新潟県のひすい海辺で拾ったハートの石
ZINE作家のmichi-siruveです。小さな頃から本が好きで、いつもお気に入りの本を抱えて暮らしてきました。29歳で絨毛がんという希少がんを経験したことをきっかけに、“大切な記憶”を小さな手製本に綴じる活動を続けています。
病の経験と本づくりについてのお話は、今年1年かけて連載「まなざしを綴じる」(教養と看護)で綴らせていただいたのですが、2018年1月からblackbird booksさんではじまる展示「汀の虹」に向けて、もう少し個人的な自己紹介を兼ねて「本とわたしの記憶」から、5つのこばなしをお届けします。
―1. 好きな本
―2. 製本の先生
―3. 忘れられないことば
―4. “声”を綴じ、“声”を聴く
―5. そして、本と花のこと
「本とわたしの記憶」 ― 3. 忘れられないことば
わたしが“記憶”をテーマにZINEの制作をはじめたのは、今から3年半ほど前のこと。20代最後の年に若年性がんを経験し、残りの人生「何を綴じ、誰に届けようか」と問い直した時に、記憶を綴じようと決めたのでした。
第3話では、その問いと向き合う中で道標となった「切実」そして「自分のこと」という2つの“忘れられないことば”の記憶をご紹介します。
青山先生の課題で提出した「一丁目一番一号」という文章。亡き祖父との記憶を綴ったものでした
「切実」と「自分のこと」。
これは、“失ったそのあと”を生きる一人として、いつも根底に抱えてきた想いです。
10歳の春に故郷を離れ、阪神・淡路大震災後間もない町に越し、多くの大切な存在が失われたその町で感じたこと。その後の15年間をその町で過ごしながら抱いてきたもの。
震災を生き延びた家族が寝たきりになり、家と病院を往復した7年の月日で見つめてきたもの。東日本大震災の起きた日に東京で帰宅難民になり、やっと帰りついた真夜中の自宅で独りTVを点け、画面の前で広がる被害の様子を目の当たりにしたあの夜のこと。その後、流産をともなうがんを経験し、20代で「死」という淵に立ち感じたこと。
その時その時で切実に感じ、また他者の切実さの輪郭に触れ、自分に何ができるのだろうと問い、社会福祉や表現の術に学びを求めました。
その学びの旅路で道標になった一つ目が、「切実」という言葉。今から4年前、がんになる1年ほど前に通っていた編集・ライティングの学校で、講師の青山ゆみこ先生がくださった言葉でした。
自分が切実に感じているものを書かなければ、相手の心に届くものにはならない。青山先生の声の響きとともに届いたその「切実」という言葉に、自分の表現に欠けているものを痛感しました。
正確には、切実さ自体は心の内に抱えていたからこそ学校へ飛び込んだのですが、それをことばにすることが当時はまだできませんでした。
青山先生の課題で、亡き祖父について書いたことがありました。タイトルは「一丁目一番一号」。前半は新聞社に勤めていた祖父の記憶、後半は結婚を機に東京に出て、祖父が昔勤めていた同じビルで働くことを決めた孫のわたしの想い綴った文章でした。
提出した課題用紙の余白には、青山先生の語りかけるような講評が細やかに綴られていました。その文章の最後に添えられていたのが「本当はもっと話したいことがあったのでは?と感じています。」という一文でした。
その通りで、自分へのもどかしさに心がチクりとしました。何年もずっと抱えていた記憶なのに、上手く言葉にならない。内側に抱える“切実なもの”を表現する勇気がその時はまだ持てなかったのだと思います。
それから約1年後。がんを宣告された翌朝、病室のベッドでふと思い出したのが青山先生の「切実」ということばでした。
突然降ってきた「遅かれ早かれまわりの人よりうんと先に死ぬのだろう」という実感。本当に伝えたいこと。のこしたいこと。「切実」という響きとともに、たくさんの言葉が現れました。表現する術を教わっていたことは、がんという混乱と孤独の中でも、紡ぎ、つながりなおしてための大きな力となりました。
ZINE『ココロイシ』海辺で拾った石の内側に、ことばが綴じこめられています
もう一つの道標は「自分のこと」という言葉。
これは1年前の秋、イラストレーターの小池アミイゴさんの一本の線から始まるストーリーというワークショップに参加するために富山の音川という集落を訪れた時、アミイゴさんからいただいた一言でした。
訪れた土地で出会う景色や一人ひとりの声に耳を澄まし、見つめ、絵を描き、展示をし、また絵の前で語る人の声に耳を澄ます。時にはワークショップというスタイルで、その土地のこどもやおとなたちと“絵を描く”ということを通して対話を重ね、描き手が表現の種が芽を出す場に立ち会う。そんなアミイゴさんの描く絵、紡ぐことば、積み重ねている対話の足跡に心動かされて訪れたのが、富山の友人の故郷 音川でした。
その頃のわたしはがんの治療を終えて2年が経った頃で、まだまだ病気のショックを引きずっていた霧の中の日々。ワークショップでお題となった「楽しかった思い出」の景色が思い出せず、塗り重ねたのは白ともグレーとも言えないどうしようもない灰色でした。
そんな大阪からの参加者のわたしを見て、ご自身のこれまでや訪れた土地で出会った一人ひとりから感じたことを一つひとつ、わたしに向かって小さく投げ続けてくださったアミイゴさん。最後にそっと置いてくださった一言が、「本当(に表現したいの)は自分のことじゃないかな」という言葉でした。
心にぐさっと刺さりました。それから丸1日、抱え込んだまま、最後に並んで座ったお寿司屋さんのカウンター越しに、声にならない声の代わりにポロポロ涙が溢れた涙と「本当は自分のことなんです」という一言。そして「大阪に帰ったら自分のことを綴じます」という小さな約束をしました。
帰りの特急電車で、がんになってから綴じてきたものを振り返りました。がんの寛解後に、闘病を支えてくれた家族への感謝の気持ちを綴った『かぞくのことば』。がんの治療中に、別の他界した祖母の思い出の品と家族の記憶を綴じた『otomo.』。そして依頼者の“大切な記憶”を預かり、綴じて贈り続けた『掌の記憶』。
毎日一心にZINEを綴じ続け、どれも切実で大切なもの。でも、がんという混乱と孤独に苦しんだ自分の本当の心はどこにも綴じられていませんでした。
今度は「自分のこと」を綴じてみよう。アミイゴさんとの約束を握りしめて綴じたのが『ココロイシ』というZINE。がんになってから海辺で拾い続けてきた山ほどのハートの石一粒ずつに、がんを告知され、治療を経て寛解後もくるしみ続けたがん患者の心に沈んだ記憶をおさめたものです。
目の前で耳を澄ませてくれる人がいて、初めて「自分のこと」を声に出すことができる。その声を受け止めてもらって、初めて気づくこと、距離を置いて見つめられることもある。聴き手の「自分のこと」を二人のあいだに置くことが、語り手が「自分のこと」を語る呼び水にもなる。
そんな一人ひとりとの対話を地道に積み重ねることこそが「自分のこと」の中にある「自分以外の人も抱えていること」を見つけてゆく道筋になる。そんなことを、アミイゴさんから教わったように感じています。
『ココロイシ』を読んだ方の声から生まれた『汀の虹』
そのような経緯で“忘れられないことば”となった「切実」と「自分のこと」。
お二人とはその後も何度かお会いする機会があって、その時々に道標となることばをいただいたり、お二人が日々それぞれに綴られていることばを受け取ったり。出会った一人ひとり、起こった出来事の一つひとつをしっかりと受け止めながら生きているお二人からいただいた言葉の種が、『汀の虹』の詩の表現につながっているとも思います。
次回は「4. “声”を綴じ、“声”を聴く」。本が抱く“声”、そして本から生まれる“声”についての記憶をお届けします。
michi-siruve exhibition「汀の虹」
「小さな詩と花、お贈りします」
“心の揺らぎ”を綴じた豆本詩集『汀(みぎわ)の虹』。本におさめた小さな詩と花を、blackbird booksの白い壁一面に浮かべます。作家在廊時は壁からお好きな詩と花を預り、その場で本に綴じてお贈りする“Book”と“Box”の制作も承ります。本屋さんの片隅で、本づくり。本に触れた方の声を預かるために、あなたの一冊をお贈りするために、静かにお待ちしています。
※在廊日はお知らせページで後日お知らせします。
開催期間
2018.1.16(tue)~1.28(sun)
平日11:00~20:00 土日祝10:00~19:00 ※月曜定休
開催場所
blackbird books
〒561-0872 大阪府豊中市寺内2-12-1 緑地ハッピーハイツ1F
TEL 06-7173-9286 北大阪急行(御堂筋線) 緑地公園駅より徒歩5分
http://blackbirdbooks.jp