2022年9月17日(土)、がん医療に従事されている医療者のみなさんが集う研修会にて、希少がん経験者として体験談をおはなしする機会をいただきました。
「がん体験」を伝えるという役目でお声がけいただく時はとりわけ、「治療から何年も経っているわたしでいいのだろうか?」と戸惑う気持ちが大きくなりますが、ご依頼いただいたからにはその背景や当日聴いてくださる方のことを可能な限りお伺いして、自分の「これまで」の話を、聴いてくださるかたの「これから」に生きるものとして届けるにはどうしたらよいのか悩みながら内容を考えるようにしています。
今回はご依頼の内容から考えて、「いえないいたみ」ということばのもと、言えない(癒えない)「痛み」(そして傷み、悼み)の記憶という視点から、流産からのがんの経験を振り返る構成にしました。
がんがもたらした“いたみ”のこと。体以外の“いたみ”の理由となった「コントラスト」のこと。「正しい説明」で飲み込んでしまった“いたみ”のこと。そんな「言えない患者」となったわたしの“いたみ”を感じとり、触れてくださった看護師さんのこと。治療後あとからやってきた“いたみ”と、それを受け止めてくれた人や場所のこと。
体験したことしかお話できませんが、それが今つらさのさなかにある誰かの“いたみ”を和らげる、思いやりを育む種のひとつになれたら。そんなことを願いながら託したことばでしたが、真摯に聴いてくださったみなさんの表情や問いかけ、終了後に声をかけてくださったみなさんのお話に、わたしも考える種をたくさんいただきました。
とても反響があったので、ここにも少しだけスライドを置いておきます。2022年の秋、懸命に紡いだ言葉の欠片が、誰かの“いたみ”を包み込む思いやりの種を育むひとつになることを願いながら…。
今回お声がけくださったみなさん、お聴きくださったみなさん、本当にありがとうございました。これからもともに考える一人として、一つひとつのご依頼に精一杯向き合いながらできることを重ねていきます。