「開(ひらく)」の振り返り

大きな変化の波にのまれながら、必死に毎日を生きているうちに終わってしまった2020年。

気づけば2021年もすっかり明けてしまいましたが、ようやく少し落ち着いて2020年の振り返りからはじめています。

今から15年前、大学4年生のお正月から何となく続けている今年の一文字。それについては以前、2018年までの12年を振り返った「深(ふかめる)」と、2019年の一文字「澄(すむ)」いう記事で綴りました。

2020年は「開(ひらく)」としていました。

もう幾度となく綴り語ってきた記憶ですが、わたしが「死」つまり「生」というものを初めて意識したきっかけが、25年前祖父母の暮らす町で起きた阪神・淡路大震災でした。

生まれ育った故郷・花小金井を離れ、祖父母の暮らしを再建するために越した震災後間もない町。10歳の終わりの春、そこで目の当たりした大切な人や風景が「失われる」ということ。そして、失われた「そのあと」を生きてゆくということ。

瓦礫や更地、手向けられた花を見つめながら沈黙に耳を澄ませた日々と、その町で季節が一周した春に聴いた歌の“心の中”と“永遠なる花”ということばが、その町でそのあとを生きる家族や友人たちと暮らしてゆくわたしのみちしるべでした。失われたそのあとも、心の中に咲かすことができる花。「そんな花、あるのかな」と、25年近くその歌を心で聴きながらずっと考えてきました。

その間に震災を生き延びた家族を見送り、がんになり自分の体の中に授かった大切ないのちと自分の未来を同時に失い……自分自身もさまざまな「そのあと」を生きる中で、改めてその歌やたくさんの花たちと向き合いました。

そして、“本”と“記憶”ということばのもとにさまざまな「そのあと」を生きる人たちとともに過ごす中で、11歳のわたしが握りしめた種からようやく芽が出てきたような気がしています。

2020年は、そのひとつのしるしとして、夏頃に小さな手製本の展示をひらきます。さまざまな“大切な記憶”をおさめる、小さな手製本の展示。

2020年は“記憶の花”を贈る1年に。そんな気持ちをこめて、「開(ひらく)」という一文字を置きたいと思います。

この文章を綴った当時、2020年の自分の暮らしはもちろん、世界がこんなことになるなんて想像もできませんでした。でも、この文章で綴っていた

大切な人や風景が「失われる」ということ。
そして、失われた「そのあと」を生きてゆくということ”

それは2020年に起こったさまざまな喪失の「そのあと」とも地続きのことで、より一層「そのあと」をどう共に生きるかということと向かった1年になりました。

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2020年、今まで病院や地域、大学などでひらいていた「記憶のアトリエ」はお休みしました。病院で患者さんやご家族のお話を伺っていたボランティアも休止。家族や友人とも、感染症の流行以降はほぼ会えていません。

それでも、予定していた展示「記憶のアトリエ」-2020年夏、blackbird booksで- は約束通りひらくことができました。病院の職員さんからご相談をいただき、想いを届け、交わすきっかけとなるメッセージボードやメッセージカード、手製本をつくりました。がん医療に関わる団体さんからご相談をいただき、情報や経験者の声を届けるWebサイトもつくりました。重い病気を持つ子どもたちやご家族と、オンラインで本づくりのワークショップもひらきました。

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テレビ東京「生きるを伝える」放送 2020年12月26日(土)夜9時48分~テレビ東京さんの「生きるを伝える」という番組で、絨毛がんの経験と治療後から続けている大切な記憶を本に綴じる活動をご紹介いただきました。

終わってみると、手渡した手製本は200冊以上。雑誌や新聞、テレビの制作に関わる方々からもお声がけいただき、がんの治療後から続けてきた“大切な記憶”を綴じる手製本の活動も、コロナ禍での取り組みとともにとても丁寧にご紹介いただく機会に恵まれました。

さまざまなことが難しくなった今、「それでもあなたと」とお声がけいただいて共につくり上げた時間とそのものは宝物です。すべてではありませんが、2020年の制作のあしあとは、このmichi-siruveのWebサイトでも紹介しています。もしよければ覗いてください。

オーバーワークで体調を崩してしまうこともあったので、2021年は少し落ち着いて、お声がけいただいたことを一つ一つ大切できたらと思っています。これからもよろしくお願いいたします。

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