【Report】「大切な記憶を手製本にする」@とよなか起業・チャレンジセンター

2018年10月17日(水) 19時~とよなか起業・チャレンジセンター主催「好き」と「共感」のマーケティング研究会のゲストスピーカーとしてお話ししました。

暮らしはじめて7年になる町、大阪府豊中市でのゲストスピーカー。市内外から定員に近い十数名、最年少は小学生の女の子も2名参加してくださっていました。

小さな頃から大切な記憶やものに触れて、集めて、おさめて、見返すという「本をつくる」という行為が好きだったというところからはじまり、震災や家族の病気をきっかけに「失われてしまう」ということに対して自分ができることはないだろうか?と福祉の学びやメディア制作の現場での経験を経てはじめたZINE制作の活動について。スライドでは、まずその足あとを簡単にご紹介しました。

自分ばかりが一方的に声を届ける行為というのはあまり得意ではなくて、そんなお話は30分そこそこに。あとはトランクに詰めて持ち込んだZINEや本づくりの道具を囲みながら、みなさんに触れていただきながらお話の時間にさせていただきました。

詳しい内容は、あの日集まってくださった方々との思い出ですが、会の中でいただいた質問やことばで忘れたくないものがたくさんあって。その中から普段あまり綴っていないことばについて3つだけ、ここに記しておきます。

「つらい経験を、自分の手であたたかなものに変えたかった」

このことばは「なんで本づくりをはじめたのですか?」という質問を後からもらって出てきたことばでした。一番大切なところなんだからスライドできちんと説明しようよ…というところですが、スライドに文章として置くことは何だかできなくて。一方的に説明するよりも、ZINEに触れた方々がそれぞれに感じてもらえたら良い気がして、肝心なところほどスライドにはできませんでした。

あとからですがここに綴ると、わたしがもう20年以上大切に聴いている曲に「悲しみを優しさに変える」というような意味の歌詞の曲があります。阪神・淡路大震災後間もない、色んなかなしみがそこかしこに在る土地で育ったわたしにとって、そのことばはずっと心の中にあったものでした。

だからこそ、流産、がん、祖母の死がいっぺんにきた時も、かなしい現実をただかなしいと表現するために他者へことばを投げたくなかった。触れた人があたたかくなるような形に、ありったけの思いやりを注いで自分の手で綴じなおして手渡したかった。今振り返ると、それで手製本を選んだのかなとも思います。

「Webは時間と距離を飛び越えられるもの」

このことばは「1冊だけの手製本を綴じて、手渡しで交わす」という活動を続けながら、Webサイトでも本の内容をひらいたり、活動の足あとを記している理由を尋ねられた時にでてきたものでした。

「本(紙)」という確かなものが抱くものや、1冊の本を介して対面でともにする時間を大切にしたくて続けている活動ですが、時間的、また距離的な問題でどうしても出会えない人もたくさんいます。

でも、日々の暮らしに追われていていたり、どうしようもない孤独の中に居る人ほど、実はこんな1冊だけの本や活動を必要としているかもしれない。その場をともにできなかった人にも、後からでも遠くへでも届けられる術として、WebやSNSを利用しています。その発信を拾って時々声をかけてくださる新聞やテレビなどのメディアの方々の存在もあって、後から出会えた人もたくさんいます。だからこれからも、どちらの表現も大切にしていきたいと思っています。

「嘘がつけなかった」

このことばは、がんを公表して制作していること、そのことに対する家族の想いを尋ねられた時にでてきたものでした。

何か抱えているものがあったとして「公表する」「公表しない」という選択肢があって。するかしないかはどちらでも良くて、本人が自分らしく生きることができる選択ができたら良いなと思います。

わたしの場合は、まわりに嘘がつけなかった。がんになる直前まで仕事やプロボノ活動で走り回っていて、突然動けなくなった事実を隠して生きることができなったというだけでした。その前段階にあった流産については、家族のことを想うと公表することができずに心と体の痛みを引きずったまま苦しんでいたのですが。がんを公表することを決めたことで、流産・絨毛がん・手術・抗がん剤治療というすべてを隠す行為をやめることができました。それまで塗り重ねていた嘘からも解放されて、わたしの正直なことばを受け取った人からの正直なことばが手元に返ってきて、ようやく生きた心地がしました。

家族も「素直でいないと生きていられない」というわたしをよく理解して、公表することを受け入れてくれた。そして今もこうして活動することを受け入れてくれていることには、感謝してもしきれないです。

公表してもう一つ良かったこととしては、がん経験者として公表しているわたしと出会ったことで、その後何かのきっかけで思い出して個人的に連絡をくださる方がいらっしゃっること。公表して制作を続けている意味はそこにあるのかなと感じています。

まだまだ「がん経験者です」と伝えると、まわりの空気がさーっとひくようなこともよくあります。でもその大半は「若くしてがんになっても生きている(公表して生きている)」という人に、日々の暮らしの中で出会う機会がないから固まってしまう。でもわたしがまず「出会った」という体験を贈ることで、その人が別の経験者と出会う時は「また出会った」になる。そうやって少しずつ触れた体験が広がり深まることで「公表するとつらい思いをする」というような状況が和らいで、フラットに選択できる世の中になればいいなと思います。

会が終了した翌日「ZINEを漢字であらわすとしたら、「人」「心」「仁」…でしょうか」とメッセージをくださった方がいらっしゃいました。「漢字にする」なんて考えたこともなかったのですが、わたしに出会いZINEに触れてくださった方が、その3文字を選んでくださったことが何だかとても嬉しかったです。

結局は家族として患者として、病院で孤独を感じたかつての自分に、どんな術が必要だったのだろうか?と、問いながら制作している活動で。病気になったことでその人らしさを伝えられなくなってしまったり、本人と周りとの間でことばが淀んでしまったり。ことばが淀むことで孤独の中に居る人が、心の中に抱えているものを表現して、他者とつながりなおすためのきっかけをつくる呼び水の一人になれたらいいなという想いをこめたZINE。それはまさに、「人」であり「心」であり「仁」であるのかもしれません。この3つのことばも、これから大切にしますね。

そんなこんなで「大切な記憶を手製本にする」は無事終えることができました。貴重な機会をくださり、また機械操作が苦手なわたしを助けてくださったとよなか起業・チャレンジセンターのみなさま、参加者のみなさま、本当にありがとうございました。きっとまたお会いできそうな出会いがいくつもあって、嬉しい帰り道でした。またどこかでお会いしましょう。

※会に来てくださったみなさんにお配りしたポートフォリオ、Webサイトにも公開しています。それぞれのZINEや展示、ワークショップにこめている想いを簡単にまとめていますので、もし良ければご覧ください。

2018年11月16日(金)~18日(日)まで、兵庫県尼崎市で開催される「第13回生と死を考える市民講座『いのちの物語をつむいで』~ことば・絵本・音楽の視座から~でも展示する予定です。

このページの内容