2020-11-11

「遺す」#掬することば

(この文章はnote「掬することば」からの転載です)

10月の終わり、大好きな祖父が亡くなりました。

脳内出血で緊急入院。「持って今日明日…」という見立てで「最期にお孫さんも…」と呼ばれたのは一か月ほど前のこと。

手も繋げず、声もかけられず。今にも消えそうな祖父を遠くから一瞬眺め、外に出され、声もなく静かに涙を流して病院を後にしたのが祖父との最後の記憶です。

会えなくても仕方のない状況でできる限りの配慮してくださった病院のみなさんには感謝しかありませんが、「切ない」ということばに尽きる60秒でした。

あの時の切ない気持ち、そして同じような別れを経験した方がきっと他にもたくさんいらっしゃるのだということ。一方で、その現実の中で命を守ることと残された時間への配慮のどちらも諦めず、懸命に治療にあたり続けてくださっている方がいること。どちらも忘れてはいけないと思います。

そんなことも含めて、2020年という年に大切な家族を亡くしたこと、祖父への想いをことばに遺しておきたくて久しぶりにnoteをひらくと、最後に書いていたのも祖父の記憶を綴じた本についてでした。

思い返せば、今から6年前。祖母の死と流産とがん治療が同時に押し寄せたかなしみの中、どうしたってもう会うことはできない祖母の代わりにわたしの気持ちを受け止め、黙々と綴じ続けた本の読み手でいてくれたのは祖父でした。

「おばあちゃんはどうですか?」

がんによる大量出血で搬送され緊急手術で一命をとりとめた当時、病室のベッドから毎日、母へ同じメッセージを送っていました。別の病院で危篤だった祖母に、最期に一目会いたい。それだけを目標に何とか外出許可をもらおうと、黙々と抗がん剤治療を受けていました。

でも祖母は、わたしが手術で一命を取り留めた日に亡くなっていました。何とか止血が成功し、意識が戻り、翌日から抗がん剤治療。そんなわたしに「今は伝えない」と決めた家族の選択は、間違いではなかったと思います。

いつもこえはかけてるからね。みちよが来てないって思わないように

ひとつだけ、手元に残っている母からの返信です。日付を辿るとおそらく祖母の葬儀の前日くらいのこと。

「ほんとうのこと」は何一つ言ってもらえなかった日々でも「嘘のことば」は一つもなかった。ことばを辿りながらその配慮を知り、一人噛みしめていました。

「おじいちゃんに会いたい」

長引く入院と抗がん剤の副作用で徐々に弱り祖母のお見舞いに行くことを諦めたわたしは、次に「祖父に会いたい」と母に頼むようになりました。

副作用が酷く、面会はすべて断っていた中で唯一頼んだ面会相手。当時は元気だったとはいえ、祖父はすでに90歳。入院している孫が遠方の病院まで「祖父を連れて来て欲しい」と頼むなんて、今冷静に振り返るとどうかしています。

でも、まだ生きていると信じていた祖母へ最期に一言伝えたかった。それを祖父に託したかった。その想いをみんなで受け止めてくれたのだと思います。頼み続けて何週間か経った頃、祖父は伯母と一緒に病院までお見舞いに来てくれました。

長年連れ添った祖母を亡くして間もない時期に、祖父は気丈に訪ね、祖母が亡くなったことを隠してわたしの話を聴いてくれてました。その時何を伝えたのかまったく思い出せませんが、どうしても祖父に伝えたいことがあって声にした記憶はあります。

「わかります」「わかります」と静かに頷き、大阪弁の独特のイントネーションで優しくことばをかけてくれた祖父の声だけは、不思議と今もはっきりと覚えています。

それからの6年、祖父は祖母と暮らした家に一人で住み続けました。祖母とは会えなくても、祖母の記憶が残る家と迎えてくれる祖父がいる。そのことにどれだけ助けられたかわかりません。

お互い何度も体調を崩しては「大きい病気してるからな」と労い合い「まぁもう少し頑張りましょう」と励まし合った6年。祖父と孫というよりは、体の弱った仲間というような不思議な関係でした。

otomo

祖父とは6冊の手製本を一緒に綴じました。祖母が遺した暮らしの品を、家じゅうひっくり返しながら家族で撮影した『omoto.』4冊。祖母との記憶、祖母が亡くなった後の家族との撮影の記憶を綴じた『掌の記憶』瓜破篇

祖母の本を綴じてから、訪ねるたびに昔話をしてくれるようになった祖父の生まれてから今日までの記憶をじっくり聴いて綴じた『掌の記憶』杭全篇。音源もありますが、聴かなくても文字をなぞるだけで声が聴こえてきます。

「せめて本の中に遺したい」。そんなわたしのわがままにいつも笑顔で付き合い、手に取り丁寧に読み、祖母の仏壇に供えて毎朝埃を払っては祖母に語りかけてくれていた祖父。

手製本の活動を報告する度に、静かに穏やかに「あんたはええことしてる」と声に出し、あたたかい言葉をかけてくれた祖父。祖父がいたから、この6年頑張れたのだと思います。

主のいなくなった祖父の借家は年内で引き払うことになり、引き取り先のない祖父母の暮らしの品はすべて処分することになるそうです。

祖母が亡くなった時は、祖父や母、祖母の妹と一緒になって遺品を撮影して本に綴じました。祖母の遺品の一部は、翌年ギャラリーカフェで展示販売し、たくさんの方が見て、触れて、持ち帰ってくれました。一部販売した祖母の遺品の売り上げは「掌の記憶」という本を贈る活動になり、たくさんの大切な記憶をお預かりしては贈るという日々を重ねることができました。

あれから6年。感染症の流行で「集う」という行為が難しくなり、家も近々なくなってしまうという状況では、ゆっくり思い出を振り返ることは難しそうです。当時のように展示販売することも難しいでしょう。今になって、あの時間の丸ごとがわたしとっては非常に大切な時間だったことを思い知らされています。

とはいえ、進む時は止められません。「いるものだけ選んで」と母から急かされ、先週夫に車に放り込んでもらい何とか祖父の家に行きました。無言の祖父に挨拶をして、体力の許す範囲で少し棚を開いて祖父が使っていた道具などをいくつかよけるだけ寂しい時間。

何とも空っぽな気持ちで帰り際にトイレを借りると、奥の棚に祖父の字が綴られた白い袋がぶら下がっていることに気がつきました。

袋をあけると、小さな紫陽花の花が出てきました。祖父が元気だった頃、長年一生懸命手入れしていた団地のまわりに咲く紫陽花。日付は2年前、まだ元気に外を歩いていた頃です。

毎年毎年、祖父の家へ上がる時に横を通り過ぎて眺めていただだけの紫陽花でしたが、こうして祖父のことばとともに「遺っている」というだけで、不思議と特別な花のように思えます。これだけは傍に置いておきたくて、そっと持ち帰りました。

帰宅後母に尋ねると、毎年誰かに頼まれて祖父が作り、プレゼントしていたとのこと。毎年咲いていたなんてことない紫陽花の、枯れ果てた静かな一輪。でも不思議と、祖父の温もりを感じます。

やっぱりわたしは、大切な人が遺したものを大切な人の記憶が宿るものを、大切にしたいな。

大きく変わってしまった世の中でも、今できること。もう少しだけ考えてみようと小さな勇気をもらいました。おじいちゃん、ありがとう。

のこ・す【残す/▽遺す】
1 あとにとどめておく。残るようにする。
2 もとのままにしておく。
3 全体のうちの一部などに手をつけないでおく。
4 消さないでそのままにしておく。
5 後世に伝える。死後にとどめる。
6 ためこむ。
7 相撲で、相手の攻めに対して踏みこらえる。
(デジタル大辞泉)

Visit Us On TwitterVisit Us On FacebookVisit Us On Instagram
関連記事
Schedule

Event / Exhibition / WS
12/19(土)「あなたのコト」展示ブース出展  @とよなかすてっぷ(大阪府豊中市)

////////////////
記憶のアトリエ
※安心して開催できる状況になるまで、アトリエの開催はお休みしています