ハートネットTV「がんと共に生きるAYA世代(2) 子どもを授かること」放送

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9月は、絨毛がんにならなければ子どもが産まれていたかもしれない季節。「いつまでそんなこと言ってるの」と言われても仕方ありませんが、わたしにとって絨毛がんという病気は、育むはずだった大切ないのちを失った経験とともにある病気です。たとえがんが抑え込めたとしても、経験したかなしみをなかったことには中々できません。

いまだに赤ちゃんの声を聴くと、思い出すのは流産手術の時に処置台の上で聴いた、隣の分娩室からの赤ちゃんの産声です。小さな赤ちゃんを見ると、流産手術が決まる前日に見た夢で、腕の中で緑色に溶けて消えてしまった産まれたての赤ちゃんのことを思い出します。一人で人の集まる場所へ行くときは耳を塞ぐイヤフォンが手放せず、大事な家族や友人の出産のお祝いにも集まりにも参加できません。

血を見ると、抗がん剤を打つたびに自分の体の中から溶け出てきたどす黒いがんの死骸を思い出します。その度に一人耐える日々です。妊婦さんを見ると、抗がん剤の副作用で空っぽのお腹で虚しく吐き続けた産婦人科の待合室や病棟を思い出します。とたんにあの頃の自分に引きずり戻されてしまいます。

その一つ一つの体験自体のつらさ以上に、体の中で芽生えたはずの小さないのちを育めなかったことを思い出して申し訳なくなるつらさが堪えます。秋の夜はどうしてもそんなことを考えてしまって心がくるしくなります。

8月4日の撮影 @南芦屋浜  

そんなわたしですが、昨夜の放送から3週続く、NHK  ハートネットTV「がんと共に生きるAYA世代」という特集の2つ目「子どもを授かること」で、AYA世代のがん経験者のひとりとして夫婦でインタビューを受けました。

日本人の2人に1人が罹患すると言われる、がん。特集・若い世代のがん、第2回は「子どもを授かること」。治療の副作用などで、妊よう性(妊娠する・させる力)を失う可能性と向き合う、がんサバイバーたち。卵子や精子を凍結する技術も進んでいるが、治療との両立などで、実際に選択する人は多くない。妊よう性を温存しないという苦渋の決断をした女性や、養子縁組を結んだ夫婦などを取材。子どもを巡るそれぞれの選択を伝える。
番組紹介ページより)

7月中頃、最初にご相談をいただいた時、わたしはがん経験に関するご依頼で初めて「本当に申し訳ないのですが」と取材協力できない気持ちをお伝えしました。

がん経験者として、微力ながらもできる範囲の協力はしていこうと悩みながら歩んできた5年。ハートネットTVが「福祉」というまなざしで真摯に当事者の声を届け続けている番組であることも知っていました。それでも前向きなお返事ができませんでした。「ご依頼をお断りする」というのも初めてのことで、ただただ申し訳ない気持ちでした。

番組のテーマは「子どもを授かること」。わたしが絨毛がんになってからの5年間、むしろそれよりうんと前、中学生の頃から排卵障害を患い治療を続けてきたこの20年近くずっとくるしみ続けてきたことでした。

「経験者の声を社会に届けてゆく」という行為の必要性も、大学時代に福祉を学んでいた時、恩師から教わり一番大切だと感じたこと。今わたしが大事にしているZINEの活動も「記憶のアトリエ」も、声にならない想いを抱えた経験者の声に耳を澄ませて、ことばを掬いあげて、社会に届けてゆくために続けていること。そんなわたしでも、最初のご依頼では前向きなお返事ができませんでした。

ココロイシ』(2016)に綴じた石

理由を綴りきることも難しいのですが、一番にはがんになってから5年、語り尽くせないほどに悩みくるしんできて、その断片だけを流すことは届ける相手にも良い結果にならないような気がしたからです。

絨毛がんという病気も、非常に珍しいがんでありながら多様で、医療者ではないわたしにはとても説明しきれないところがあります。妊娠性のものもあれば、非妊娠性のものもあり、出産後に罹患することもあれば、流産後に罹患することもあり。正確にはもっと詳しい説明が必要です。治療後に妊娠・出産できる方もいれば、できない方もいて、その事情もさまざま。同病の経験者の方にはまだお会いできたこともありませんが、一人ひとりが置かれる状況に非常に幅があると感じてます。

何より、妊娠・流産・出産というとてもデリケートな出来事とあまりにも密接にある病。「妊娠」「流産」ということば自体も、それぞれが抱える問題も、そのあとを生きるための価値観や選択も、経験者それぞれに無限のグラデーションがあります。子どものいない若い世代の経験者がこの病気を語ることも、公表することもとても難しいと感じています。

そんな状況の中で、30分という限られた時間の中、かつ異なる選択や決断をした3人の事例のひとつという僅かしかない時間で、断片だけをお渡しして何か人のためになることはあまりに難しすぎるのではないか。

困難であることが明白な状況で、依頼された…つまりは何かしら「自分が頼られたから」という理由でお受けして、無責任に経験者のことばを流してしまって良いのだろうか。その断片が、今まさにくるしい状況にある経験者の方をつらい思いにさせたり、社会からの病気への誤解や偏見を生むことになるのではないか。その心配が消えませんでした。

「絨毛がん」「子どもがいない」という夫婦が抱えるセンシティブな問題を、夫婦で実名顔出しで語るという行為も、夫や両家の家族に大きな負担を強いてしまうものです。夫も家族もこの5年間わたしの想いを大切に、経験者としてオープンに生きる活動を見守ってきてくれましたが、大なり小なり負担や心配はかけてきたと思います。それが今度は全国ネットのテレビ番組で、実名顔出し。その影響がどれほどなのか。家族、特に夫を巻き込むことはとてもできませんでした。

夫とも夜通し話して夫の気持ちも聴き、やはりお断りのお電話を。このような経緯でお返事したわたしですが、結果的には今回この番組のインタビューに協力しています。それは他でもない、ご依頼くださったディレクターさんの真摯な姿勢と声、ことばの一つ一つに心を動かされたからでした。

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「妊よう性を温存しないという苦渋の決断をした女性や、養子縁組を結んだ夫婦などを取材。子どもを巡るそれぞれの選択を伝える」

番組の説明にあるとおり、ご依頼をいただいたときの主旨もその内容でした。このお二人の経験者に加えて当初もうひとり探されていたのは「子どものいない人生を2人で生きる」ことを選んだ夫婦でした。

これだけ経験者としてことばを置いてきたわたしでも、今の心身の状態をすべて開示できている訳ではありません。さまざまな理由が絡みあって、今この瞬間にもことばにできずにいることがたくさんあります。

5年間、元通りにならない心と体にくるしみ、前向きな選択も結論も見いだずに悩み続けているわたしは、番組の求める「何か前向きな答えを見いだした経験者」でないことは明らかでした。そんなわたしがこの番組に登場することは、わたしの心にもからだにも良いことは一つもありません。

その葛藤も含めて正直にお伝えしたとき、ディレクターさんは少し考えて「きっと“ほんとうのこと”をおっしゃってるんだなと感じるんです」ということばをかけてくださいました。

今まで制作を通して聴いてきた想いも、葛藤の最中にあって社会には届けることができなかった声が無数にあること。そして、今くるしみの最中にある当事者の方々にとって必要なのは、情報としての選択肢や決断した人の声だけでなく、葛藤の最中にある人のその過程や気持ちの揺れも含めて丁寧に届けることなのだと。それはAYA世代のがんの問題に限らず、他の経験・問題を抱えた人にも通じることで、届けたい声だとも、本当に静かな声でことばを選んでおっしゃっていました。

「藤田さんのその声を届けたい人の顔が、わたしには今浮かんでいるんです」決して説得するような調子ではなく、そんな声もかけてくださいました。その時はまだお会いしたこともなくて、お電話越しの声でしたが、その声に宿る響きを聴けば嘘ではないことは伝わってきました。

さまざま経験を抱えた人の声を一人ひとり真摯に聴き、ともに見つめて考えてこられた方の声でした。断片だとしても届けたい人の顔が浮かんでいるのであれば、この真摯なディレクターさんに託さず保身のために逃げるのは、一生後悔するような気がしました。

夫とも個別にお話をしてくださり、そのあともう一度夫婦で相談して、インタビューを受けることを決めたのが7月24日の夜。ノキシタさんで「記憶のアトリエ」をひらく前夜のことでした。

一度決めたことを変えるということはほとんどないわたしです。他でもない、ディレクターさんの真摯な姿勢と一つ一つの声が、わたしの気持ちを変えました。同年代の同性のディレクターさんだったことも大きいのかもしれません。このディレクターさんが届けたいものなら、わたしも協力したい。電話という限られた手段でそんな気持ちにさせてくれたディレクターさんには、今も尊敬と感謝の気持ちです。

おそらくたった5分くらい、複数の事例のひとつとして登場するだけなのに「おおげさだな」と感じる方もいらっしゃるかもしれません。今もくるしみの中にある若いがん経験者が、断片であってもそれをテレビというメディアに託すという行為はとてつもなくハードルが高い行為でした。その過程や協力するにあたっての想いだけは、関わりのある方々には知っていただきたい。でないと不安で心が持たない。そんな気持ちで、自分のWebサイトという私的な空間にことばをのこしています。

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「記憶のアトリエ」in Open Village ノキシタ

ディレクターさんか、翌日仙台でひらいていた「記憶のアトリエ」に東京からお越しくださり、初めましてのご挨拶を。アトリエの様子も今までがんの経験を綴じ手きた手製本も、1冊ずつ丁寧に見てくださいました。最初の電話での印象は、その日の事前取材と2日間にわたる撮影、事後の編集中のこまかなやりとりの中でも、一度も変わることはありませんでした。

多様だとか、複雑だとか。そんなことばでうやむやにせず、小さな声のひとつひとつに耳を澄ませ、丁寧に掬い上げ、考えて考えて届けることばを選ぶ。そのやりとりのひとつひとつに、同じように声を見つめる一人として学ぶことばかりでした。真摯に制作にとりくむディレクターさんとの出会いは、この夏の大切な記憶になりました。

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インタビューを受けるからには、偽りのないことばで。どの断片を切りとっても、なるべく誰かを不用意に傷つけることが少ないことばを探しながら。

自分なりの精一杯でことばを託しましたが、「話す」という行為そのものがとんでもなく苦手です。限られた時間のために選びとられたことばがどんな響きを生むのか、放送当日にならないとわかりません。今はとにかく、わたしのことばでつらい気持ちになる人、嫌な気持ちになる人、傷ついてしまう人、偏見を抱いてしまう人がひとりでも少ないことを願うだけです。

編集作業が一段落したという日、ディレクターさんからお電話がありました。最後まで真摯に編集してくださったことが伝わってくるお電話の最後は「みなさんの感想を、ぜひ聴かせて欲しい」ということばでした。声を届けるためだけに制作をされているのではなく、まだ声にならない想いを掬い上げるために、声を届けている方なのだなと、改めて感じたお電話でした。

30分という時間で届けられることは限られていますが、今回託した声が呼び水となり、一人ひとりが抱えている声にならない想いが何かのことばで、もしくは声という響きをもって世の中に生まれてくれてたらいいなと思います。その一つ一つの声こそが、「多様」ということばに押し込められてしまっている一人ひとり心のグラデーションを共有し、ともに見つめて考えゆくきっかけになると信じています。

テーマとしてはセンシティブな問題ですし、まだくるしみの最中にあるわたし自身、もしインタビューに協力していなければ見る勇気が出ないテーマです。しんどいなと感じる方は、どうかその心を大切に。でももしこの番組をともに見つめてくださる方がいらっしゃれば、ぜひみなさんの心に浮かんだものを聴かせていただけたらうれしいです。ディレクターさんに伝えます。

そんなこんなで長くなりましたが、来週9月10日(火)20:00-20:30 NHK 「ハートネットTV」がんと共に生きるAYA世代 ご覧ください。

特集1「職場へのカミングアウト」
ショート動画 / 記事1「がんと共に生きるAYA世代(1)就職活動でのカミングアウト」 /記事2「がんと共に生きるAYA世代(2)職場でのカミングアウト」


特集2「子どもを授かること」
ショート動画 / 記事1「がんと共に生きるAYA世代(3)妊よう性をめぐる葛藤」 /記事2「がんと共に生きるAYA世代(4)子どもを巡る夫婦の選択」

※番組の内容は、9月26日(木)のNHK あさイチの特集「がん治療と妊娠可能性の間で揺れる女性たち」でも一部放送されました。

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保護中: 『ココロイシ』のいしのなか 2016年に制作したZINE『ココロイシ』のテキストです。
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