2019年9月28日(土)、小児・AYA世代のがん治療やサポートに尽力される医療者のみなさんが集う研修会にて、AYA世代のがん経験者として体験談をお話する機会をいただきました。
わたしは罹患年齢が小児よりはかなり上で、お役に立てるだろうかと不安もあったのですが。前回に続いてお声がけいただきました。
前回は「フォロー期間が短く、長期フォローアップの経験もないわたしで良いのだろうか? 」「こんな悩みを打ち明けて良いのだろうか?」という不安の方が大きく、控えめな体験談だったのですが……参加者のみなさんも、運営スタッフのみなさんも本当にあたたかいまなざしで頷きながら聴いて感想もくださり、その真摯な向き合い方にとても勇気付けられました。なので今回はもう少し踏み込んだ患者の想いを、正直に打ち明けてみることにしました。
流れ自体は前回と変わらず、寛解から5年、フォローを外れて2年を迎えるがん経験者として、治療中、フォロー中、フォローを外れてからの心の変化を軸に、抱えてしまっていたことや周囲との関係の中で揺れ動く気持ちなどを少し発表させていただきました。
お話しした内容は当日参加してくださったみなさんと分かち合ったこととして留めておきますが、文章で少しだけ。
わたしが経験した絨毛がんは希少がんにあたり、罹患当時は29歳でした。流産からがん治療になだれこみ、手術と抗がん剤の治療を受けたのは産婦人科という空間。病棟や外来で出会う同年代の大半は妊産婦さん、つまりは自分ががんによって失った未来の中にいる人たちの中。新生児や家族の声が耳を塞いでも飛び込んでくるという環境の中で、空っぽのお腹で吐き続ける日々に耐えなくてはいけませんでした。
当時は若くしてがんになってしまった申し訳なさと目の前の治療に耐えることに必死で、体の副作用以外で医療者に相談することもはばかっていました。がんは子宮・卵巣・両肺に広がっていましたが、抗がん剤が非常に良く効き寛解。
その後心身ともに元通りにならない日々が続きながら今日に至ります。今振り返ると「あのとき助けを求めていたら……」「あの時こんなサポートがあれば……」と感じることも少なくなく、そんなことをお話ししました。
講演後に「今まで病棟で出会った患者さんの顔が浮かんだ」と声をかけてくださった看護師さんがいらっしゃいました。そう声をかけていただけると「勇気を出して打ち明けてよかったな」と思います。今回の時間が、かつてのわたしのように助けを求められずにいる患者さんの孤独を和らげる思いやりに少しでもつながればと思います。
もうひとつ、質疑応答で「がん相談支援センターの存在を知っていましたか?」とご質問をいただきました。わたしは大学時代にソーシャルワーカーを育てる学科にいて、医療ソーシャルワーカーの同級生もいたのでもちろん知っていました。でも、助けを求めることができませんでした。
「(がん相談支援センターの存在や相談できる内容を)知っていても、利用する勇気がでない」「(ピアサポートの案内を)もらっても、アクセスする勇気がでない」寛解後に同年代のがん経験者と出会う中で、今病院に居ながら院内やがんサロンで患者さんやご家族を見つめる中で、そういった現実はわたしに限らずあるように感じます。
特にまわりの患者さんよりうんと若くしてがんになり成人病棟で治療を受けることになると、周囲の動揺や無理解で傷つけられることも少なくありません。傷ついてきた若年の患者は「これ以上傷つきたくない」という想いが勝り、周囲に助けを求めることが難しくなることもあります。
傷つくことが重なり孤独の中にあるかつてのわたしと同じような状況の人がいたとして、どんなことばやサポートなら届くのだろう?
考え続ける日々ですが、今まさに治療の最中にある患者さんと向き合う医療者のみなさんが、こうして経験者の声に耳を傾け考えてくださっていることはとても心強いなと感じます。
発表後のグループワークも、今回も参加させていただきました。みなさん本当にあたたくて、治療後の若いサバイバーの「そのあと」にも伴走する想いを持った方々が集われている会なんだなと、今回も肌で感じた一日でした。
あたたかく、そして熱心に考えてくださる医療者のみなさんが居てくださることは、患者として何より心強いことです。器用な方ではないので中々お役に立てることも少ないかもしれませんが、これからもお声がけいただけたことには参加していきたいです。貴重な機会をいただきありがとうございました。