【Report】「“心の汀”をみつめて」@フェリス女学院大学 音楽学部 音楽芸術学科

2023年5月27日(土)、フェリス女学院大学 音楽学部 音楽芸術学科の「心と音楽」という講義のゲストスピーカーとしておはなしする機会をいただきました。

声をかけてくださったのは、昨年もフェリス女学院大学の「医療と音楽」の講義にお声がけくださった緩和ケア医の儀賀理暁さん。今年は「医療と音楽」の講義と隔年で開講されている「心と音楽」の講義で大学まで伺いました。


昨年の「医療と音楽」と今年の「心と音楽」。授業計画をみせていただくと、根底に流れる「同じ」もあれば「異なり」もあり、半期の流れの中に織り込まれた微細な異なりをしっかりと見つめることからはじまりました。

伺うタイミングも、昨年は前期の講義の終盤で今回は中盤。何よりたった1年とはいえ世の中は確実に変わっていて、その変化が学生のみなさんの心や物事をみつめるまなざしにどのように影響しているのかいないのか。そんなことも考えながら、今年の学生さんにお贈りするものを考えます。

内容を考えるにあたり、今年儀賀さんから託されたのは

わたし

ということば。昨年の秋、儀賀さんと一緒に登壇した「ホスピタルアートを考えるその前に」のトークセッションで儀賀さんがおっしゃっていた「わたし」をめぐる言葉の数々を改めて辿りなおすところからはじめました。

病院のなかで、苦しいな、つらいなって思う原因って何だろう?って思って。それで最近わたしが一つ思っているのは、 その、〈私が 「わたし」 じゃなくなる〉っていうことなのかなっていう気はするんです。

〈私を「わたし」たらしめているもの〉は何ですか?みなさんお一人おひとり、 自分が自分自身でいられるもの。それを支えているものって何ですか?

私が「わたし」でいられるということを支えていたのは、医療ではなくて、家族やこうさまざまな大切な人との関わり

スピリチュアル、スピリチュアリティのぴったりの日本語って何かなって思ったら「わたし」だなって思ったんです。ひらがなの「わたし」 。私が「わたし」でいられる。 「わたし」

たとえば病院に行って、生命は長らえるけど、主語が「わたし」じゃなくなりますよねって話をしたと思うんですけど、そこがたぶん非常に苦しくてつらくて、そこは医療の力でもお金の力でもどうにもならない。私が「わたし」でいること。もしかしたらアートっていうのは、たぶん言葉はなくてもそれを語れる場。その物理的な場ではなくて心の場というか。そういうものになり得るのかなって。

(ZINE『ホスピタアートを考えるその前に』より)

「心と音楽」の講義でもこの問いは根底に流れていて、わたしが伺う前の2回では学生のみなさんが「私を“わたし”たらしめるもの」をみつめたり、「今ここにいる自らを表現する」時間を持ったり、自分のなかにある「わたし」と向き合ったり、同じ講義を受講する学生さんの「わたし」に触れ、それぞれの「わたし」を感じあうという時間を重ねていらっしゃいました。

そんな時間を経た学生のみなさんにお贈りできる「わたし」の響きやグラデーションはどんなものだろう? 儀賀さんとこの1年みつめてきた「わたし」の記憶も重ねながら考えたのが、「“心の汀”をみつめて 〜誰かの「わたし」の呼び水になるということ」という主題でした。

患者や家族として痛感した、病によって「わたし」が失われるいたみ。その「わたし」をいたみの海からもう一度掬いあげ、手のなかに集めなおした日々のこと。

そしてZINE作家として、手製本の制作や「記憶のアトリエ」という移動アトリエの活動を通して出会ったみなさんがきかせてくださった「わたし」のこと、表現し交わされる場に立ち会えた忘れられない瞬間のこと。そして、儀賀さんと一緒に詩と音楽で重ねてきた「わたし」の表現について。

誰かの「わたし」のために、他でもない「わたし」がする(である)意味

という視点から、写真をたくさん織り混ぜながらお届けしました。ほんの欠片ではありますが、スライドにこめた記憶のなかの風景と、言葉たちをここにも置いておきます。

2部にわけたお話のあとは、儀賀さんとの時間も。わたしのがんの経験を綴った詩と、その詩をもとに儀賀さんがつくってくださった歌を学生のみなさんにお届けしました。

患者の孤独をうたったかなしい詩の響きのあとに、儀賀さんのやさしくあたたかいギターの音色と声が静かに響くと、教室の空気も不思議とあたたかなものに。アンコールもあり、『ココロイシ』と『汀の虹』の2曲をみなさんで一緒にきくことができました。

患者として詩というかたちで表現した「わたし」が呼び水になり、儀賀さんのなかにある「わたし」が音楽になり、その詩と音楽が学生のみなさんのなかの「わたし」を揺らしている。

誰かの「わたし」の呼び水になるということ

という主題を、ともに感じるような時間でした。


大阪に戻ると、今年も学生のみなさんからの感想が綴られたレポートが届きました。

昨年の講義よりもいっそう学生のみなさん一人ひとりの「わたし」が綴られたメッセージに、儀賀さんがご依頼くださった「わたし」を感じ、とてもうれしく有り難いことだなと。そのことばの一言一言の奥にあるみなさんの想いを想像しながら、一通一通お返事を書きました。

聴き手の「わたし」の呼び水になるような時間をお贈りすること。大学という豊かな学びの場でゲストスピーカーとしてみなさんと時間を過ごす一人として、これからも呼び水であれることを大切にしたいと改めて思った2023年の春の日となりました。


昨年の夏、教室でともにした講義の時間から生まれ、秋にはその共同制作の展示とトークセッション、そして次の春に、また同じ教室で今年の学生のみなさんへと届けられていった歌たち。その豊かな表現の環に感謝の気持ちをこめて、レポートの最後に歌の音源も添えさせていただきます。

今年もお声がけくださった儀賀さん。そして今年から儀賀さんのもとで緩和ケアを学び、豊かな感性で講義を聴講してくださった大学院生の吉田輝々さん。そして学生のみなさん。本当にありがとうございました。この日みなさんからいただいたものを胸に、これからも一つひとつの関わりを大切にしたいと思います。

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