「時(とき)」の振り返り #掬することば

2023年もとうに明けてしまいましたが、michi-siruveの活動も2022年を振り返らないことには2023年がはじまらないので……。

毎年恒例の今から13年前、大学4年生のお正月から何となく続けている今年の一文字。

2022年は「時(とき)」という一文字でした。

とき【時】
1 過去から現在、現在から未来へと、一方的また連続的に流れていくと考えられているもの。物事の変化・運動によって認識される。時間。
2 時法によって示される、1日のうちの特定の時点や時間帯。また、その時法に基づく単位時間。時刻。
3 時間の流れの一点。時刻。また、時刻を知らせること。
4 ある時期。
㋐関心がおかれている時代や年代。ころ。
㋑季節。時候。
5 時勢。世の成り行き。
6 何らかの状況を伴った、時間のひとくぎり。
㋐さまざまな状況を念頭に置いた、不特定の時期。場合。
㋑状況が明示できない、漠然とした時期。

㋐ちょうどよい機会。好機。
㋑(「秋」とも書く)重要な時期。
8 わずかな間。一時。また、当座。臨時。
9 定められた期日。期限。
10
㋐ある状態になっている時点や時期。
㋑ある状況を仮定的に表す。おり。場合。
11 まさにその時期。また、それにふさわしい時期。
12 「時制 (じせい) 」に同じ。
13 陰陽道 (おんようどう) で、事を行うのに適した日時。暦の吉日。
14 天台・真言などの密教で行う、定時の勤行 (ごんぎょう) 。時の修法。

デジタル大辞泉

“時間”ではなく“時” をみなさんと感じ、見つめ、考える1年にしたい。そんな気持ちをこめての“時” でした。

振り返るとその言葉のとおり、本当にさまざまなご依頼のもと、今日まで重ねてきた“時”を深く感じ、見つめ、考える1年となりました。


年明けから春先にかけては、4つの異なる場でがん経験者として、もしくはmichi-siruveの手製本の活動についておはなしをする機会をいただきました。それぞれのご依頼が少しずつ違っていて、結果的には8年という“時”を非常に立体的に振り返ることができました。

1つ目は絨毛がんの経験者としてゲスト出演させていただいたNPO法人がんノートさんの「がんノートorigin」。がん発覚から今日までの歩みを「ペイシェントジャーニー」という曲線グラフで視覚化し、その道中の出来事や気持ちのアップダウンを視覚化しながら8年という“時”を振り返る機会をいただきました。

絨毛がんは希少がんで患者数が少ないうえに、妊娠や流産からの治療から始まることも多く、いっそうカミングアウトしずらいがんでもあります。実名顔出しで体験談を社会に届けていらっしゃる方は他のがんと比べるとまだまだ少ないなかで、8年という長い期間を仕事、家族、将来のことも含めた一人の人生として体験談をお届けできたこと。それが何らか、今やこれから先に治療を経験される方にとっての小さな灯になれれば嬉しいなと思います。


2つ目は、NPO法人チャイルド・ケモ・ハウスさん主催の「おしごとカフェ」。「本をつくるおしごと」の回の講師をつとめました。

おしごとカフェは、重い病気や障がいをもつお子さんとそのご家族が楽しみながら、 いろいろな 「おしごと」について知ってみるというオンラインイベント。2020年の「おとどけあのねカフェ」2021年の「ふらりカフェ」でオンラインの本づくりの講師をつとめた時にご参加くださったお子さんやご家族もいらっしゃり、嬉しい再会もありました。

重い病気を経験した一人として、でも「病気」の視点ではなく「本づくり」の視点から。ささやかな表現、想いを交わす喜びを分かちあうようなひとときとなりました。


3つ目は、「AYA WEEK 2022」の関連イベント「AYA世代がん患者と一緒に考えよう!これからのがん看護」へのゲスト出演。AYA世代にがんを経験した一人として、看護学生のみなさんへがんになってからの8年間の患者人生についておはなししました。

若い患者であるがゆえになかなかことばにできなかった「心の内」
がんという突然の出来事ゆえに、声にするまでに長い時間がかかった「本当の気持ち」
時に患者を追い込むことにもなる「周囲の声」
本当の気持ちを打ち明けるきっかけをくれた、4名の異なる職種の方の「声」

そんな「声」を一緒に聴きながら、感じたことを参加者のみなさん同志で少人数で分かち合う時間を前半と後半にもつくり、感じたことを語りあいました。

看護師を志すみなさんもご自身の心の声をきくことを大切に、時には他者を頼りながらご自身の看護師人生を歩まれるきっかけがお贈りできたらなと。患者経験だけでなく、家族としての経験やソーシャルワーカーの恩師から学んだ経験を持つわたしだからこそ、患者さんと向き合うみなさんの声をきき、支えるみなさんを支える一人になれたらという想いを強くしたひとときでした。


そして4つ目は、4月に出演させていただいた『M-Educational CAFÉ ~ラジオみたいなの~』。医療と教育に関わる3名の“まなびすと”のみなさん~副島賢和さん、五十嵐友里さん、儀賀理暁さんとおはなしする機会をいただきました。

手製本の活動やその根底にある被災者家族、患者家族として過ごしてきて日々のこと、福祉学科で学んだこと、そして手製本の制作や「記憶のアトリエ」のこと……他者との記憶、関わりのなかでの「わたし」について、深く見つめなおすとなりました。

それぞれのご依頼をすべて2022年のはじめにいただいたのは本当に偶然ですが、その“時”だったのかもしれません。

2022年の夏から秋にかけては、3つの大学でのゲストスピーカとミニアトリエの講師、医療者のみなさんが集う研修会でのゲストスピーカー、そして企画展「ホスピタルアートinギャラリーIV」での作品展示とトークセッションのゲストという大きな役目をいただきました。


大学でのゲストスピーカーは同時期に3つの異なる学問……「社会福祉」「音楽」「心理」を専攻する学生のみなさんとも講義を通して交流するという貴重な機会に。

金城学院大学 人間科学部 コミュニティ福祉学科の「現代社会問題」という講義では「当事者の声から生まれるもの」~若年の希少がん経験者の視点から~というテーマで、フェリス女学院大学 音楽学部 音楽芸術学科の「医療と音楽」という講義では「“心の種”に耳を澄ませる」というテーマで、東京家政大学 人文学部 心理カウンセリング学科の五十嵐友里先生のゼミでは「好き」を綴じ交わすというZINEづくりのミニアトリエで、学生のみなさんと交流しました。

それぞれの交流のなかで感じたことはリンク先のレポートに綴ったとおりですが、専攻されている学問が持つ社会へのまなざしの向けかたや人との関わりかたの異なり、だからこそさまざま専門性をもった人たちが協働する必要性や可能性を強く感じる貴重な機会となりました。

そしてなにより、「学生たちのために」と貴重な講義の1コマにお声がけくださり、講義の前後も含めてさまざまなことをともに見つめ、考えてくださる先生方との交流。そして講義を通してそれぞれのまなざしで見つめ、感想をくださる学生のみなさんとの交流から、他でもないわたし自身が考える種をたくさんいただいています。


3つの大学でのお約束を終えたあとは、がん医療に従事されている医療者のみなさんが集う研修会にて、希少がん経験者として体験談をおはなしする機会をいただきました。

ご依頼いただいた主旨にそって、タイトルは「わたしの“いたみ”の記憶 ~希少がんを経験した8年を振り返って~」に。“いえないいたみ”ということばのもと、“言えない(癒えない)”“痛み(そして傷み、悼み)”の記憶という視点から、流産からのがんの経験を振り返る構成にしました。

おはなしした内容は今までさまざまな研修会でもお伝えしてきた患者体験ですが、これまで別の言葉で表現していたつらさを“いえない(言えない・癒えない)いたみ”としたことで、患者として感じてきたことと、医療者のみなさんも日々感じとっていらっしゃることが重なり、交しあうことができる接点となったような感覚がありました。

「言えないつらさ」や、表現できず分かちあえないからこその「癒えなさ」、そして「いたみ」のグラデーション。感じとってはいるけれど、きちんと触れて、きくことができない葛藤。それがひらがなの“いえないいたみ”になったことで、同じいたみとして分かちあうきっかけになったことは、「それでもことばにする」ことの意味であり、わたしができることのひとつなのだと改めて感じる機会となりました。


そして11月に大阪の江之子島文化芸術創造センター(enoco)で開催された企画展「ホスピタルアートinギャラリーIV」では、作品展示とトークセッションのゲストという大きな役目をいただきました。

HITO-IROプロジェクトの川西真寿実さんの企画により「医療へのアートの可能性」をテーマに2018年からさまざまなアーティストのみなさんと企画展の開催、医療・福祉の場での協働を重ねていらっしゃる本企画。

michi-siruve からは、がん罹患から3年の記憶を綴じた『汀の虹』の詩と、依頼主の記憶を綴じて贈る『掌の記憶』の豆本、そして病院や地域でひらいている「記憶のアトリエ」の道具がつまったトランクを。そして今回の展示用に緩和ケア医の儀賀理暁さんと「療養中に使用していたウォークマン」題の作品を制作・展示し、トークセッションでもご一緒しました。

「記憶」ということばのもとに依頼主お一人おひとりと掬い上げてきた記憶の欠片は、病室に集うみなさん…患者・家族・医療者の心のなかにある景色です。その“いえない(言えない・癒えない)いたみ”をきき、2つの音楽作品をお贈りくださった儀賀さん。それをギャラリーという空間にひらいてくださった主催者の川西さん。

川西さんと儀賀さんという異なるまなざしを持つお二人と展示に向けてともに見つめ、“時”を重ねた2022年の秋に感じたことは、今まで一人で制作を重ねてきたmichi-siruveにとって、とても豊かで気づきや学びに満ちたひとときでもありました。

みなさんと“時” を感じ、見つめ、考える1年にしたい。

その言葉のとおり、いやそれをはるかにこえる“時” を感じ、これからに続く1年になりました。2022年にご依頼をくださった、またご一緒したすべてのみなさんに感謝の気持ちをこめて。2023年もどうぞよろしくお願いいたします。

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