2019-09-25

『ココロイシ』のいしのなか

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3年前に制作したZINE『ココロイシ』(2016)。波打ち際で拾い集めたハート形の石を隠し扉のついた本におさめ、心の奥に沈んだ記憶を綴じこめた小さな手製本です。

もう3年の前の文章で、今読みなおすと“うんと昔のわたし”がもがきながら綴ったことばだなと感じます。

ZINEの中だけにおさめておくべき文章もあり、今まで公開はしてこなかったのですが…先日取材を受けたTVでこの文章の一部もインタビューと一緒に放送されました。

本1冊じっくり読んでくださり、限られた時間の中でもこの本に綴じられたものを入れたいと感じてくださったこと、本当に有り難いことだなと感じます。

せっかくなので、本の中のことばの流れも感じていただけたらなと、こっそり全文置いておきます。

当時はまだ寛解から2年。今よりうんと混乱の最中にあった患者のわたしが、小さな手製本の1ページの中に「感じたこと」を綴った小さな文章です。

言葉足らずなところもたくさんあるので、ところどころWeb用に調整したり、医学的なところは注釈を入れたりしています。

久しぶりに触れてみて、今の気持ちと照らし合わせて。変化の足あとを感じとることができるという意味では、文章をのこす意味があったなと思います。

とにかく古い文章なので、今年のはじめに綴った『汀の虹』#掬することばが、一番最近の自分の気持ちに近いかなと思いますが……『ココロイシ』にはココロイシのリズムがあります。

手製本の現物は、石の裏表を撮影して、そのページの内側に文章をおさめています。

ことばのない石のページは、ことばにもできない心のいたみです。 治療後の日々の方が、ことばにできないことだらけだった……この手製本で石を並べて本当に伝えたかったのは、ことばにできなかったいたみの足あとなのかもしれません。

その手製本が抱く一筋の流れ、そして石のリズムを、少しですが感じていただけたらと思います。

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ココロイシ

どうしようもなくふさぎこむと
海辺まで石を拾いに出かける

波打ち際にしずむハートの石は
その土地土地で長い年月をかけて
砕かれたり削られたりを繰り返しながら
自分の色かたちを見いだして
掬い上げると色んなことを語りかけてくる

持ち帰った石を1粒ずつ見つめながら
自分の心の奥に沈む記憶を手繰り寄せるうちに
石の中におさめて本に綴じるようになった

石にココロをおさめる“ココロイシ”
おさめたり 眺めたり 手放したり
波打ち際の石のように
いつまでもかたちを変えながら

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どうしようもない灰色

理性でこねくりまわす言葉や
カメラで切り取る写真と違い
絵を描くという行為は
どうしようもなく自分が出る

「楽しかった思い出を
一本の線で書いてください」

という一声ではじまったワークショップ
“一本の線から始まるストーリー”

ありのままを出そうと
富山まで描きに来たのに

記憶の中の景色に
まったく色が浮かばない


パレットにだした
鮮やかな絵の具はそのままで

限りなく白に近い
灰色に沈んだその絵を見た先生は

“どうしようもない灰色”と
名付けてくれた

今までずっと
言葉や色彩で蓋をしてきた

どうしようもない悲しみに
沈んだその絵を眺め

余計なものを手放し
ありのままを綴じてみようと

石と心を見つめなおした
2016年秋の記憶

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妹のことば

2016年秋のとある日
妹が先輩の闘病記をシェアして

珍しく真面目なことを書いていた

 “私自身は姉ががんとの闘病生活を
送ったことがあり

 先輩の家族の気持ちが少しわかります
 しかし病気と闘った本人たちの本音は
 聞き方もわからず聞けてませんでした

 こうして病気と闘う
本人の本音を知ると言うことは

 とても大切なことだと思い
載せてみました”

病気と“闘った”
という感覚はないけれど

闘病中は必死で
本当の心の内は伝えてはいなかったし

もっと辛い闘病をしている人は
ごまんといるのだからと

寛解後に改まって
心の内を綴ることもなかった

でも妹のことばを読んでみると
今のありのままを
こっそりと綴るくらいは

やってみても良いかもしれないと
石の中に言葉をおさめるようになった

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Memento-Mori

Memento-Mori
という言葉を初めて知ったのは

「花 -Memento-Mori-」
という曲を聴いた1996年の春

地下鉄サリン事件の
渦中にあった東京から

阪神・淡路大震災直後の
被災地へ越し 1年が経った頃

初めて明確に意識した“死”の存在
“終わり”つまりは“果て”があること
“在る”ということの脆さと儚さ

更地やブルーシートに宿る
跡を見つめると

心の奥からこみあげる
言葉にできない喪失感と悲しみ

そのどこか切なメロディと歌詞に
少しだけ救われて

“心の中の花”という言葉を
そっと握りしめながら

その後の15年をその町で過ごした

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悪い夢

2014年1月11日
初めての妊娠の喜びも束の間
その日を境に体調を崩し
悪夢にうなされるようになった

一番鮮明なのは
1月22日に見た夢

分娩室で産まれたての
男の子を手渡されて抱くと
その子は腕の中で
緑色に溶けて消えてしまった

悲しみと鈍痛で
軋む体を引きずり出社すると
悪夢から一転
初めて制作したZINEが
Photo back award2013の
最優秀賞を受賞した
という報せが届いた

母の撮りためた
家族写真を再編集し
娘の言葉を添えて
贈り返したZINE『母のまなざし』

その本は“近い将来
私にも子どもが生まれたら
あなたのように
優しいまなざして見守っていこう”

というあたたかい言葉で
終えていたけれど
数日後には掻爬手術を受け
叶わぬ夢となった

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あちら側とこちら側

最初の掻爬手術の日は
運悪く隣室のお産と重なり

予定の時間が過ぎてもはじまらず
最後には処置室に
一人残されてしまった

壁ひとつ隔てて生と死があって
自分以外の全員が“あちら側”にいる

産まれたのだろう
という声を聴きながら

独りきりで涙を流した

すべてが終わった
からっぽの孤独に

カーテンの向こうの
妊婦さんと看護師さんの声が響き

また自分だけが“こちら側”にいる気分

あちら側とこちら側
人それぞれに
境界を感じて生きていていて

自分があちら側である
こともあるとわかっていても

未だにこちら側の淵に立つと
心がぎゅっと掴まれる

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分かれ道の先

翌日から仕事もしてもらって
構いませんよ 
という軽い言葉が一転
病理検査の結果は異常妊娠で

約半年“管理する”
必要があるだという

胞状奇胎という
嫌な言葉からはじまり

紙の上に“治癒”“進行”の
二股のチャートが延びてゆく

治癒から零れていくのは
それぞれに1割ずつ

チャートの終着点先にあるがんは
まだまだ遠い先で
管理すればがんまで進行することは
稀なのだという

受けた説明とは裏腹に
日に日にズキズキと

どこからとも言えない
痛みが強まってきて

それから約一か月後
倒れた日の前後には

歩くことも息をすることも
苦しくなっていた

どちらに進むのか
先がまったく見えない

霧のかかった道の途中
一番辛くて不安な心だった

長い夜

2014年3月3日
自宅で倒れて真夜中の緊急手術

寛解の時に
初めて見せてもらった当時のCTは

がんに喰われた子宮動脈からの
大出血で腹腔内が満ち

両肺には星屑のように
無数の結節が散らばっていた

肺転移はステージ3
5年後の生存率は約65% (※注)

意識が何度も飛んで 戻ったり 飛んだり
その日の記憶は 本当に途切れ途切れ

一つだけ覚えているのは 手術室に運ばれる廊下
母の声に気がつき 海外にいた夫に連絡して
とだけ伝えそのまま 手術室に入った

「これで最後かもしれない」と思った一瞬
振り絞って放った言葉が夫に向けたものだったことは
いつまでも心の真ん中に留めておきたいと思う

(※注)当時Web検索で出てきた
医療情報サイトに記載されていた数字です。
今はなくなってしまいましたが
家族も同じページを見ていました。
卵巣や肺の病変は摘出せず
抗がん剤治療で寛解したので
厳密にはわたしのステージは確定していません。
病変がすべてがんであればという仮定です。

生と死のバトン

真っ暗闇から光が射してきて
ものすごく寒くて震えが止まらない

動脈の止血が成功し
一命はとりとめ

輸血で心拍数も落ち着き
酸素マスクが外れた頃

約2週間前に倒れ
別の病院で危篤だった
祖母が他界した

そのことを私が知ったのは
3週間近くあとの
退院前日のことだけれど

悲しみは1mmもこみあげず
ただ自分が生きるしかない
としか思えなかった

それまでの人生は
昨日で一度終わっていて

祖母からもらった
おまけの人生

生のバトンを落とさぬよう
とにかく耐えながら

家族のためにも
自分はこの境界を越えてはいけない

その想いだけが心を保っていた

私なんかにありがとう
ようやく歩けるほどに
回復した頃
ふっと顔が浮かんだ友人がいて
メッセージを送った

自分から友人に連絡することは
ほとんどないのに

流産をしたこと
倒れて入院したこと
手術翌日から
抗がん剤治療中であること
を淡々と綴り
離れた土地に住むその友人に
突然送りつけてしまった

しばらくするとその友人から
電話が掛かってきて

私なんかに言ってくれて
ほんまにありがとう
とただただ泣いてくれた

その声を聴くと
一度も流さなかった涙が溢れてきて
自分は辛かったのだと初めて気付いた

もしも逆の立場で
その言葉がかけられただろうか
彼女が友人で本当に良かった

あとになってわかること
いつも目の前のことに一喜一憂振り回される私に
遠く先のことまで考えて
選んだ言葉をかける夫

二人の間にはいつも
時間の差があって

いつだって何日
何年も後になってようやく

夫の言葉の有難みに気が付く

がんの告知をされて
悔し泣きをしていた時

夫は「何でも気持ちが大切」と説き
翌日には
「余命宣告はきちんと知らせて欲しい」と

遺書まで書きはじめた
諦めの早い私の横で

「治ると信じて冷静に淡々と」
と繰り返していた

あの日以来めっきり弱り
すぐに自分を見失う私のために

いつも灯台のように
先を照らしてくれている

私が本当の有難みに気がつくのは
きっと夫がこの世を去ったあとなのだと思う


最後の質問
病理検査の結果が出たので
家族を呼んでほしい

と声をかけられた数時間後
夜の病棟の小部屋で
主治医代理の先生から
絨毛がんであることを告げられた

掻爬手術2回 病理検査2回
腹腔鏡止血手術1回
4度病名が変わり
あっという間に二股チャートの一番最後

先行して始めた抗がん剤も
2クール目を迎えた頃で
肉体的な辛さで心が麻痺して
悲しむ感覚もなかった

「最後に何か質問はありませんか?」と問われ
「あとどのくらいで死ぬんですか?」と聴くと
代理の先生は
「それはわかりません」とだけ答え
沈黙のあと
私の目からだけ 涙がこぼれた

その時は死への不安
なんていうものではなく

原因が分からなかった
不安が解けた安堵と
もっと早くに気が付いて
治療できなかったのかという
自分に対する悔し涙だった

母の涙
告知が終わり小部屋を出ると
悔しさが増して
人気のない夜のデイルームで
暫く泣き続けた

告知に駆けつけて
同席した夫と母は
一寸も動じず
いつものままだった

夫に何か語りかけられたものの
腹の虫が収まらず
「おばあちゃんはどうなの?」と
母に当たり散らした

ちょうどその日の朝方
土気色の祖母が夢に出てきて
母から祖母の容態を
聞くことになっていたのだけれど

いつもは強気な母が突然涙を流して
話すという約束を守らず
一言も返さなかった

その時
祖母の他界を知らなかったのは私だけで
見かねて止めに入った夫にも当たり散らし
病室まで送り
もう一度優しく諭してくれた夫に
弱々しいグーパンチを一発
追い返すほど荒れていた

君の場合
頑張った方が
喜ぶ人は多いんじゃないか
君の場合

がんを告知された翌日
一番に「大丈夫?」と
メッセージをくれたのは
4つ下の妹で

頑張りたくない人に
無理強いはしないけれど
と断ったあとに
「君の場合」と一文添えられていた

大丈夫ではない人に
「大丈夫?」と聞けるのも
頑張った方がと言えるのも
妹しかいなかったし
誰のどの言葉よりも力をもらった

お調子者の姉と
要領のよい弟に挟まれた
とくかく不器用で損ばかりの妹

姉から頼んだ「一生のお願い」は数知れず
この日を境に一生でなくても
何でも聞いてくれた

陰では誰よりも
ショックを受けていたという
その存在そのものに
感謝してもしきれない

音のない世界
抗がん剤の副作用が強くなる前は
負けるものかと躍起になっていて
病院の廊下を這うように
歩いてリハビリを続けた

食欲も体力もない
自分を支えてくれたのは
友人や夫と通った
音楽フェスの音源で
思い出の曲を
心の中に響かせながら
歯を食いしばって歩いていた

一時退院する頃には
音も聴けぬほど副作用が強まり
一度嘔吐が始まると
翌朝まで止まらない
天井の一点を見つめて
耐えられる限り耐える時間

また音楽が鳴り出すまでの数か月は
記憶すら消えかけているほど空っぽで
気持ちの浮き沈みもないほどに
底に沈みきっていた

あたたかい手
通院治療中は
外来化学療法室で投薬を受け
筋肉注射を5日間連続
9日間休薬

がんが消え切るか
薬に負けるまで
果てしなく続いた

副作用で薬臭を嗅いだだけでも
吐くようになると
師長さんだけは
しっかり効くように念を送るわ
と注射後の患部に
しばらく手を当ててくれた

この人たちにとっては
“仕事”で“職場”なのだと
静かな患者であることに
つとめていた私に
仕事以上の思いやりで
接してくれた人

途中 肝機能障害で
治療休止もありながら
8クール 40本目の
最後の投薬が終わった日

絶対戻ってこないぞって
後ろは振り返らないでね
と手を握って 声をかけてくれた

あれから2年半
師長さんには会っていないけれど
あの時の手のあたたかさは
今でも覚えている

29歳最後の日
2014年4月22日
29歳最後の日に
SNSで絨毛がんの
闘病中であることを告白した

それまで闘病のことは
家族と会社関係者
大学の部活のチームメイトと
新卒で働いた会社の
同期の一部にしか伝えず
携帯を眺める気力もないほど
臥していた

誕生日を祝福されても困る
という表向きの理由と
何とも繋がっていないような
孤独感とで

ありのままの報告に
背伸びした気持ちを添えると
過去に出会ったあらゆる人から
メッセージがくるようになった

前向きな言葉をくれる人
自分や家族も闘病していた
と励ましてくれる人
何年も前に放った一言に
お礼をくれる人

頑張ってきた過去の自分に
少しだけお礼を言った

寛解と言われた日
これで寛解としましょう

2014年6月30日
先生は仕事なのだからと
感情を崩さないよう
精一杯お礼を伝えて診察室を出た

8クールの投薬で
体はすっかり弱っていたけれど
病院のエントランスを出ると
世界が違って見えて

いつもは吐きながら歩いていた
駐車場への帰り道で
初めて涙がこぼれた

「ほんまによく頑張ったな」
と夫が声をかけてくれた

夫不在で緊急搬送された
3月3日を除いて

入院中はほぼ毎日
仕事を抜けてお見舞いにきて
通院投薬中も
主治医の診察日は必ず付き添い

私が悲しくて泣こうが
嬉しくて泣こうが
変わらぬ優しさと強さで
傍にいてくれたこと

微かながら
そのお返しが出来た気がした

再発の恐怖

寛解と言われた瞬間から始まった
再発の恐怖との闘い

元々転移していた上に
半年以内の再発率が高いがん

少しでも記憶に触れる
鈍痛や息苦しさを感じると
とたんに心が崩れてしまう

明日はないと本気で恐れ
その恐怖を忘れるために
必死に本を綴じた

写真におさめて
言葉を添えて

和紙をさいて
糸で綴じる

綴じあがった本の存在だけが
今日も生きたという証と
安心感に変わる

Memento-Mori 死を想え
生きている実感など持てぬまま
死だけを感じて
ひたすらに綴じつづけた日々の記憶は
ほとんどのこっていない


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辛さの理由
ちょうど倒れて1年が経った
2015年の春

訳もなく夫に
「辛い」「辛い」と
こぼすようになった

否認 怒り 取引 抑鬱 受容の
「死の受容」プロセス

自分はがん告知の翌日に
受容まで飛んだのだと
勝手に言い聞かせていたけれど

本当はどのプロセスも踏めないほどに
ただ流され 進んだり戻ったりと
ぐるぐる翻弄されていた

再発のリスクが下がるにつれて
押し込めていたものが
溢れて崩れていく私を

夫は 何が辛いのかは
自分で整理して乗り越えて
いかなきゃ前に進めない
と優しく突き放した

産むことができなかった
自分が辛い

だから次の世代へ繋ぐ
なにかをはじめる
半年かかって出した答えが
「掌の記憶」だった

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そっと祈る
がんを患ってから
一番変わったのは
“祈る”という感覚が
わきでるようになったこと

サイレンの音を聴いた時
災害や闘病のニュースを
見聞きした時

自分のことのように
“無事を祈る”ようになった

たとえ同じ病で同じ治療でも
人が違えば経験も異なり
病名や置かれている環境が違えば
それはもうまったく別のもの

それでも
ただ“祈る”という行為は
違った立場の人間でも
許される気がした

そっと祈る中で
何か届くものがあったり
繋がるものがあれば

そんな想いで
今日も静かに祈っている

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生きててくれてありがとう
少し体力が回復してきた
2014年の冬

思いきって出掛けた先で
手渡したZINEを読み

涙を流して
抱き締めてくれた人がいた

「生きててくれてありがとう」
すごくあたたかくて
心の芯まであたたまった

がんになってよかった とは
今でも思えないけれど

無心にZINEを綴じて
本当によかったと

その人の言葉に
救われた瞬間だった

その人の優しさの奥には
秘めた悲しみや痛みがあって

光と影が揺らめく
木漏れ日のように

痛みも思いやりも抱いた
あたたかさがあって

その日以来 何度も救われている

その大切な人に出会えただけでも
生きていてよかったと思う











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ぐらりと揺らぐ
日々に追われて
闘病の記憶が遠ざかっても

自分はなぜ寛解して
生かされているのか
意味もなく分からなくなる時がある

ふっと眠りに落ち
ふいに目覚めた時

一人雨音を聴いたり
闘病中着ていた服を着たり

髪の毛を結いつけた帽子が
棚の奥から出てきたり

リハビリコースだった
道を歩いたり

病院へ経過観察に行ったり
闘病中の記憶が
フラッシュバックすると
心が根本からぐらりと揺らぐ

別に気持ちが落ちている訳でもなく
確かなものなんてこの世にはなく
なんだかぐらりとする

だからこそ
ただただ今を綴じていることで
刹那的に生きているのかもしれないけれど



何度でも生まれ変わって
2015年7月
寛解1年を過ぎると

無事に生きているだけで感謝される
そんな期間は
終わったような気がして

一方で思うように
体調を取り戻すことができず
申し訳なさの蟻地獄に
はまっていたことがあった

そんな時「チケットが取れた」と誘われた
闘病後初めてのライブで
懐かしい曲が響いた

今まで幾度となく
聴いていたその曲が
その時はまったく
違ったように響いて

理性や理想に縛られ
固まっていた心に
すーっと風が抜け
“救われた”という一言が残った

そういえば 20年近く前も
音楽に救われていて

私も誰かにとって
そんな本を綴じる人でありたいと
もうひと踏ん張りする
勇気をもらった



父のことば
みちは本当にお父さんが大好きやなぁ
結婚してから夫に度々言われて
初めて自覚したこと

「すごい」「えらい」
「愛してるで」「健康なだけでいい」

物心ついた時から毎日
父からは手放しに誉められていて

がんになった時くれたメッセージも
みちよが元気になってくれれば
お父さんはそれでいいです の一言

いつもふざけてばかりで
何も求めない父

昔は偉大な祖父にばかり
あこがれていたけれど

父の態度は
仕事命で厳格な祖父への
反動だと知ってから

何よりも家族を大切にする父に
感謝するようになった

夫が結婚の挨拶に来た時も
結婚式も泣き
夫に会うたびに
みちよが迷惑かけてすみません と謝り
お酒を呑むと
みちよは優しい子ですよ と呟く
夫が逆に照れて
返事ができなくなっていたけれど
変わらぬまっすぐな愛情に
この歳になっても救われている



母との距離
赤ちゃんを見ると
どうしようもなく辛くなる

当時の色んな辛さが押し寄せて
自分が失った未来の中にいる人が
どうしても羨ましい

持てる人に罪はない
と分かっていて
幸せを祝福できない
自分が嫌になり

でもどうしようもなく
親戚の集まりも避けるようになった

ドライに励ましてくれる妹は
一番優しくて

義父母は私の前では
話題に出さないように思いやり

一番の味方だからこそと
周りをみて助言をする夫がいて

母だけは
そんなことは周りには関係ない と言い放ち
一切態度を変えずに
親戚の子どもたちを可愛がる

その正しさは
今の私には受け止められないと
母の姿が見えないように
距離をとるようになったけれど

一番愛情と信頼をもっているのは
きっと母なのだと

何十年か後
その厳しさに
感謝する日も来るように思う






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記憶の中の自分
寛解2年も過ぎ
早く病気前の自分に戻らねば

生かされた自分は
むしろそれ以上にならねばと

勝手に自分を
追い込むようになっていた頃

交通事故による
高次脳機能障害に苦しみながらも

ディジュリドゥ奏者として
復帰を果たし活動を続ける
GOMAさんのお話を聴く機会に恵まれた

過去の自分と比べることをやめました
と話すGOMAさんの
言葉にはっとさせられて

事故後からの日記をまとめた著書を読む
記憶の中にある
過去の自分を取り戻さねば
と思うことや

体調の波に引きずられる
気持ちの浮き沈みなど

綴られていることすべてに
共感と勇気をもらった

もう同じ自分ではない
記憶の中の自分を手放し

新しい ありのままの
自分で生きていけばよい

GOMAさんにそんな勇気をもらった

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心を綴じる ということ
“心”というものは
本当にわからない

わからないながらも
自分の真ん中にあって
すべての源なのだと
漠然と思う

私が本を綴じる軸にしている
“記憶”というものは
その心の中にあって
温度や色味を与えている
ような気がしている

“記憶”というものは
記録とは違っていて
正しいものではなかったり
変わってしまうこともある

そんな曖昧なものでも
曖昧なまま綴じることで
はじまり 生まれることもあって

それが結果的に
心につながり 心がつながる

そんな可能性もあるようなきがしていて
まだまだどうなるかはわからないけれど
心のために 記憶を綴じつづけたいと思う

 

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Schedule

Event / Exhibition / WS
11/26「“大切なもの”を見つめるZINEワークショップ」-関西学院大学 人間福祉学部 (兵庫県西宮市)*closed
12/22  ZINEワークショップ (兵庫県宝塚市)*詳細後日

////////////////
記憶のアトリエ
10/19「記憶のアトリエ」inリレー・フォー・ライフ・ジャパン大阪あさひ(大阪府大阪市)
11/9「記憶のアトリエ」in 幸ハウス(静岡県富士市)
11/29,30「記憶のアトリエ」 in トコテコ紙芝居小屋 (兵庫県宝塚市)

※「記憶のアトリエ」 in トコテコ紙芝居小屋は2020年も春夏秋冬1回ずつ開催予定です。