2019-01-10

「隔たり」#掬することば

Flowers 「アジサイ」×「レンダーワトル」(2017.10 花店note)

 

2月4日の「World Cancer Day」に向けて。豆本詩集『汀の虹』の詩を、1日1篇ずつ置いています。4篇目は「隔たり」です。


流産の記憶、とりわけ流産手術の記憶は、ずっとことばにできずに抱えていたものでした。

「とてもつらかった」「でも、もっとつらい想いをした人もたくさんいるはず」その間でぐらぐらと揺らぎ、ことばが淀んで声にならないのです。

婦人科には患者として14歳から通院を続けていたこともあり、慣れた空間でした。母親くらいの年の女性から「まだ若いのに」という哀れみの目で見られたことは一度ではなく、おそらく流産の診断を受けたのだろうという若い女性の、何とも言い表すことのできない声をただただじっと聴いていたこともあります。クリニックのどことなく重たい静寂と、その外に広がる商業施設の子ども用品売り場に溢れる光や音の差に、いつも眩暈がしました。

産婦人科になると一層光と音のコントラストが増し、オセロの表と裏のように生と死が背中合わせでした。それはぴったりと裏表で、そこに居る人にはどうしようもない力でくるくるとひっくり返るような。

何かの理由で通院している人も、臨月の人も、流産手術を待つ人も、産後間もない人も、同じ空間の中でその音や光をともにしなければいけない。その時間は、妊娠という生がひっくり返り、流産からそのまま手術、抗がん剤治療と雪崩れ込んだがん患者として、一番つらく、同時に「とてもことばにできない」ことでした。

15年近く婦人科通いだったわたしは、初めての妊娠で流産と手術を告げられても、仕方のないことなのだと淡々とことばを受けとり、指定された日に処置室の台の上にあがりました。

でも処置室で、壁ひとつ隔てた向こう側から聴こえてくるお産の声を聴いてしまったとき、自分でも想像できないくらいのつらさと虚しさがこみあげてきて。それまで堪えていた涙が一筋溢れました。その本当にたった一筋に、すべてが凝縮されていたように思います。

あのとき、壁やカーテン1枚で隔てられた途方もない孤独。それから先の孤独には随分くるしみました。そのことばにしがたい孤独は「隔たり」だったのかもしれないと教えてくれた2冊の本のタイトルを添えて、結びのことばとします。

へだたり【隔たり】
へだたること。また、その度合い。
(デジタル大辞泉)

『汀の虹』のみちしるべ 
『汀の虹』は、がんによる孤独の中で握りしめていた“ことばの欠片”を道標に制作しています。握りしめていた“ことばの欠片”の大半は、それまでの人生で大切な人から贈られたことばや、何度も触れた本や音楽、映画のことばでした。

そこからことばをひとつ手にとってはタイトルとして置き、心の奥に沈んだ治療前後の記憶を一つずつ掬い上げ、重ね綴っています。この本や歌、映画の中にあることばや情景をみちしるべにしていたような…という作品のタイトルだけ、最後に添えていきます。(以下、敬称略)

「隔たり」
鷲田 清一『語りきれないこと ー 危機と傷みの哲学』
瀬名 秀明 、梅田 聡 、橋本 敬 『境界知のダイナミズム』 

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