ZINE『掬することば』(2025)

『掬(きく)することば』(2025)

“いえないいたみ”を抱えたわたしが
緩和ケア医の儀賀理暁さんとみつめたことばたち

memo
□ がん患者と緩和ケア医

□ メッセージアプリの履歴から
□ 72篇のことば
 
data

book
110mm×195mm/Interlockingtabalbum/PELP!
62P/80P/74P
card
-72篇のことばたち-
91mm×55mm/72枚/PELP!


2025年8月15日発行
メッセージ 儀賀理暁、藤田理代
綴じ michi-siruve

『掬することば』にこめたおもい

『掬することば』は、がん罹患から丸11年の節目に制作したZINEです。

2016年、がん罹患から丸2年の節目に流産からのがん治療の記憶を綴じた『ココロイシ』。翌年、丸3年を迎えた節目に『ココロイシ』も含めた3年の月日を詩にした豆本詩集『汀の虹』に続く、がんを経験した“わたし”の心の内を綴じたZINEの続編にあたるZINEの3作目。

2022/3/2~2025/5/4まで、緩和ケア医の儀賀理暁さんと交わしたメッセージから掬した72篇のことばの記憶を、3冊組のZINEに綴じました。


“いえないいたみ”を抱えたわたしが
緩和ケア医の儀賀理暁さんとみつめたことばたち

このことばのもと、本に綴られているのは、この3年間で儀賀さんと交わしてきた日常のささやかな会話の欠片たちです。

大半は儀賀さんと一緒に考えながら協働してきた大学での講義や展示に向けた打ち合わせや振り返りの会話ですが、わたしにとっては罹患から11年という月日とともに心の奥に押し込めてしまっていた、でも今日も「昨日のような今のこと」としてここにあるがん患者としての“いえないいたみ”の記憶をあらためて掬い上げ、語りなおす日々でもありました。

儀賀さんはきっと、ただ儀賀さんとして受けとりお返事をくださっていたのですが、その儀賀さんが「緩和ケア医でもある」という事実は、がん治療を受けていた当時「医療者に本音が言えなかった」という癒えない体験を持つわたしにとっては、とても大きなことであったのだとも思います。


ほんとうは、がん患者としての記憶を主題にしたZINEは、丸5年の節目に綴じ、自分の中で「がん患者としての日々」に区切りをつけて終わるつもりでした。でも、できませんでした。

当時はその理由もわからなかったのですが、今振り返って思うのは、年月を経るほどにわたしのがん体験を「過去のこと」にしてゆくまわりの人たちと、いつまでたっても「昨日のような今のこと」として苦しむ“いえない(言えない・癒えない)わたし”との距離が広がってしまい、距離があることが言えず、追いつく術も見つけられず、そんなわたしを認めてことばを紡ぐことができなくなっていたのかもしれません。

それでも追いつかなくてはともがき続け、区切りをつけられないことが苦しくて、丸10年の節目には何とか区切りをつけたくて、先に“うつわ”から作ってしまえば何か生みだせるかもしれないと「この10年を綴じる手製本」として『*petal』と『flower*』という手製本は制作しました。でも結局、自分の10年は綴じれないまま丸10年の節目は過ぎてしまいました。どれだけ先をゆくまわりの人たちに「追いつこう」ともがいても、結局は追いつけないわたしがいました。

儀賀さんと出会ったのはそんな時期で、がんに関連したNPOの活動や大学の講義での協働など、儀賀さんとつくる場では不思議と「追いつけない」という苦しさがなく、「昨日のような今のこと」としてここにある“いえない(言えない・癒えない)いたみ”を、わたしを、素直に表現することができました。

そんなささやかな協働を重ねるうちに、がんの体験談を依頼される場でも、少しずつその“いえなさ(言えなさ・癒えなさ)”を表現し、共有し、お互いのいえなさを認め合いながら歩みをすすめる体験が増えてゆき、生きる助けになっていることを実感してゆき、そのささやかな協働の足跡を共有したい気持ちが芽生え、このZINEの制作を儀賀さんにご相談するに至りました。


本来であれば、打ち合わせや振り返りとして重ねてきたメッセージを第三者にひらくというのは、その依頼をすることも含めてそこにあった大切なものを傷つけたり失ったりする行為でもあり“よい依頼”ではなかったのかもしれません。そんなわたしの依頼の奥にあるものに耳を傾け、ZINEとして再編集し、他者と分かちあうことを許してくださった儀賀さんには、感謝の気持ちでいっぱいです。

とてもことばにはし難い、また、ことばにしたところで受けとめてもらえるだろうかという怖さをともなう記憶や気持ち。みんなから喜ばれるような前向きで明るいものではなくても、確かにあったし今もあるということ。

そんな“わたし”を他者と分かちあうことで生まれるもの、そこから歩みなおせるもの。そんなささやかなものの積み重ねが運んでくれる大切ななにかが、このZINEにはつまっています。

ZINEは寄贈や販売などはせず、儀賀さんとわたしの手元に1組ずつだけ持ちあうというかたちをとっています。わたしの手元にあるZINEは、儀賀さんにもご了承いただき、michi-siruveとして各地で開催している本づくりの移動アトリエ「記憶のアトリエ」のBooklistに加え、お越しいただいた方はお読みいただけるようにしています。もしこのZINEを読んでみたいなと感じられた方は、「記憶のアトリエ」を覗きにいらしてください。

最後になりましたが、このZINEの制作、そしてアトリエに置くことを聴してくださったこと、何よりもこの3年の日々の、儀賀さんへの感謝の気持ちを結びとして、『掬することば』の紹介文とさせていただきます。

もくじ -72篇のことばたち-

本に綴じた72篇のことば(もくじ)をリストにしています。心のなかに大切にもっておきたい、うつくしいことばたちです。

掬することば
2022/03/02 – 2022/12/27
  • 001 「言葉を大切に」
  • 002 「手と心を動かす時間」
  • 003 「なんでもない日の贈り物」
  • 004 「掬する」
  • 005 「ちゃんときけていた」
  • 006 「そら」と「はな」
  • 007 「通奏低音」
  • 008 「汀の虹」
  • 009 「その前に」
  • 010 「そっといる」
  • 011 「きいてもらえた」
  • 012 「新しい音」
  • 013 「みんなのうた」
  • 014 「抒情歌」
  • 015 「過去」と「今」
  • 016 「リズムやメロディーを持つ言葉」
  • 017 「アート」と「サイエンス」
  • 018 「舞」と「踊」
  • 019 「わたし」
  • 020 「認める」
  • 021 「ざ・◎◎」
  • 022 「歩幅」
  • あとがき「掬したい」
掬することば
2023/01/02 – 2023/12/13
  • 023 「ZINE」
  • 024 「掌からあふれる記憶」
  • 025 「呼び水になる余白」
  • 026 「あの言葉」
  • 027 「主語」
  • 028 「編む」と「綴じる」
  • 029 「手触り」
  • 030 「わたしの呼び水」
  • 031 「歌」
  • 032 「僥倖」
  • 033 「鏡」
  • 034 「vulnerability」
  • 035 「主語を大きくしない」
  • 036 「I」と「わたし」
  • 037 「包容力」
  • 038 「いのち」
  • 039 「体を通ってきた」
  • 040 「いえない」
  • 041 「靭さ」
  • 042 「きこえない手紙」
  • 043 「うつしみ」
  • 044 「素手の自分」
  • 045 「ほんとうの学び」
  • 046 「レンズを向けること」
  • 047 「まなざし」
  • 048 「アート」と「デザイン」
  • 049 「これもまた」
  • 050 「呼ばれる」
  • 051 「意味するところ」
  • あとがき #069+α 2025/6/9 「理」
掬することば
2024/01/22 – 2025/05/05
  • 052 「節目の1 年」
  • 053 「医療者」
  • 054 「わたし」を表す「主語」
  • 055 「地続きの響き」
  • 056 「次の若葉」
  • 057 「ちっぽけに固める」
  • 058 「無私」
  • 059 「みんな」
  • 060 「言葉にできること」
  • 061 「君」
  • 062 「委ねる」
  • 063 「今のうた」
  • 064 「あと4 年」
  • 065 「そのかなしみに尊厳を」
  • 066 「自分の言葉」
  • 067 「聴す」
  • 068 「希う」
  • 069 「理」
  • 070 「仮歌」
  • 071 「声」
  • 072 「ここにある」
  • あとがき「掬したあとに」

【ドキュメンタリー】私が“わたし”でいられるために ~ある緩和ケアチームの記録~

2025年8月23日(土)、儀賀さんの“HOME”でもある埼玉医科大学総合医療センターの緩和ケアチームのみなさんに半年間密着したドキュメンタリーが公開されました。

「私が“わたし”でいられるために」 ~ある緩和ケアチームの記録~

映像から伝わるものや感じたことはたくさんありますが、この3年間主に病院外で、一度だけ埼玉医科大学総合医療センターでも儀賀さんといろんな場と時間を共有してきた一人として、患者さんやチームのみなさんと関わる儀賀さんの声もまなざしもあり様も「いつもの儀賀さん」で、その儀賀さんも含めたみなさんの重ねてきた時間が静かに誠実に届けられているこの映像は、わたしの抱える孤独や“いえないいたみ”も、そっと包んでくれるような感覚がありました。

タイトルにもある「私が“わたし”でいられるために」。

それは「できなくなったことが、またできるようになった」という回復の結果だけが成し得るものではなく、「いえないわたし」を真摯にきき、患者さんの今の“このわたし”を肯定するところから一緒に歩んできた患者さんとチームのみなさんの過程があってこそ、患者さんの中からわきあがってくるものでもあり、その根源と過程にそっとひかりをあてて丁寧に掬い上げて編集されているこの映像が公開されたこと、制作者のみなさんにも出演者のみなさんにも感謝の気持ちでいっぱいです。

もちろん「緩和ケア」というものへの考え方や姿勢、がんや治療との歩みも含めた医療や生きることへの想いはきっと人それぞれで、視聴する方の中にある価値観や人生経験によって、たくさんの「同じ」や「異なり」が生まれてくるものかと思います。
それでも、この映像の細部に宿る制作されたみなさんや出演されたみなさんの静かな誠実さから伝わる大切ななにかは、まったく「同じ」でなくても、ともに考えてゆくみちしるべになりえるものはあるのではないかなと。

そんな気持ちと一緒に、『掬することば』とともにご紹介させていただきます。


『掬することば』に綴られている儀賀さんとmichi-siruveのこれまでの協働の記録は、下記からご覧いただけます。