2020-04-03

「抱負」#掬することば

(この文章はnote「掬することば」からの転載です)

13年前の昨日。新卒で入社した会社の入社式で、東京にいました。

入社前の課題で提出した「入社にあたっての抱負」がなぜか選ばれ、全国から何百人と集まった新入社員の営業・事務系代表として、社長の前で抱負を読んだという忘れられない日です。

内定が決まった時も「わたし何で受かったんだろう?」と思うくらい、まわりの内定者はエネルギッシュ。芸大出身の人もいて、かたや自分は大学では社会福祉を学んでいたという畑違い。この会社でやっていけるのだろうか……と、不安しかありませんでした。

「入社にあたっての抱負」の課題が届いた時も「これも配属先を決める要素なのだろうか」「志望の事業部や職種、仕事内容を交えてアピールするのが正解なのかな…」と、あれこれ悩んでいました。

でも、背伸びしたところで仕方ない。正解よりも、まっすぐに今の自分の想いを書こう。大学4年生のお正月からはじめていた「今年の一文字」の「凛」の続きの文字として、社会に出る自分へのメッセージのつもりで一文字を掲げて提出しました。

今読み返すと、世間の「せ」の字も知らない学生が書いた、何とも青くさい文章。ちょっぴり、いやかなり恥ずかしいです。でも、その数年後に体を壊して会社を退職した後も、当時提出したWordファイルだけは消さずに残していて、毎年この日だけはひらいて読み直し、初心にかえるようにしています。

自分の会社を御社と書いてしまったり、今となっては突っ込みどころ満載ですが……この課題を提出した当時の名前も含めてファイルの中身そのまんま、closedなSNSに置いてみました。

すると、当時入社式の会場でこの抱負を聞いてくれた同期から最近出会った友人まであちこちからリアクションが返ってきて、「案外、変わらず“わたし”なのかな?」と。
せっかくなので「掬することば」というこのnoteにも、13年前のわたしのことばを置いておきます。
入社にあたっての抱負           小西理代 (営業・事務系)

入社の抱負を述べるにあたって、まずはじめに、私の一番の目標であった凸版印刷への入社というスタートラインに立てたことを、本当に嬉しく思います。そして私をこのスタートラインへ導いてくださった方々の想いに応えるためにも、私は「志」「彩」「和」この三つの想いを自分の軸として持ち、日々成長し会社に貢献することを誓います。

この三つのうちまず「志」とは、常に志をもった社員であることです。入社を切望した時の強い想い、そして決意新たに歩み出す入社時の想いを絶やすことなく持ち続け、また御社の一員として持つべき志を常に心に刻み、一瞬一瞬の時を無駄にせず成長していくという決意を意味しています。

次に「彩」とは、自分の色にとらわれず、様々な人々の色を素直に吸収して彩り豊かな社員となることです。今後仕事を教わり、そして実際に行っていくにあたり、様々な人々と関わることとなります。そんな時、入社までの人生で築き上げてきた自分の考え方や価値観など、そういった「自分の色」だけにとらわれるのではなく、様々な人々の考え方や価値観を感じて常に吸収し、彩り豊かな社員になるという決意を意味しています。

そして最後の「和」とは、今後働く中で共に仕事に携わる人々への感謝の気持ちを忘れずに、常に和の心を持って接する社員であることです。営業として責を担う私の仕事は、一人の力で成し得るものではありません。自分の想いをぶつけるだけではなく、共に働くチームのメンバーの想いを大切に、その調和から新たな彩り(考え方や価値観)を作りだすことのできる社員になるという決意を意味しています。

以上三つの想いを軸として、そしてこの想いを具体的な行動に落とし込み、日々成長して会社にも新たな彩りを生む社員を目指します。

13年も経つと忘れてしまったこともたくさんありますが、この文章を読み返すと、不思議と当時の期待と不安が入り混じった気持ちがこみ上げます。
そもそも、わたしが印刷会社への入社を決めたのは、新聞社に勤めていた祖父の影響でした。大学で哲学を学び、新聞社で働き、引退後は人間学などを学び「尊厳ある生」について考えていた祖父。祖父の手にはいつも、新聞か本があって「誰かの想いを伝えるもの」から思想や思考を理解するという行為は、祖父にとって大切な営みなのだろうと孫ながらに感じていました。
その祖父が、わたしが高校3年生の春に脳出血で寝たきりに。同居家族として、今よりも“その人らしさ”がおいてけぼりになっていた当時の医療福祉の現場を目の当たりにし「表現の術を失っても、最後までその人らしさが尊重されながら生きてゆく術はないのだろうか?」と、わたしは社会福祉学科へ転がり込み、学びを求めました。

しかし、ソーシャルワーカーになるための学びを深めながら現場を知るほどに、当事者と制度や経営との間で板挟みなる現状も知ることになりました。

患者家族の目線からは見えなかった、専門職が抱えるどうしようもない葛藤もある。家族として死にゆく患者と生きていた当時のわたしにはその葛藤に耐える自信がなく、ソーシャルワーカーになる道の途中で挫折してしまいました。(その時のことは、昨年母校を訪れた時のレポートにも綴っています)

【Report】「そのあと」を生きる @関西学院大学人間福祉学部 人間科学科

「就きたい仕事が一つも浮かばない」と、絶望しているうちにはじまってしまった就職活動。専攻は社会福祉学。しかも多文化共生と参加型アプローチ。

当時の社会には今ほど「多様性」への理解もなく、日々の暮らしで専攻について説明しても「何それ?」という反応。一般企業への志望動機として適格にことばにすることができませんでした。

行き詰まって、エントリーシートの添削のために就職支援課の面談を受けると「どうして福祉の道に進まなかったのか?」と、それはそれは手厳しく問われました。福祉実習を辞退してから、ずっと目を背けてきた部分。その日は泣きそうになって持ち帰り、でもこの事実に向き合うのは今なんだと、ぐっと踏ん張り夜な夜なことばを探しました。

わたしが社会福祉学科で学んだのは、置かれている状況や価値観の異なる人の“声にならない想い”に耳を傾け、視覚化しながら社会へ届け、“これから”をともに考えてゆく術です。

4年間社会福祉を学ぶ中で、わたしはその「誰かの想いをかたちにして社会に届ける」という術に、より真剣に向き合いたいと思いました。社会のあらゆる業界をクライアントに、さまざまな表現技術で想いを社会に届けている御社を志望します。

何度も厳しく突っ込まれながら、やっとこさ表現できたのがこの想いでした。

「うん。これならきっと伝わると思うよ」とまとまった文章に対して笑顔で送り出してもらったとおり、この志望動機で企業の面接官に突っ込まれたことはありませんでした。そして、わたしは第一志望だった会社に入社することができました。

入社にあたっての抱負に綴ったのは、社会福祉学科での4年間で自分が教わったと感じたことでした。それは、かつて「社会に想いを伝える」仕事に就いていた祖父……今は脳出血で寝たきりになり、少しずつ弱っていた祖父への手紙のようなものでもありました。

13年前の昨日。性に合わないパンツスーツをびしっと纏い、ずっこけそうなくらい背伸びをしながら、気合いと希望をめいっぱい吸い込んで、不器用なくらいまっすぐに東京の街を歩いていた13年前のわたし。そして13年後の今日、当時は想像もできなかった今のわたしがいます。

“声にならない想い”に耳を傾け、視覚化しながら社会へ届け、“これから”をともに考えてゆく

曲がりくねったり、崖にぶち当たったり、谷に落ちたり、いろんなものを失ったり、流産やがんで満身創痍。遠回りもしたけれど、あの日の自分が心の中に抱いていた決意の一本道の延長上は、今も何とか歩けている気はします。

それが確かめることができているのも、13年前に置いたことばが今も手の中に残っているからだとも感じています。

あれから13年と1日後の今日。日本も世界も、あの日のわたしは1mmも想像も出来なかったような状況になり、自宅アトリエにこもって考えて続けている日々。

そんな今だからこそ、あの日から13年後の今の気持ちを「掬することば」として置いておきます。また来年が来ると信じて、1年後これを読むわたしに向けて。

13年前に撮影した、故郷の花小金井の桜

ほう‐ふ【抱負】
心の中にいだいている決意や志望。
(デジタル大辞泉)

 

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