「記憶のアトリエ」のこと

最近というわけでもないけれど
最寄り駅と隣駅の間で
人身事故が多くて
先日も本当に生活圏内の
踏切で事故がありました

高架区間と高架区間の間で
町なかを走る直線区間
住宅街にぽつぽつと
人だけが通れるような
小さな踏切もたくさんあって

よく事故があるのは
わたしが駅の向こう側に行く時に
よく使う小さな踏切の
ふたつみっつ先の小さな踏切

最寄りの踏切で
遮断機があがるのを待つとき
線路の先を見れば目視できるくらい
近い距離にあります

今回もその踏切で
踏切の名前まで報道で出ていて
SNSや報道のコメント欄には
「またあそこか」というような声も

電車は数時間で復旧はするけれど
会社に向かうとき、家に帰るとき
電車でその踏切を過ぎると
何ともいえない気持ちになります

踏切をこえるというその決断を
わたしは否定も肯定もできないけれど
同じ町に暮らす一人として
町にある小さな踏切で
確かに起こっていること

その人が踏切をこえるまでのことや
遺された人、事故に遭遇された人の
その後の日々を想うと
見過ごせないというか
なかったことにはできないというか

なかったことにして
関係ないかのように踏切を通り過ぎて
日常を上書きすることができないというか
気持ちはまとまらないのですが
そんなことを思っています

人身事故は各地で起きていて
決して相対的にみて数が多い
ということはない場所なのですが

踏切という駅のホームより一段低い
町の人の暮らしと地続きの場所で
起きているということ

阪神・淡路大震災後の町で
数件先のご近所さんが自死されたことや
ご家族のその後の日々も思い出したり

いろんなことから自分のなかで
他人事にできない何かがあって
踏切を過ぎるたびに思っています

こういうことを書くと
病気でも事故でもまず予防や防止
という流れが押し寄せてくるのですが

一飛に予防や防止のアクションに
向かってしまうことにも抵抗があります

そういうアクションは
「ある」「あった」ということを否定して
自分たちの日常から切り離してしまう
ように感じてしまって
それはちょっと違うんじゃないかなと

日常から切り離さずに
他人事にしたくないというか

昔、ご自身のお兄さんが
自死された体験を持つ野尻監督が
お兄さんの自死を含めた家族の
それまでとその後の日々を描いた
『鈴木家の嘘』という作品を観たとき

監督のお兄さん役をされた
加瀬亮さんがインタビューで
監督とお兄さんのことや
脚本のニュアンスについて話し合うなかで
この役にとっては
自死は希望だったという思いで
演じたいと思われたこと

自分が何に対してだったら
命を懸けることができるのか
ということを考えて演じられた
ということをおっしゃっていて

短いインタビューをさらにこうして
文章という言葉にしてしまうと
伝わらないことや
いろんなことを思う方も
いらっしゃるとは思うのですが

その作品やお兄さんのシーンも含めて
自死を選んだという
その人の思いや人生を
根底のところで認めるというか
なかったことにはしないし
否定もしないという
それも大切なことで

確かにあるということを
共有するところから始められるのは
アートだからこそ
できることなのかもしれないなと

作品の描き方としても
自助グループのシーンなど
お一人おひとりの背景も含めて
本当にリアリティがあって

でも根底あるユーモアには
「悲劇」として塗りつぶさない覚悟も感じて
そういった提起・共有の仕方も含めて
アートだからできることがあるのかもしれないと
いろんなことを考えさせられた作品でした

直接的に作品とは関係していないけれど
自助グループのシーンで
人身事故のご遺族の方がいらっしゃって

元の体験は違っていても
これまで出会ってきた
ご遺族の方の心の声とも重なるところがあって
何だかとても記憶に残っていて
町の踏切のことを考えたときに
あらためて思い出しています

では自分に何ができるかというと
何ができるという訳ではないのですが

その踏切を自らこえる決断をした人がいて
その人を今日も想う人が
いるかもしれないということ
そんなことを思っています
 
「記憶のアトリエ」は
表面的には手製本や素材が並ぶ移動アトリエで
それ以上でも以下でもないのですが

自身の震災や流産をともなうがんの体験や
いろんな喪失を抱える人たちと
関わったきた一人として
日常のなかで抱えているさまざまな
「いえなさ(言えなさ・瘉えなさ)」を
ささやかに分かち合う場として
大学時代のソーシャルワークの恩師たちから
教わったことを胸に
自分なりできることとして続けているものです

とはいえ、何かする場ではないので
みなさん思い思いに過ごしていただけたら
そんな気持ちで手製本や素材たちを
黙々と仕立てています

写真はmichi-siruveがずっと大切にしている
咲いたまま枯れたニゲラの花です
何となくこの投稿に添えたくなりました