「深(ふかめる)」

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今から12年前、大学4年生のお正月から何となく続けている今年の一文字。

2006年 凛(りん)
2007年 彩(いろどり)
2008年 道(みち)
2009年 生(いきる)
2010年 創(つくる)
2011年 挑(いどむ)
2012年 感(かんじる)
2013年 編(あむ)
2014年 磨(みがく)
2015年 理(ことわり)
2016年 繋(つなぐ)
2017年 響(ひびき)
2018年 深(ふかめる)
凛から磨までの理由はこちら

2014年にがんになり、もう一度自分なりの「理(ことわり)」をもって生きようと、“記憶”にまつわる制作を続けた2015年。2015年に生まれた制作物や縁を「繋(つなぐ)」1年にしようと、日本のあちこちへ取材旅に出かけた2016年。より手にとった人の心に響くものをつくり、誰かと一緒に創作するような試みもと「響(ひびき)」を胸に新しいことにもチャレンジした2017年。そして2018年に選んだのが「深(ふかめる)」の一文字でした。

今思うと、とにかく必死だったがんになってからの3年間。最初は「がんになってつらかった」という一言すらことばにできなくて。やっと「つらかった」「今も本当はつらい」と、小さな声でこぼすことができるようになっても、最初は何がつらくてかなしいのかもわからないままでした。

そうして、ただただ「つらい」という海で溺れていたわたしを見かねた夫からは「何がつらくてどうしたら乗り越えられるのかは、自分で考えなきゃいけない」と言われたこともありました。

「乗り越えられる」ものなのかはわからないけれど、つらさの理由をことばで捉えることも必要なのかもしれない。そんな一心で、一生懸命心の奥に沈んだ感情を掬い上げ、その輪郭を捉えることばを探す日々でした。

「つらい」の奥にある、もっと表現しづらい複雑な感情や、認めたくない自分の弱さ。そんな欠片もひとつふたつと掬い上げ、そっと置いては見つめなおして。

一方で、それを他者のまなざしにも触れる場所に置くことには、随分臆病になっていました。そのことばが、誰かを傷つけてしまうかもしれない。弱さや脆さを露にすることで、逃してしまう未来があるかもしれない。

でも、生きるとは思っていなかった季節がひとつ、またひとつと巡るたびに、生きている自分だからこそできることを積み重ねていきたいという想いが強くなり、ことばを掬い上げること…「掬することば」をはじめました。

2018年にここに置くことができたのは両手におさまるほどですが、抱えてきた素直な感情や想いを、掬い上げながら置くことはできました。

「掬することば」という一つの場をつくり、そのことばたちを置くことは、耕したまっさらな畑に種をまくような。豊かなことばの置き方であり、置き場所になりました。

「#旅する日本語」というnoteで募集していたコンテストにも、ふたつの文章を置きました。34歳になった今のわたしと、16年前の18歳のわたし。それを「#旅する日本語」という一つの枠の中でフラットに綴ることができたのも、自分の中では大きな変化でした。

これらの記事を読んでくださった方と、今まで以上に深いやりとりが生まれたり。ここでことばにしたことで、他の場でも深く表現できるようになったり。掬することでmichi-siruveの活動もさらに深まった、充実した1年でした。

それでも、時間が全然足りなくて。掬い上げてここに置きたいことばが、まだまだたくさんあります。なので2019年も引き続き、ささやかに、続けてゆきたいと思います。

なんて綴っていたら、年も明けてしまいましたが…… 2019年で、がんになり丸5年。夏には寛解して5年を迎えます。

何年経ったからどうというものでもないし、それが何年なのかは一人ひとり異なるもの。それでも、一般的に1つの区切りと認知されている「寛解から5年」という数字を迎えるということに、わたしは一体どう向き合い1年を生きようか。そんなことを昨年の暮れからずっと考えていました。

いつもは大晦日の夜に「来年どうしようか?」と文章を綴りはじめ、自然と浮かんでいた「今年の一文字」も随分悩んでしまって。「深」の振り返りも少し遅れてしまいましたが…2019年の一文字も、ついさっきやっと見えました。それはまた次の投稿で…。2018年も、本当にありがとうございました。2019年もよろしくお願いいたします。

しん【深】
1 水がふかい
2 奥ふかい
3 程度がふかい
4 夜がふかまる

デジタル大辞泉
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