本とわたしの記憶 ― 1.好きな本

ZINE作家のmichi-siruveです。小さな頃から本が好きで、いつもお気に入りの本を抱えて暮らしてきました。29歳で絨毛がんという希少がんを経験したことをきっかけに、“大切な記憶”を小さな手製本に綴じる活動を続けています。
病の経験と本づくりについてのお話は、今年1年かけて連載「まなざしを綴じる」(教養と看護)で綴らせていただいたのですが、2018年1月からblackbird booksさんではじまる展示「汀の虹」に向けて、もう少し個人的な自己紹介を兼ねて「本とわたしの記憶」から、5つのこばなしをお届けします。

―1. 好きな本
2. 製本の先生
3. 忘れられないことば
4. “声”を綴じ、“声”を聴く
5. そして、本と花のこと

「本とわたしの記憶」 ― 1.好きな本

ZINEを綴じたり展示をしたりしていると、よく「どんな本が好きですか?」「どんな本を読んできましたか?」と尋ねられます。

わたしが今まで触れてきた本はおそらくかなり偏っていて、その本を振り返ると、わたしの「本好き」は何よりも本というかたちに対するもの。

かといって凝った製本が好きという訳ではなく、製本作業自体もあまり得意でもなく。あくまで装丁にふさわしい物語が綴じられいて、ページをめくりながらその物語の余白やリズム、流れを感じるのがたのしい。

綴じ手となった今は、手渡したい人を思い浮かべながら、綴じるものを預かる取材から綴じ終える製本までを全部自分ひとりの手で行い、本に抱かせ一筋の流れを生むことのできるZINEづくりがたのしくて仕方ないのだと思います。

それで、どんな本に触れてきたのだろう?と、まずは本のある場所をぐるりと見回しました。

我が家の一角にあるわたしの作業スペースには、天井まである小さな本棚一つだけ。そこにはもう、常に触れていたい本たちが乗車率110%で詰まっています。僅かな隙間にも紙片の束や手帳のバックナンバーが積み重ねられていて、遠目に眺めると何だか紙の地層のよう。

作業机の前の壁には制作してきたZINEが浮かび、作業机の横にあるサテライトの棚には本棚からあふれた本が流れ着く。背中には紙置き場の棚があって、本になる前の色んな紙が積み上がり、大判の紙や巻き取りの紙はクローゼットの上の隙間に。

クローゼットの右端にある棚には、用紙や印刷のサンプル、過去の仕事や講義の資料。その横にはサテライトから溢れた本がワイン箱におさまり積みあがり、まぁとにかく作業机をぐるりと本と紙に囲まれています。

学生時代や本屋さん、印刷会社に勤めていた頃に出会った本の大半は実家に居候。本との出会いは果てしなく続くので、溢れては手放し会議、手放せないものは居候先を探しながら何とか日々をやり過ごしています。

そしていよいよ好きな本のはなし。幼い頃に親しんでいたのは、母が読んでくれた絵本でした。おそらく一番読んでもらったのは、谷川俊太郎さんの『もこ もこ もこ』。今思うと母の“読み聞かせ”は一風変わっていて、読み聞かせの枠から大きくはみ出したものでした。

ページを開いて同じように進むことはまずなくて、声のトーンやリズムも子どもの期待や予測から少しずつずらされる。次のページに母の手が触れる度に「次はどうくるのか!?」と想像して構え、母はその想像の斜め上をいくという駆け引きの連続。次のページに行くと見せかけてもう一度戻ったり。時には絵本の余白にほんの少し言葉を足して、物語を勝手に挟んでしてみたり。

勝手な創作は作者の方に怒られてしまいますが、作り手へのリスペクトを欠かないそのアドリブは、こどもにとっては“本の余白には本当はもっとたくさんの物語がある”という想像の種となり、同時に本の包容力としても届きました。

そんな体験とともに触れていた本というかたちは、開いた分だけ新しい物語に出会う宝箱のようなもの。他の何よりも笑い泣きしたり、静かにじんとしたり。心とからだの全部を使って本を受け止めていたその時間は、今のわたしのZINE制作にも影響を与えているように思います。

今わたしの本棚にはないけれど『いないないばあ』『ごんぎつね』『手ぶくろを買いに』『かわいそうなぞう』『かたあしだちょうのエルフ』『すてきな三にんぐみ』『100万回生きたねこ』『モチモチの木』『スイミー』『ちびくろ・さんぼ』『おしいれのぼうけん』などなど……眠り姫や白雪姫、不思議の国のアリスなど、お馴染みの絵本は何故かすべて小ぶりな英語の絵本も。日本のそれとは違う表現の絵が新鮮で、絵だけでたのしんでいました。本当はこの何十倍も触れたのでしょうが、昔過ぎてはっきりと覚えていません。

大人になってから触れなおして懐かしくなり、買いなおそうと思ったものもありました。でも改めて本屋さんで手にとると、どうも違う。兄弟3人が読み続けて手に馴染んだ実家の本や、図書館で借りていたボロボロの本。当時自分が触れていた絵本だからこそ、手にとった本だからこそいとおしいというのがあって、結局買いなおさずでした。『花さき山』と『正しい暮らし方読本』はそれでも手元に置いておきたくて、大人になってから買いなおしました。絵本を通したコミュニケーションに感性を育んでもらったのだと、改めて思います。

もう少し大きくなってから夢中になったのは、母がどこからか買ってきた『21世紀こども百科』。草花から宇宙のことまで幅広いテーマが1冊に詰まっていて、インターネットなんてなかった世代のわたしにとって、日々の暮らしでは触れることができない世界が広がっていました。その本に触れる時間は旅行のようなもの。よく飽きずに見ていたなというくらい見返していました。

今でも辞書や辞典というかたちには惹かれるものがあって、本棚を見渡すと『海の辞典』『空の辞典』『Katachi』『色の手帖』『新歳時記』『ファッション辞典』『ベネッセ表現読解国語辞典』『レトリック辞典』などなど、やたらと分厚い本が狭い棚にどっしりと構えています。

一定のルールで統一された枠の中に、今まで人が意味を見出だしてきた無数の知識の輪郭がことばによって描かれ、一定のリズムが続く辞書という海。

反対側にあるものも、大きいものも小さいものも、ここでは同じまなざしで等しく扱われ、ともに浮かんでいる。その海に浮かんだり潜ったりするのがたのしくて仕方なかったように思います。

肝心の内容を覚えるのは、これまた得意ではないのですが。ディテールを忘れてしまうからこそいつまでも新しい気持ちで出会いなおすこともでき、覗き込むたびにとにかくたのしい。

一番古いものは、いつだったか神保町の古書店で見つけた明治6年に再版された和綴じの『世界商売往来』という外来語の辞書のようなもので、ボロボロになった紙の手触りも含めて、もう触れるだけてたのしくて仕方ない。自分の綴じたZINEも、触れられ続けていつかこんな風にボロボロに馴染んでいってほしいという目標の姿でもあります。

『HET VERZAMELD BREIWERK VAN LOES VEENSTRA』『町口覚 一〇〇〇 』などなど、他にも辞書並みの分厚さでたくさんのものを抱いている‎本も辞書チームの分類。

一式を作業机の真横にあるサテライト本棚に並べ、時々製本や押し花の重石など、ZINEづくりの道具としても出動します。かなりの確率で押し花が舞いでてくるのに、閉じると忘れてしまうのはご愛嬌。収集したものを並列で、一定のリズムで本の中に綴じこめたくなる性分は、この辞書・辞典好きに由来しているのかもしれません。

『ケースワークの原則』『たましいのケア』『ソーシャルワーカーのためのリサーチワークブック』など大学時代に社会福祉学の授業で印象的だった教科書や、参加型アクションリサーチやフォトボイスに関する書籍や論文。

小さな本棚なのに唯一2冊ある『メメント・モリ』は旧版と新版1冊ずつ。『「聴く」ことの力』『語りきれないこと』『「生きる」を考える』など、生死を見つめる道標にしている書籍もたくさんあります。『おやすみ神たち』『あたしとあなた』『せんはうたう』『写真』『歳月』『生きていくうえで、かけがえのないこと』『遠野物語』『旅行記』『たかが服、されど服』『それでも それでも それでも』『花と日本人』『わび』『モモ』…棚にはないものも含めて、一番たくさん触れたのは谷川俊太郎さんの著書でしょうか。初めて触れた谷川さんの本が『もこ もこ もこ』というわたしが大きな声ではいえませんが、谷川さんの詩がとても好きです。猫がねこじゃらしと戯れるように、いつまでも戯れていたい懐かしさを感じるような。

おとなになってちゃんと触れなおして「忘れたくないことノート」に書き写した詩たちからも、生きることをたくさん教わりました。村上春樹さん、吉田修一さん、鷲田清一さんの著書もよく読みました。その他にも、男性が紡ぐことばが好きなのはどうしてだろう。でも茨木のり子さんのことばはとても好きです。友人の本棚で見つけた八木重吉さんも。図書館で借りたものも含めると、生死を見つめるために触れた本の数が一番多いように思います。

学生時代に本屋さんでアルバイトをはじめ、よりたくさんの本に触れるようになり、初めて一目惚れした黒で包まれた本。

黒地に銀のタイトルが浮かぶ『春、バーニーズで』。銀の帯に白字が浮かんだ「小説を、贈る。」「ふとしたはずみに、もうひとつの時間へ。」のコピー。吉田修一さんの文章が生み出す余白やリズム。本の余白や写真、句読点が生み出すリズムも含めた有山達也さんの装丁も惚れ惚れして、もうとにかくことあるごとに触れなおしています。

小口まで黒く染まった山本耀司さんの『MY DEAR BOMB』も特別な1冊。季節ごとに1枚だけ持っているYohji Yamamotoの服を纏うときと同じくらい、凛と澄んだ気持ちになるような。黒で包まれたこの2冊の本は、今でも手にとると胸が高鳴り、そして同時に凛と澄んだ静かな心にもなる。わたしをおとなにしてくれた本なのです。

他にも石内都さんや森山大道さんをはじめ尊敬する写真家さんの写真集や大好きな映画のパンフレット。歴代BRUTUSの中でも手放すことができずにいるバックナンバーが十数冊。「雑誌でかがり綴じ?」背表紙に触れてはにんまりするBRUTUS TRIP。

棚の奥まった一角に並ぶ少し毛色の違う単行本たちは、古書店に行くと必ず探してしまう故郷東京の古いお散歩ガイド。大好きな東京タワーの記憶として昔のものばかり収集しはじめたこのシリーズは、今は失われた東京の記憶をかき集めるためのライフワークにもなりつつあります。印刷、デザイン、製本の本。国内外のZINEやリトルプレスもたくさんあって、出版物では実現しずらいようなかたちであったりテーマであったり。本にしたいというその熱量に触れる度に刺激をもらいます。

ここまで見回してきた本棚にあるものは、全部「好きな本」で、どの本も定期的に触れているものばかり。それぞれに心地よいリズムがあって、たいてい鼻唄なんか歌いながら、リズムを刻みながら、床でゴロゴロしながら本を抱えて戯れて、いつの間にか本を顔に被ったまま居眠りしていたり、ベッドに持ち込んだ本が朝起きたら鼻先にあったり。枕元に積み上げていた本が寝返りとともに降ってきたり。時には布団の中から出てきて、やってしまった!なんてこともあります。

もちろん作りの繊細な本はそのような触れ方はしませんが、持ち主の愛着にちょっぴり怠惰さも加わって、ともに過ごす時間の中で本が馴染んでいくのが何よりもいとおしい。だから古書はどんな様であっても無条件にいとおしくて、前の持ち主がひいた線やメモ書きなんかも、本の抱く時間の記憶として愛着がわいてしまいます。自分は本への書き込みなどは一切しないのに、何だか不思議な話です。

そんなこんなでどこまでもマイペースな本との日常ですが、本の抱く時間に触れながら、そんな本たちを抱きながら、いつも機嫌よく戯れている日々です。とにかく、本が好き。好きな本に触れるのが好き。そんな第1話目のこばなし。読んでくださった皆さま、ありがとうございました。

次回は「2.製本の先生」。説明書どおりに上手くできない、習ってもそのとおりにできないわたしが先生と呼ぶのは誰なのか。“本”と呼ぶには少し足りない不安定なかたちにこだわるのはなぜなのかなど、製本にまつわる記憶をお届けします。

michi-siruve  exhibition「汀の虹」

「小さな詩と花、お贈りします」
“心の揺らぎ”を綴じた豆本詩集『汀(みぎわ)の虹』。本におさめた小さな詩と花を、blackbird booksの白い壁一面に浮かべます。作家在廊時は壁からお好きな詩と花を預り、その場で本に綴じてお贈りする“Book”と“Box”の制作も承ります。本屋さんの片隅で、本づくり。本に触れた方の声を預かるために、あなたの一冊をお贈りするために、静かにお待ちしています。
※在廊日はお知らせページで後日お知らせします。

開催期間
2018.1.16(tue)~1.28(sun)
平日11:00~20:00  土日祝10:00~19:00 ※月曜定休

開催場所
blackbird books
〒561-0872 大阪府豊中市寺内2-12-1 緑地ハッピーハイツ1F
TEL  06-7173-9286  北大阪急行(御堂筋線) 緑地公園駅より徒歩5分
http://blackbirdbooks.jp

2018migiwa-bbb11
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