「聴(ゆるす)」#掬することば

「聴(ゆるす)」#掬することば
今から16年前、大学4年生のお正月から何となく続けている今年の一文字。2026年は「聴(ゆるす)」という一文字にしました。
2006年からの一文字
「聴す(ゆるす)」ということば
1月から3つも講演や講義が重なり、2025年の振り返りも2026年の抱負も落ち着いて考える時間もなくはじまってしまった2026年。今年の一文字も年初めは違う一文字をぼんやり思い浮かべていたのですが、どうもしっくりこないまま日々に追われていました。
日々に追われながらも必死に考えていた頃、ふと立ち止まって手の中にあったのが、2025年もさまざまな場でご一緒した緩和ケア医の儀賀さんから、昨年の春に教えていただいた「聴す(ゆるす)」ということばでした。
ZINE『掬することば』にもおさめた大切なことばです。
「聴く(きく)」という行為は
「聴しあう(ゆるしあう)」
ということが成立した時に、
微かにそこに存在するもの
それから半年ほど経った頃、儀賀さんがとあるご講演の中で「聴す」ということばについて改めて語られていて、わからないながらもこのことばは今のわたしに必要なものな気がして、2026年はこのことばとともに歩んでゆこうと決めました。
わからないままでもこのことばを置いてみなさんと考えてみたいと、儀賀さんのことばをそのまま講演や講義のスライドに入れて分かちあいながら、みなさんからいただく反応でこの「聴す」ということばの輪郭を少しずつ描きたしている日々です。
正直に打ち明けると、わたしがこの「聴す」ということばにこだわる背景のひとつには、ZINE作家としてこのことばをしっかり掴みたいという以前に、ひとりの人間として抱え続けている「いえなさ(言えなさ・癒えなさ)」にくるしみと折りあいをつける術を求めているというところもあります。
「聴しあう」を考える以前に、まずはわたしがわたし自身を「聴す」ということが必要なのだなと。そこまではわかっているのですが、くるしい「わたし」を抱えたまま、日々に追われながら、自分の力だけでわたし自身を「聴す」というのは中々難しいことも実感しています。
だからこそ、michi-siruveの活動でご一緒するみなさんと一緒にみつめながら考えながら、2026年の歩みをすすめたい。今はそんな風に思っています。
すっかり今年も…という時期を過ぎて「今年度も」という季節になってしまいましたが…こんなわたしですが、今年も各地でご一緒するみなさん、どうぞよろしくお願いいたします。
