家の記憶をのこしたいとお声がけくださいました。
ご依頼くださった方も写真を撮る方で、あえてわたしが撮る意味を見出すことができるのか不安だったのですが…お贈りした写真へのお返事を読んで、そこで生活していない撮り手だからこそまなざすことができるものもあるんだなと。わたし自身、ひとつ大きな気づきをいただきました。
暮らしの営みが続いている空間を写真でのこすという行為は、ハードルが高いところもあるかなと思います。でも、空間全体をおさめなくても、たとえばご家族の手が触れてきた扉だったり、壁や窓のちょっとしたディテールだったり、長年そこに在る置物だったり……そんな一部分をおさめるだけでも、家の記憶というものを美しくのこすことができます。
失われてしまったものを元に戻す力はありませんが「在るうちに」のこすお手伝いは少しはできるのかなと。写真から何かを想起したり、交わしたり。ご家族の記憶の呼び水に、またいつまでも手元にのこる記憶の欠片になるとうれしいです。
※許可をいただけたので、少しだけ記憶の欠片をおすそわけします。
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