「ただそれを」#掬することば

昨夜のこと。「michi-siruveの活動はいろんなことをされているけれど、(本質的には)なにをされているのですか?」というような、根源的な問いかけをいただく機会がありました。

自分のことなのにまったく上手くことばにできなくて、でもふと冷静になって「いや、そもそもmichi-siruveはそういう活動だったような」と。

そしてミーティングを終えてふと思い出して読み返したのが、大学時代に恩師のJOE先生の授業で教えていただいたこのテキストでした。

被災地で育った子どもとして、病により表現の自由を失った患者の家族として、しんどく感じていた支援者や社会からの一方的な矢印。

一方的な矢印がなく人と人が生きる術はないのかと学びを求めた、関西学院大学社会学部社会福祉学科の武田丈先生のゼミ。

当時、ソーシャルワーカーになるために触れていた福祉の教科書や援助技術演習のワークの些細なことばやフレーズ、視座のあれこれにかなしみや憤りを感じて専門職の道からドロップアウトしてしまったわたしが、生きていくうえでこのことばは大事にしたいと思えたのがこのテキストでした。

AYA世代の流産をともなう希少がん経験者というマイノリティの当事者になって8年を経て、少しだけ自分の元に手繰り寄せることができるようになったような気がします。

学問はどんどん新しくなっていて、もしかすると「古い」テキストなのかもしれません。でも、今読みなおしてもやっぱりわたしはこのテキストを大切にしたい。そしてこのテキストを心に、考え続けながら一人ひとりとともに生きる日々こそがmichi-siruveのZINE制作や「記憶のアトリエ」なんだなと思います。

そのことを思い出すきっかけをいただけたこと、そしてそんなよくわからないmichi-siruveの活動に関心を寄せてくださる方がいらっしゃることに感謝です。備忘録として。

ただ
1 そのことだけをするさま。それよりほかにないと限定するさま。ひたすら。もっぱら。
2 数量・程度などがごく少ないさま。わずかに。たった。
3 (「ただ」+動詞の連用形+「に」+動詞の形で)そのことだけが行われるさま。ひたすら。

デジタル大辞泉
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