【Report】#ミニアトリエ「大切なもの」を見つめる @関西学院大学人間福祉学部 人間科学科

2019年11月26日(火) 、関西学院大学 人間福祉学部 人間科学科 藤井美和先生のゼミで「大切なもの」を見つめるZINEワークショップをひらきました。

藤井先生のゼミにゲストスピーカーとして伺ったのは、今年の春のこと。「理代さんの体験をそのまま、学生にお話してください」とお声がけをいただいたので、同じ大学で社会福祉を学んだ卒業生として、がん患者・家族・遺族としての体験や、今病院などで医療や福祉の専門職の方々と一緒にひらいている「記憶のアトリエ」のことなどをありのままにおはなしました。

先生の声を聴くと、大学3年生の時に受講した「死生学」の講義を受けた14年前から今日までのさまざまな想いが巡ります。大学のWebサイトで先生が出演されている紹介映像は、今でも時々見返すことがあります。

「『あと少しの命』と言われた時、多くの人は『人は必ず死ぬものだ』という当たり前の事実を、自分のものとして受け止めることになります」

「そしてその時多くの人が、おそらく『残された時間をいかに生きようか』と考えると思います。死生学は死を含めて『生きること』を考える学問です」

「自分が大切に思っているものを獲得した時には喜びが大きいし、自分が大切に思っているものを失った時にはかなしみが大きい。喜びが大きかったり、かなしみが深かったりするところにある出来事が、自分の人生にとって非常に意味があるということ」(映像より)

がんという経験の「そのあと」を生きる日々の中で迷った時、また大切な誰かのいのちの灯が揺らぐ時、わたしが立ち返るのはいつも藤井美和先生のこの言葉です。「大切な記憶」を本に綴じるという活動を続けているのも当時先生から教わったことからつながっているもの。春学期はそんな在学中から今日までの足あとをおはなしました。

そして秋学期には、ゼミのみなさんにも「大切なもの」を本に綴じる体験をしていただくことに。「記憶のアトリエ」で並べている手製本や、本づくりの道具をみなさんの教室に持ち込み、ZINEワークショップをひらくお約束をしました。イメージを膨らませる種として、夏が終わる頃にお手紙のような案内文をお送りしました。

この秋、みなさんと一緒にひらくZINEワークショップのテーマは「大切なもの」です。

ゼミを通して「生きること」を見つめてこられたみなさんが、今「大切なもの」だと感じるものは何でしょう?それを小さな本におさまる範囲で綴じながら、今の自分を見つめなおしたり、ゼミのみなさんで読み交わしたり。そんなきっかけになる本づくりができたらなと思っています。

「大切なもの」……それは「かたちのある何か」かもしれませんし、心の中にある想い…「ことば」かもしれません。たくさんあるかもしれませんし、たったひとつかもしれません。今はひとつも見つからないかもしれません。

みなさんが今自分を見つめて思い浮かんだものと、その時心に浮かんだ気持ちだけお持ちください。それがみなさんの「まなざし」と「声」になります。

ワークショップまでに一つも思い浮かばなかったな…という時は、いつか大切なものが見つかった時におさめられるように、本の背景などの土台をつくる時間に。アトリエにあるたくさんの本やみなさんの制作の様子にも触れながら、一緒に考える時間にしましょう。

ひとまず、ワークショップの準備に必要なお知らせを3つ「本のかたちとページ数」「本の設計図」「持ちもの」を下記にまとめました。それぞれクリックすると、説明や写真が出てくるので、一度ご覧ください。

本のかたちやページ数

今回のワークショップは、全ページがうっすらと透ける袋になった小さな手製本『yohaku(よはく)』のB6変形判 (縦130mm×横182mm) 20Pをつかいます。それぞれのページの袋の中に、みなさんの大切なものをおさめます。綴じ糸はいろんな色のものを並べるので、当日好きな色をお選びください。

おさまるものは、縦128mm×横160mmの範囲のもの。例えば写真の場合は、L判なら縦横どちら向きでも、ポストカードも横向きなからすっぽりおさまります。全ぺージが袋になっているので、押し花や折り紙、封筒に入ったお手紙など厚みのあるものもおさまります。上の写真のようにアトリエにある紙に何かを書き綴り、その紙をおさめることもできます。

持ちもの

1.“大切なもの”
みなさんの“大切なもの”をあらわすことばや写真、イラストなどを自由にお持ちください。(選びきれない時は無理に選ばすに多目にお持ちください。アトリエで一緒に考えましょう)

※もしも写真をおさめる場合は、L判サイズの大きさのものが理想です。それより大きな写真は、「本の設計図」にあるサイズにおさまる範囲に縮小印刷してお持ちください。表紙などにも写真や絵など入れる場合は多目にお持ちください。アトリエには花や動物を描いたイラストやマスキングテープなどもたくさんありますので、何もなくても大丈夫です。

2.はさみ、のり
アトリエにもはさみとノリ(水ノリ、スティックのり、ボンド)はありますが、6つずつしかありません。シェアしながらになるので、ずっと手元に置きながら使いたい方は、ご自身の道具をお持ちください。

3.本を彩る文房具
使いたいお気に入りの文房具(ペンやマスキングテープなど)があればお持ちください。アトリエにある文房具やテープ、色紙なども自由にお使いいただけます。

そうして迎えた当日、ゼミの3年生と4年生、大学院生、そして先生、縁あって見学にいらっしゃった方がもうひとり。全部で17名の方がご参加くださいました。

まず最初に、17冊すべて違う色の綴じ糸で綴じた手製本から好きな色の1冊を選んでいただいて、制作の空間づくり。できるだけ隣や向かいに座る人の制作のリズムや表現も感じられるようにと、教室の机を6人組で小さく向かい合えるように並べかえ、3島をきゅっと集めて好きな席を選んでいただくかたちにしました。

事前にお伝えしていた1冊以外にも付録的にお使いいただける小さな本も並べると「わー!」手にとってくださる学生さんもいらっしゃって、わたしもにっこり。みなさんの手製本と席が決まったタイミングで、最初に先生が今日の時間についておはなくださいました。そのあとはわたしがバトンを受けとって、今日の流れを説明しました。

普段は病院やご家族のお家などで一日ひらいている「記憶のアトリエ」の空気を少し感じていただく時間であること。90分で1冊綴じることはきっと難しいので、焦らずできるところまで。持ち帰ってそれぞれの時間の中で完成するようなつもりで、ゆっくりたのしんで欲しいということ。お互いが何を綴じているのかも感じながらのひとときになるように、最初にみなさんが持ち寄った「大切なもの」を分かち合う時間を持ってから制作の時間に入ること。

「何を綴じるか、みんなには秘密」でもOK。「今日は作らずに考える時間」でもOK。そんな風に、みなさんにとって無理のない参加のかたちでと声をかけて、まずはわたしがサンプルとして綴じてきた「大切なもの」の紹介からはじめました。

わたしの「大切なもの」は、がんになる前から今日まで、10年間ずっと傍にあるウォークマンで聴いてきた音楽の記憶でした。

Every moment has its music

がんの治療のつらさですっかり自分を見失っていた頃、ふと電源を入れたウォークマンに灯ったメッセージ。すべての瞬間に音楽はある。そのメッセージに心の中の何かも灯り、元気だった頃に夫や友人と聴いてきた音楽をウォークマンで聴くようになったこと。その中から14曲のタイトルと記憶を本に綴じたことをお伝えしました。

そこから、隣に座っていた学生さんにバトンを渡し、「大切なもの」のバトンをくるりと一周。ご自身の紹介が終わったら、隣の人の肩を叩いてつないでゆくスタイルで。お一人おひとりの「大切なもの」についてはあの時間の中だけに留めてこのレポートでは綴りませんが、大切なことばや思い出の写真、思い出の品そのものを持ち寄ってくださっていました。

3つの制作島の奥につくった道具や素材の机の島には、普段「記憶のアトリエ」で並べている本づくりの道具や素材もたくさん並べました。どこかの町で咲いていたお花や紅葉であったり、誰かの棚の奥に眠っていた思い出のシールや色紙であったり、1つ1つ描いてくれたイラストだったり。その島の上に並んでいるのは、今までアトリエを通して出会ってきた誰かが贈ってくださった「大切なもの」。

その記憶の欠片が、誰かの「大切なもの」の記憶と一緒に本に重なってゆく。その瞬間が何とも言えなくて。贈り主の方にもその様子をお伝えしたいという理由から、いつもお写真だけは少しだけおさめさせていただいています。今回も、ご了承いただいたお写真を少しだけ。このレポートを読んでくださっているみなさんへお贈りしたいと思います。

1時間と少しの時間でしたが、みなさんそれぞれのペースで本に触れながら、お互いの制作の様子を感じながら。時折、それぞれが持ち寄った「大切なもの」を見せて語り合ったり、素材選びのセンスに目を丸くしたり。黙々と同じ手製本や道具、素材からも一人ひとりの色やリズムが浮かび上がっていて、「本づくり」という時間だからこそ感じることができたその人の感性もあったようです。そんなみなさんの声や表情を、嬉しい気持ちで見つめていました。

続きは持ち帰って、また来年1月にできたものを読み交わす時間も作ってくださることに。みなさんの本に触れて声を聴く機会をいただけること、今からとてもたのしみにしています。

そこからは校舎の閉館時間に間に合うように片づけをして、先生の研究室へ。今日の時間を振り返りながら、最後にわたしがこの秋にがん経験者として夫婦で出演したNHK  ハートネットTVの特集「がんと共に生きるAYA世代」子どもを授かることの放送を観た時のことをおはなししてくださいました。

自分から周りに広くお知らせする勇気はなくて、先生にもお知らせできずにいたのですが。本当に偶然、ちょうど今回の本づくりについての打ち合わせでやりとりをしていた頃にこの特集があさイチの特集として再編集されたものの放送があり、偶然放送を見て気付いた先生が、感じたことをメッセージをくださったのでした。

理代さんのところでは、人が人と生きていくことに、何か条件がいるのか、という根本的なメッセージが込められていたように思いました。

実を言うと、ハートネットTVとあさイチという2つの番組での放送を終えた当時のわたしは「経験者として感じていることを、もっと周囲にも伝わりやすい端的なことばにして伝えるべきだったのは」と後悔し、随分思い悩んでいました。

具体的に伝えなければ伝わらないこともある。それを限られた時間でも伝わるように、たとえそれが想いの一部であっても端的にことばであらわすことが、経験者であるに課せられた役割だったのではないかと。でも、言い淀んでしまうことばかりで、尺におさまるような端的なことばであらわすことはできなかったのです。

「人が人と生きていくことに、何か条件がいるのか」その一文は、わたしが言い淀んだ想いの数々の根っこにある、がんになったそのあとを生きるわたしが最も思い悩んでいる部分なのかもしれません。

先生は短い放送で、そのことを感じてくださったのでしょうか。研究室で、先生が以前執筆された新聞記事を二つ手渡してくださいました。どちらの記事も、わたしがこの5年間抱えている「失ってしまった」というかなしみや苦しみは、一体どこから来ているのだろうか?ということを、静かに問いかけてくださるメッセージでした。

「それまでできていたこと」「“持っていた”ように思っていたもの」「これからできる、持てると思っていたもの」その中でも自分が一番大切にしたいと思っていたそれまでの人生の拠り所を、まわりの同年代が今まさに得てゆくように見えるものを、若くしてぽっかりと失ってしまった。それによって自分がこれから存在する価値や、そもそも自分がどんな存在であったのかも見失ってしまったのが、この5年間のくるしみの大きなところだったのかもしれません。

それらを失ったそのあとも在るものを「大切な記憶」ということばの元でかき集めて、生きる拠り所にして何とか5年を生きてきたところもあるのかもしれません。そんな風にただただもがいてきたこの5年を経た今、先生からいただいた静かな問いかけは、わたしがこれから先を生きていくためのみちしるべになるような気がしています。

この問いは、きっと一生かけて向き合ってゆくものだと感じています。なのでこのレポートの中で綴れるようなものではないのですが。2019年の春と秋、藤井ゼミのみなさんとの時間の中で、また先生との対話の中でいただいたものはとても深く、わたしの心に届いています。

嵐のような5年間が過ぎ、凪を取り戻しつつある今だからこそ、心の水面を覗き込みながら。年末年始はみなさんと過ごした時間を静かに振り返りたいと思います。

今回もまた、豊かな気づきをたくさんくださった藤井美和先生と学生のみなさん、本当にありがとうございました。そしてまた来年みなさんと再会できることを、たのしみにしています。

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