映画祭の運営に携わっている密かな動機のひとつとして「誰かの後の人生に響くような映画体験のきっかけづくりをしたい」という想いがあります。
私自身、宝塚のまちのご近所で青春時代を過ごした学生の一人で、学生時代に観たある映画で人生が変わった経験あります。正確には、観た当時にはよくわからなかったものが社会に出たある瞬間にずんと効いて原動力なり、それから色んなものづくりに携わりながら充実した日々に(追われて?)いる今の自分が居ます。だからこそ、同じまちの学生さんたちにも何かしら後の人生に響くような出会いのきっかけを贈れたらなと。そんな想いで今年の上映作品を考えたとき、真っ先に思い浮かんだのが三宅唱監督の映画『Playback』でした。
映画に関しては心身ともに投げ出して感覚的に“ぼーっと観る”人間で、その体験を言葉にするというのは本当に苦手なのですが。初めて観たときの記憶を辿ると一言「久々にめっちゃ格好良い映画観たかも」という言葉がしっくりくるような、そんな作品でした。 単純にモノクロフィルムの生み出す質感、間や選曲、主演の村上淳さんをはじめ出演者一人ひとりから滲みでる雰囲気など、観る側が触れる表面的な要素もあるだろうけれど。
個人的に心動かされたのは、相互関係の上で成り立つ本物の格好良さみたいなものの気がします。たとえば目の前の相手、踏みしめている土地や感じる風の感触、思いだせない記憶に対して。自分のまわりに起きている現実を、それぞれが静かにしっかり感じ取って存在している。物語を演じている俳優として、さらには俳優として生きてきた中で研ぎ澄まされてきた人間そのものとしての居住まい、視線、声。それがしっかりと捉えられていて、個々の存在そのものがくっきりと迫ってくる。本当に鋭くてしなやかな、相互関係の上で成り立つ格好良さのようなものが、光と影になって目の前に在ったという印象でした。
とりわけファンタジー要素のある作品を目の前にすると、たった一瞬でも誰かの一人よがりな空気が混じりこむと、観ている側の違和感となって現実に引きずり戻されてしまうことがあります。しかし、この作品では俳優さんが出てくるたびに人同士の反応が増え、層が重なっていく。数多と公開されていく映画の中で、ここまですべてがぴったりとはまっている作品は多くはないし、素晴らしいスタッフとキャストの出会いで生まれた映画なんだろうなと感じました。だからこそ、劇中の「選択と結果、選択と結果。その積み重ねとしての今だろう。」という台詞がずんとリアリティをもって迫ってくるというか。そこに重なるのは登場人物の人生か、はたまた自分の人生か、それとも目の前に完成している映画に対してか。確実にファンタジーでありながら、観終えて大きく息を吸い込んだ瞬間に、今ここにいる自分に問いが生まれるような「映画」。これはもっともっと多くの人に観てもらいたいし、もう一度観たいと思っている人にもその場を贈りたい。何より自分ももう一度観たい。それが『Playback』を推した私の想いです。
最後にもう1つ付け加えると、映画をどこで観るか、観終えたあと、どのような道を帰るか。それも映画体験をより豊かにする重要な要素。映画館で映画を観ることが必ずしも当たり前ではない今だからこそ、映画館まで来てくださったお客さんにはとっておきの体験を持ち帰ってもらいたい。その点では、宝塚映画祭の開催される売布のロケーションはもってこいなんじゃないかなと思っています。映画館のある売布神社駅界隈は、大阪梅田の中心地から離れたいわゆる郊外のまち。建物を一歩出れば地平駅舎と踏切が1つ。とりわけ夜の最終上映のあとは、必要最低限の街灯のほか何もない。踏み切りを超えて10分ほど山手へ踏み込めば、売布神社の社叢や狐池など、映画の余韻を受け止めるだけの、十分な余白をもったまちです。
そんなまちを、映画を観たあとに何かを引きずり歩きながらリアルとファンタジーの狭間を漂ってみるもの悪くないし、ほとんど人気(ひとけ)のない夜の宝塚線の揺れに身を任せて、ぼーっと帰路につくもよし、五月山ドライブウェイまで車を走らせるもよし。秋の深まる11月、帰り道にちょっと寄り道して「映画の余韻に浸る」。そんな贅沢な体験を、この素敵な作品とともに。そんな気持ちで、この『Playback』を上映させていただきます。1人でも多くの人にこの作品との出会いが届けられますように。
▼宝塚映画祭上映スケジュール
11/10(日)19:30-
11/11(月)16:40-
11/12(火)12:10-
11/13(水)19:00-
▼上映前でも後でも知って欲しい『Playback』の魅力!
映画『Playback』公式サイト
映画『Playback』公式facebook
『nobody』特集Playback
宝塚映画祭の作品紹介