「味わう」#掬することば

(この文章はnote「掬することば」からの転載です)

今から2年前の2018年秋。陸前高田の箱根山テラスでひらかれた「箱根山学校」で偶然出会った友人。その友人がつくったシフォンケーキが、先日千葉から大阪の我が家に届きました。「いつか食べに行きたいな」とずっと思っていたシフォンケーキです。

本当は来週千葉まで会いに行く予定でしたが、3月頭にわたしの暮らす町でも感染が広がってしまい「何かあっては申し訳ない」と延期に。今となっては関東も感染が広がり、どこも大変な状況に気持ちが張り詰める日々ですが……縁あって、友人がつくったまあるいシフォンケーキがふわりと我が家に届きました。

少しだけ時計の針を戻して、シフォンケーキの前に友人と出会った2年前の秋の記憶を。

「箱根山学校」に参加した当時のわたしは、その数週間前にとてもお世話になっていたデザイナーの先輩を希少がんで亡くし、どうしようもない気持ちでいっぱいでした。その先輩は、わたしがその4年前に希少がんになった時、ずっと気にかけ、節目節目で声をかけ、わたしのがん経験者としての制作活動を応援してくれた人でした。その先輩が今度は希少がんになり、何一つ恩返しできないまま先輩は旅立ってしまいました。

大阪から岩手に飛んだのは、その先輩と縁のある方を訪ねるためでした。ただ訪ねようと思っただけで、先輩との縁で訪れたことも打ち明けず、静かに参加者としてプログラムに参加していました。

その先輩との思い出は「ささやかもの」という記事に綴っています。この「#掬することば」というnote自体も、先輩が旅立った日にはじめたものでした。

岩手までは辿り着いたものの調子が悪く、プログラムに参加しながらも何を聴いても話しても、どこか上の空。休憩時間はひとりテラスで横たわり、空を眺めて風を感じながら静かに先輩のことを考えていました。

「大切な人を見送ったそのあとも、途切れることのない“いのちの環”のようなものをつくって、ともに生きる術はないだろうか?」テラスの木陰でふとそんなことをぼんやり考えながらプログラムに戻り、そのあとの対話の時間で偶然同じグループになったのが、今回シフォンケーキを送ってくれた友人でした。土づくりからこだわり、農場で素材を育てるところからはじめていること。来年のオープンに向けていろんなことを考えていること。「食」というまなざしで自然と触れ合い、向き合い、いのちの環の中で生きる友人の声はとても生き生きとした響きがあって、豊かな土の薫りやふかふかのシフォンケーキの温もりまてじんわり伝わってくるような語りでした。

その友人の話でふと思い出したのが、以前富山の山あいの集落での取材旅で見た、土をめぐるいのちの環のことでした。

「おばあちゃんの記憶を本に綴じて欲しい」という依頼で、お孫さんと一緒に訪れた富山の山あいの集落。カメラを片手に当時92歳のおばあさまを見つめていると、おばあさまの日々の営みには“いのちの環”が巡っていることに気づきました。

朝起きてお庭の野菜を採り、お庭の野菜を漬けた自家製の漬物や梅干しをあげて。食卓に並んだ今日の恵みをみんなで味わう。食卓に並ばなかった食べものの皮や種はお庭の木の下の土へ還り、いのちを育む肥料となり、それらが草花を育む。咲いた花は、毎朝摘まれて仏花として仏壇の前へ。役目を終えた仏花は再びお庭の木の下の土へ還り、またつぎのいのちを育む肥料となる。今を生きる人のいのちを育む食の循環と、今はここに居ない人を想う営みがひとつ環になって日常に溶け込んでいるその様子に感動したことを、なぜかその友人に一生懸命話している自分がいました。

「いつかそんな環を、都会の日々の営みの中でも実現させたいんだ」なんて伝えたような伝えていないような。「オープンしたら、シフォンケーキ食べに行くね」と約束をして岩手で別れ、それぞれの暮らしに戻りました。

それから2年。友人のシフォンケーキをやっと受けとることができました。感染が広がっている町ということもあり、家にこもりがちで少し張りつめていた日々にやってきた、ふわふわのまんまる。箱から出してくるりと見回して、写真を1枚ぱしゃり。写真にもそのふんわりしまやさしさが写っていて、何だかにっこりしました。

夫に「今夜は友だちから届いたおいしいシフォンケーキがあるよ!」とメッセージを送り、一緒に覗きこみながらもぐもぐと。「美味しい」を文章で書くのは得意ではないけれど 「おいしいねー」「あまいねー」「やさしいねー」「しっとりだねー」なんて山びこみたいに交わしながら、最後の方は「半分ずつ!」と陣取り合戦しながら、2日でぺろりでした。

ニュースに目を凝らして耳を傾けて、まわりの視線も気になって……しんどくなってしまっていた時だからこそ、丁寧に育てられた素材から、心を込めてつくってくれたシフォンケーキに触れて「美味しい」と感じられた時間はかけがえのないものでした。

こんな今だからこそ、味わうってとても心に届くし、張り詰めて縮こまっていたものをふっと緩めて、視野を広げ、感じる力を取り戻させてくれる。もう少し落ち着いたら、そんな話をしにいきたいな。

ありがとう&ご馳走さまでした。近々正式な通販もはじまるそうなので、みなさんぜひ。この状況がもう少し落ち着いたら、このシフォンケーキを手土産に。この冬調子を崩して色々と心配や迷惑をかけてしまった両家の両親のところへ顔を出して、一緒に味わいたいなと思っています。

あじ‐わ・う【味わう】
1 飲食物を口に入れて、そのうまみを十分に感じとる。味を楽しむ。
2 物事のおもしろみや含意を考えて、感じとる。玩味 (がんみ) する。
3 身にしみて経験する。体験する。

デジタル大辞泉
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